世界ところかわれば
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『ボストン便り』第5回
「オバマのヘルスケア改革」
「ヘルスケアはもう待てない!」集会
総選挙をはさんだ8月末から9月にかけての1週間の日本への一時帰国からボストンに帰ってくると、友人のペギーからメイルがありました。
この集会は、オバマの民主党支援者などが中心になって主催したもので、何人もの民主党代議士やボストン市長トーマス・メニーノなどがスピーチに駆けつけていました。参加者は「ヘルスケアはもう待てない!Health Care Can't Wait」、「かかりつけ医にヘルスケア改革をさせ続けよう!Keep Your Doctor Reform Health Care」などと書かれたプラカードやうちわを持って、スピーチの行われる見晴台の周りに集まっていました。
そうしたプラカードの中に、「テッドのためにやろう!Do it for Ted!」というのがありました。「テッド」とは、2009年5月に亡くなったマサチューセッツ州代表のエドワード・ケネディ上院議員の愛称です。彼は長年ヘルスケア改革に取り組み、マサチューセッツ州民皆保険の成立時は立役者のひとりでした。そして今度は全国規模のヘルスケア改革に、文字通り生涯をかけていた最中に病に倒れたのでした。
ところでマサチューセッツ州では2006年にヘルスケア改革法が成立し、すでに公的保険があります。それなのになぜ今さらヘルスケア改革を求める集会が行われるのでしょうか?
ペギーは、「ボストン便り 第4回 患者会のアドボカシー活動」で紹介したブレイン・インジュリー・アソシエーションで知り合って以来の友人です。彼女は、全く過失のない事故で脳障害になり、足が不自由で杖を使っているので、障害者として公的保険であるメディケイドに入っています。パートナーのフランクは、長い間アメリカ空軍で働いていたので、退役軍人用の掛け金が安くて保障のしっかりした特別の保険に入っています。つまり二人とも自分達の健康保険に関しては問題がないのです。
ところがオレゴン州に住むペギーの義理の弟はそうではありませんでした。
適正な公的保険さえあれば、弟は治療薬を飲み続けられ、脳卒中にならなかっただろうに。ペギーはこう悔しがります。この集会に参加している人たちは、他の州に住む家族のため、困っている見知らぬ誰かのために、ヘルスケア改革が実現することを願って集まっていたのでしょう。
シングル・ペイヤーからパブリック・オプションへ
それでは、オバマの推進しようとするヘルスケア改革はどのようなものでしょうか。
このパブリック・オプションが推進されるようになったのは、いきなり私的保険をなくして公的保険一本にすることに対して、大きな反対勢力があるからです。
パブリック・オプション方式はたしかに一種の妥協の産物ではありますが、ここに是が非でもヘルスケア改革を敢行するために妥協点を探ろうとするオバマの姿勢が見て取れます。そして、ここには、ひとたびこの制度が軌道にのれば低価格で良い医療を受けられるので、私的保険を持つ人も、合理的な選択をするのであればパブリック・オプションに切り替えるようになり、結局はパブリック・オプションに一本化されるという見込みもあります。
それに付随する改革のもうひとつの大きな柱は、このパブリック・オプションでは持病もカバーされるという点にあります。
このような私的保険による負の連鎖を断ち切り、持病のある人も安心して医療を受けられるようにするのがヘルスケア改革なのです。今年(2009年)8月15日のニューヨーク・タイムスにオバマは、「なぜヘルスケア改革は必要なのか」と題する改革の重要性を説く寄稿をしています。
混迷するヘルスケア改革
2009年8月18日に発表されたNBCテレビの世論調査では、ヘルスケア改革に賛成が41パーセント、反対が47パーセントでした。しかも8月19日に公表されたラスムセン社の全米世論調査では、オバマ政権に対する「強く支持」が全体の32パーセントなのに対し、「強く不支持」が38パーセントとなってしまいました。
では、それはどうしてなのでしょうか。アメリカ国民はヘルスケア改革を望んでいないのでしょうか?
それから、法案の中にある適正な医療を監視する機関「健康保険審査会 Health Care Panel」が、高齢者や障害者への医療を制限するようになるという「うわさ」もあります。
ヘルスケア改革の行方
2009年9月9日にオバマ大統領は、両院議員総会でヘルスケア改革についての演説をしました。その際彼は、改革にまつわる人々の危惧を打ち消し、共和党議員たちに改革への協力を訴えかけました。貧困層ではなくて中産階級の人たちが、保険料が高額のため、あるいは持病があるために保険に入れないこと、そしてひとたび大病になったら破産という事態になっていることを指して、アメリカは「民主主義国の中で唯一、富裕国の中で唯一、何百万人もの国民に、こうした苦難を強いている」とまで言いました。
そしてオバマは、ヘルスケア改革の志半ばで病に倒れたマサチューセッツ州代表の故エドワード・ケネディ上院議員(愛称:テッド)からの手紙を紹介しました。
つまりオバマは、ヘルスケア改革の実現可否というのは、厳密に法制度を整えて正確な収支計算することではなく、アメリカ人が道徳心を備えた公共的精神の持ち主であるかどうかにかかっている、とアメリカ人自身に迫ったのです。故ケネディの手紙の紹介は、ヘルスケア改革にまつわる「社会主義化」や「弱者切捨て」となるという「うわさ」を打ち消し、手続きだけではなく理念の上でも改革に正当性を調達する手段として非常に有効だと思いました。会議場は、ファースト・レディであるミシェルの隣にいる、この日のために招待された故ケネディの妻と子ども達への暖かい拍手に包まれていました。
「ののしり合いに明け暮れる時は終わった。ゲームをしている時は過ぎた。今こそ行動を起こす季節がきた」と述べ、オバマはヘルスケア改革の待ったなしの断行を宣言しました。ボストン・コモンの集会でこだました、「テッドのためにやろう!Do it for Ted!」の掛け声がここでも聞こえてきた気がしました。
参考資料 |
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