福祉人材とコムスン問題の部屋

施設内虐待を取材して◇拘束常態化し抵抗感まひ−−格安・無届け、問題深刻
毎日新聞船橋支局 中川聡子さん 2007.7.20

 ペット用の柵の中で簡易トイレに座る後ろ姿、手首を金具でつながれベッドに横たわる男性。2枚の写真付きで2月に千葉県浦安市の無届け有料老人ホーム「ぶるーくろす癒海(ゆかい)館」の虐待疑惑を報道してから、5カ月が過ぎた。
 この間、千葉法務局と県が無届け施設として初の虐待認定と勧告処分を発表し、県は今、無届けの高齢者居住施設の調査を進め、国へ法整備を働きかけることも視野に再発防止策を探っている。取材を続ける中で見えてきたのは、介護現場の窮状と制度からこぼれ落ちる高齢者や障害者の存在だった。

 癒海館は03年7月、運営を始めた。介護保険は使わずに経営者の中原健次郎医師が週2回往診し、外来診療として診療報酬を請求していた。介護は入所者27人に対し職員1〜3人で行い、夜勤はいなかった。
 元職員は勤務当時を振り返り、「『職員が少ないのに事故が起こったらどうするの』と繰り返し言われるうちに、ほどけないようにきつく縛るようになった。他の職員も素人でまじめだから縛っていた」と話した。

 「ちょっとふざけて持ってきた」。数回の取材の後、現場監督の女性は柵の使用をあっさりと認めた。彼女は「拘束が虐待と言われたら私の人生がひっくり返る」とも話した。行為の悪質さに比べ、この感覚の軽さは何なのか。虐待は拘束が常態化し抵抗感がまひする延長上に起きた。

 厚生労働省は介護保険制度の開始に合わせて99年から身体拘束をなくす取り組みを進めている。しかし、拘束はなくならない。県が行った緊急調査では、介護保険施設やその他高齢者施設計867施設のうち、約4割の344施設で身体拘束が確認された。拘束されている人の7割以上が「常時拘束」だ。

 小規模デイサービス・宅老所千葉県連絡会の七尾ひろ子さんは「近年、認知症や障害の理解が進み、徘徊や自傷行為などの症状もその人なりの意思表示として読み取るケアを目指した研修も盛んだが、運営者によって意識の差は大きい」と指摘する。さらに、介護保険法の人員配置基準は入所者3人に対して職員1人だが、「勤務ローテーションがあり、実際には1人で入所者10人のケアをしているのが現状だ」と話す。

 同県木更津市で通所介護施設(宅老所)を運営する伊藤英樹さんは、ある介護施設に勤めたころの様子を「工事現場と同じだった」と表現した。毎日、決まった時刻に食事、入浴、おむつ交換と流れ作業をこなす。
 「人間同士のかかわり方ではない。疑問も改善意欲も生まれない空気が支配していく」。介護現場では、虐待とはすぐそこにある落とし穴ではないだろうか。

 今回の問題が無届け施設で起きたことの意味も大きい。中原医師は施設を無届けとした理由を「他の病院では手に負えない患者を格安で引き受けている。届け出は義務ではない。役人に口出しされたくない」と話していた。
 虐待を招いたことは許されないが、一方で無届け施設が必要とされる状況がある。
 伊藤さんも、無届け施設を運営する一人だ。介護度が重いため施設入所を拒否された人や保険適用外の人、障害者や子どもまで受け入れる宅老所の多くは、家族の要望や症状の変化など必要に迫られて、無届けの居住施設を持っている。
 年齢や障害で区別される法制度ではこうした福祉施設は想定外で、介護保険事業者でない限り、届け出や情報開示の義務付けはできない。

 今回は1月に元職員が高齢者虐待防止法に基づき虐待を通報した。しかし、県と市は入所者に中年〜壮年の障害者が含まれているため、施設の法的位置づけに苦慮し「共同住宅のようなもの」と介入に及び腰だった。「有料老人ホーム」とみなして老人福祉法に基づき立ち入り調査したのは毎日新聞の報道の後だった。
 伊藤さんは「現場の苦悩を社会が共有せず、拘束や無届け施設を問題視しても(癒海館のような)ブラックボックスが生まれるだけだ」と訴える。重い言葉だと思う。

 取材を始めたころには思いもしなかったほど、問題の根は深かった。無届け施設を必要としている人たちがおり、セーフティーネットの役割を果たしている。再発防止の法整備をするにしても、こうした現状を直視し、現場の意見をよく聞く必要がある。
 拘束や虐待を防ぐには、高い倫理観と技術を持つ介護士を確保し、公的制度では必要な支援が受けられない人を救済する仕組みが欠かせない。そのために、社会全体で議論しなければならないと今、痛切に感じている。

毎日新聞「記者の目」 2007年7月20日 東京朝刊より)

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