アメリカの医療を眺めてみると日本とは異なる点がいくつもありますが、その中でも患者や患者会の立場はかなり異なっているのではないかと思います。アメリカでは1950年代から患者団体や医療利用者団体の活動が活発に行われていて、アドヴォカシー活動(当事者の正当な権利を獲得するための諸活動)を積極的に行い、医療のあり方や政策にまで影響を与えています。
例えば1958年に設立されたアメリカ退職者協会(AARP)という高齢者団体は、3500万人の加入者を誇り、2003年には高齢者の公的医療保険であるメディケアが処方薬もカバーするようブッシュ政権に働きかけ医療制度改変を実現させてきました。そんな政策を動かしてきた患者会のひとつに、マサチューセッツ州ブレイン・インジュリー・アソシエーション(BIA-MA:頭部外傷や脳卒中による障害を持つ人々の団体)があります。今回は、BIA-MAのアドヴォカシー活動を中心にご紹介したいと思います。
BIA-MAは、脳損傷者及びその家族のために1982年にNPOとして設立された、全米脳損傷者会(1980年設立)の地方組織です。脳損傷は突然に起こることが多く、また人によって歩行や言語に障害を持つなど様々な複雑な現れ方をするので、本人も家族も急に混乱した状況におかれてしまいます。そこで途方にくれて満たされないニーズを抱えた本人と家族のために、ある患者家族が会の設立を準備しました。
BIA-MAは次第に会員を増やし、現在はボストン(州東部)、ケープコッド(州南部)、スプリングフィールド(州西部)など全州に渡って30のサポート・グループがあります。2007年の年次レポートによると、年間予算は66万ドル(約6600万円)で、歳入の内訳は85%が契約資金(後に詳述)で、寄付は3%、ファンド・レイジング(バザーなど)は4%でした。また歳出の内訳は会議・教育費が42%、支援・予防プログラムが38%、諸経費が11%でした。
BIA-MAの活動には、大きく分けて4つあります。
1)予防プログラムの推進:州の行政当局、学校、司法機関と共に、子どもや大人に脳損傷の予防を教えるプログラムを開発する。例えば、シートベルト、チャイルド・シート、ヘルメットの着用についてのキャンペーン、飲酒運転削減の主導など。
2)アドヴォカシー活動:脳損傷サバイバーとその家族のためのサービスを確立するために州の司法当局や行政当局と連携し、実際にサービス向上や脳損傷予防のための新しい立法をしてきた。
3)教育:年間を通じて、会議やワークショップを主催。それらは、年次会議、スポーツ障害会議、医療者のワークショップ、家族とサバイバーのワークショップなど。
4)サバイバーと家族の支援:社会的資源のリスト、州のサービス情報、医療機関、住居、法的サービス、そのほかの情報を、サバイバーや家族に提供し、かつ各種相談に応じる。さらに、電話か電子メイルによる「ブレイン・インジュリー・ヘルプ・ライン」を設け、ソーシャルワーカーが各種の情報提供やカウンセリングする体制を整備。また、全州に渡って30の家族とサバイバーのためのサポート・グループがあり、出会いの場を提供。
ここでは主な4つの活動のうち2)アドヴォカシー活動、特に下記のBCDについて中心的に紹介します。
<アドヴォカシー活動>
@揺さぶられっ子症候群法の通過の際に支援した。
Aシートベルト着用法の通過の際に助力した。
B飲酒運転やスピード違反の罰金に上乗せして脳損傷治療のための資金として徴収する仕組み、脳損傷治療サービス委託基金(HITS)を設立させた。現在さらに基金の充実に向けて活動を行っている。すなわち、上乗せ徴収額は50ドル(約5千円)だが、その半額しか基金には回っておらず、残りの7から800万ドル(7、8億円)は一般基金にいっているので、全額を地域サービスや更なるサービスのためのスタッフの補填、脳損傷の帰還軍人サービスの援助のために使われるべきであると運動している。
C地域ベースあるいはその他の脳損傷者へのサポートを行う、全州脳損傷プログラム(SHIP)の設立に助力した。このプログラムは、充分に管理の行き届いた住居費用、デイ・サービス、個々人や家族のサポートなどに当てられているが、2008年の予算は100万ドル(約1億円)であった。しかし、さらに25人から40人のサービスを可能にするには、300万ドル(3000万円)アップの1300万ドル(約1億3000万円)が必要なので、政治家や議会に対して予算をつけるように活動している。
D自立生活を実現するための集団訴訟。2007年5月17日、5人の当事者とBIA-MAはアメリカ地方裁判所に、州知事と諸関連当局者を相手取った訴えを起こした。同6月18日には、もう一人の個人と他の組織も原告に加わった。この訴訟は、脳損傷になった人々が、施設から出て、サポートを得ながら地域で暮らせるような適切な地域における代替策を州は講じていないので、障害のあるアメリカ人法(ADA)ならびにメディケイド法に違反しているということを争点にした。
2007年10月に地方裁判所の出した裁定とそれに続く約6ヶ月の交渉の結果、2008年の6月2日に、州当局者と原告側弁護士による和解が成立した。この和解を受けて、現在約8000人のナーシング・ホームやリハビリ施設に暮らす脳損傷者のうち、4分の1の約2000人が、より良いサービス環境の下、家族と共に元住んでいた地域に暮らす道が開かれた。
以上でみてきたように、患者の必要性を充たすことを実現するには、患者あるいは患者家族自身が声をあげることが重要でした。BIA-MAのアドヴォカシー活動は、まさに当事者とその家族が声をあげ、裁判で訴え、政治家や議会を動かして、自分たちが必要と考える要求を勝ち取ってきたといえます。
ただしこうした成果は、長年にわたる当事者達の粘り強い活動の上に得られたものです。以前紹介したマサチューセッツ州の公的健康保険導入も、NPOによる20年来の運動の結果として達成されたものでしたが、こちらも10年におよび運動の賜物でした。
BIA-MAのディレクターのアイリーン・コラブ氏は、ご子息が10代後半の時に事故で身体麻痺と高次能機能障害を持つようになり、会の活動に参加するようになりました。長期にわたる家族介護の軋轢から「どちらかがどちらかを殺すかもしれない」という危機的状況に直面し、若い脳損傷者には家族から独立した生活が必要と強く思い、自立生活運動を10年来続けてきました。そして福祉に理解のある州知事デヴァル・パトリックが2006年11月に選出されると、それを好機と捉え、半年後の2007年5月に州を相手取った裁判に訴え勝訴したのでした。
翻って日本でも患者たちは声をあげ始めています。おりしも今回8月の総選挙では各党が医療制度改革に関するマニフェストを出していて、人々の意思がどこに向かっているのかを問うています。これからの医療がどうなってゆくのか、選挙の行方に注目したいものです。