福祉人材とコムスン問題の部屋

ケアを支える、元気なときからの連帯意識、そして住宅/伊勢原市の「風の丘」の場合
日本経済新聞編集委員 浅川澄一さん 2007.7.20

 ケアサービスは、基本的に地域住民の間で、『困ったときはお互い様』の精神で広がるのが最もいいでしょう。そのためには、元気なときから培ってきた連帯意識をはじめ、傑出したリーダーや資金調達の腕力、土地建物の確保など難題を解決してゆく組織力が必要です。
 組織形態は、NPOでも企業形態でも、住民が選んだ形にすればいいでしょう。コンビニや携帯電話のように、きめ細かく利用者ニーズを救い上げて効率的なサービスを提供する能力は、日本企業の得意とするところです。
 問題は、そのような理想型がなかなか実現していないこと。全国的には数えるほどしかありません。とりわけ、今後、要介護者が急増する首都圏など大都市では絶望的です。
 そこに、コムスンのようなチェーン展開できる大企業の参入余地が出てきます。

 モデルの1つとして、神奈川県伊勢原市の住民団体、NPO法人「一期一会」をご紹介したいとおもいます。

 「宅老所精神」を見事に発揮して小規模多機能型居宅介護サービスの運営を始めたNPO法人がある。神奈川県伊勢原市で新築戸建ての「風の丘」を営む「一期一会」(理事長・川上道子さん)だ。2階建ての2階に6室の共同住宅を併設した。
 2006年4月に新サービスを始め、同年9月時点で登録者は20人。定員15人のデイサービスには6〜8人が訪れ、3〜4人が連日泊まっている。
 ある日の夕方から食事時。「地域密着」を言葉通りに実践する光景に、思わず頷いてしまう。地域密着とは「小規模・多機能」と並ぶ宅老所の3大原則である。3つのうちこの地域密着こそが、最も手強い。言うは易く行い難しだ。多機能と違って、地域密着は、住民がその気にならなければ出来ないからだ。潜在需要をすくいあげ、地域での信頼を勝ち得ないと実現できない。形から入る大手の医療法人や社会福祉法人には決して真似できない。宅老所精神そのものといっても過言ではない。
 厚労省や自治体が唱える「地域密着サービス」とは、地域を細分化して利用者を限定した「孤立分断サービス」に過ぎない。3大原則の「剽窃」、つまり「盗んだ上での換骨奪胎」である。

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 夕方の4時を過ぎると、風の丘のデイサービスに来ていた高齢者が次々車に乗って自宅に帰っていく。玄関に顔を出さない利用者3人は、デイのフロアーでその日は泊まる。小規模多機能のサービスの「泊まり」である。
 そこへ「今晩は」と言って、暮れなずむ住宅街から女性高齢者たちが入って来る。それも3人。夕食の食器が並び出すテーブルに、デイの居残り利用者と隣り合わせで腰を下ろす。
 さらに、階段を降りて2階から津崎能子さん(89歳)が、「今夜は大勢で、にぎやかそうね」と、ほほ笑みながら、やはりテーブルにつく。6人が暮らす2階から、もう一人女性もやってくる。そのほかの2階住民は、自室や中央の共用リビングで食事をとる。自宅での住まいだからその時々で自由だ。
 食事が始まると、お互いが昔からの顔なじみだから、みんなでおしゃべりの花が咲く。スタッフも混じって、まことになごやかな雰囲気だ。

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 この夕食に集う老人は3タイプ。小規模多機能サービスの「泊まり」の人は当然であるが、外部から訪れた3人は何者なのか。実は、いずれも「風の丘」の近くに住む地域住民なのだ。
 Aさん(82歳)は2軒先の大きな2階建ての家で一人で暮らし。月曜から金曜まで毎日、夕食に通ってくる。「津崎さんとは子どもを通じて長年のお友達」と話す口調からも、来所に満足している様子がよく分かる。
 Aさんに誘われて風の丘に来るようになったBさん(79歳)も一人暮らし。「孫やひ孫といつも会えるわけではない。一日中誰とも話せない時も多く寂しいが、ここでは知り合いと話ができていい」。週2回通っている。
 Kさん(82歳)は息子一家4人と同居している。息子の妻(51歳)が看護師でこの風の丘に勤めていることから勧められ、週1回来るようになった。
 Aさんだけが要支援1で、近く小規模多機能の登録者になるが、ほかの2人は自立者。それなのに気軽に訪問できる。地域密着とはこういうことだろう。介護保険制度を巧みに利用して、地域に輪を広げ、老人の生活を支える。
 食事だけではない。Aさんは、毎週のように入浴にも来る。「うちのお風呂より大きくて気持ちいい」からだ。さらに、「夜中に何かあっても安心できるように」と言う要望を受けて、「一期一会」では風の丘と直通の電話をつなぐ計画も進めている。

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 さて、第3のタイプ。2階から降りてきた津崎さんである。
 実は、風の丘が建つ前の年まで、ここには津崎さんの家があった。今は、風の丘の2階の一室で暮らしている。津崎さんが一大決意をした結果が、「風の丘」を生み出したのである。
 「介護を受ける独り身がこの地域でずっと住み続けるには、自宅をケア付きの集合住宅に変えてしまうのが一番。私は、その一人の住人になればいい」――。
 米寿の老人の一途な思いが、厚労省も真っ青の「集合住宅付きの小規模多機能サービス」という画期的スタイルを実現させた。
 津崎さんのこれまでの介護サービスの利用状況を振り返ると、その誕生の経緯がよく分かり、それは各地の宅老所が辿った軌跡と途中まで共通する。
 津崎さん夫妻が、国家公務員共済組合の開発分譲したこの愛甲原団地にマイホームを建てたのは40年前。約900戸の戸建て住宅が整然と並ぶこの団地住民はすべて東京・霞が関などに通うお役人の家族なのである。津崎さん宅は、瀟洒な2階建て。ソテツが目をひく芝生が美しい家だった。夫が亡くなり、一人暮らしになった18年前のある日、電球を替えようとして脚立から転げ落ちてしまう。足腰が不自由になり、それ以来、地元の住民団体から家事支援を仰ぐようになった。その団体が「一期一会」の前身、「伊勢原ホームサービス」である。
 同団体は介護保険の施行で、2003年にデイサービスの「デイ愛甲原」を団地内で始める。津崎さんも通い出す。こうした長年のつきあいのなかでAさんは団体幹部と親交を深める。3年前、同団体が高齢者共同住宅の勉強会を始め出す。愛甲原団地の高齢化が急速に進み、一人暮らしや老老介護の夫婦が急増したからだ。在宅介護からの次の一歩を模索していた。ある日の勉強会終了後、津崎さんが、代表の川上さんを呼び止めて「地域の人と一緒に暮らしたい。私の家を使って」と申し出た。
 話しはトントン拍子で進み、まず、津崎さんを含めた居住者6人の顔が浮かぶと6室を2階に確保。時折の宿泊を織り込めば、まだ自宅でどうにか生活できそうなお年寄りを含めて階下を小規模多機能サービスに使うことにする。6人は、同サービスに登録して訪問介護やデイサービスを何回でも受けられる。包括方式だからだ。介護保険制度の改訂時期とタイミングがピタリと合ったことも幸いだった。
 こうして、住宅を併設した小規模多機能サービスが登場。ここで肝心なのは、まず住宅ありきということだ。「第2の自宅」となる個室を連ねた集合住宅を設け、その人たちのために、デイサービスや訪問介護を提供するという段取りだった。独居老人や小さな家族では、在宅介護が続けられないのは明らか。本人や同居者の障害が重くなったり、認知症が出てくると、とても自宅での家族介護は難しい。やはり「ケア付き住宅」が必要となる。その「ケア」のところに小規模多機能サービスをあてればいいわけだ。
 風の丘の6人の入居者のうち2人の女性(83歳と70歳)は認知症である。要介護度は4と5と重い。津崎さんのほかのあとの3人は、同居者が認知症や障害者で、本人が脳梗塞の後遺症を抱えていたりするなど自宅での生活が困難な高齢者である。
 宅老所を制度化したのが小規模多機能型居宅介護。だが宅老所に欠かせない「住まい」の機能を国が故意に捨て去った。それをもう一度拾い直して機能させたのが「風の丘」である。これぞ正真正銘の宅老所型小規模多機能サービスだ。
 行政の手続き上は、この6室の2階部分は有料老人ホームにあたる。老人福祉法の改定で、10人以上という人数の下限がなくなったため、介護や家事サービス付きの老人集合住宅ならば、1人でも有料老人ホームに該当することになったからだ。近く、神奈川県に届け出ることになる。

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 建設方法にも地域密着を地でいく風の丘ならではのスタイルを発揮させた。当面の運営費を含めた建設費1億円強のうち7100万円を70人近い住民から集めたのだ。原則、一口100万円で公募した。
 一期一会が20年近く培ってきた活動への信頼が、この借り入れを可能にした。国家公務員という住民の連帯意識もあっただろうが、川上さんを始めとする普通の主婦たちの自然な手助け、家事サービスが住民の生活を確実に支えてきた。「困ったときはお互いさま」と、近所の人たちに普通の暮らしの延長線上で手を差し伸べ、時には夜中まで付きあう。「宅老所魂」への共感が、21世紀の理想的な地域密着ケアを生みつつある。

(CLC刊『小規模多機能型居宅介護を成功させる方法』:第4章「風の丘」で実現させた「ケア付き住宅」に加筆)

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