優しき挑戦者(国内篇)

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グラフ:人口1000人あたりの精神病床

☆崩れた"言い訳3点セット"☆

 グラフをご覧ください。人口あたりの精神科ベッドの国際比較です。人口あたりのベッド数も、入院期間も、日本だけが異様です。この事実は長年、"秘密"にされていました。厚生省の通称『精神保健福祉白書』の国際比較グラフは1990年代になっても77年でお終い、おまけに日本は、別のページに分かれて載っていたからです。
 「新しいデータは?」と尋ねると、「データが集まらなくて」という答えがかえってくるのが常でした。
 やむなく探しまわり、OECDのデータを見つけ出してグラフにしてみたら、「比較したくなかった理由」が一目瞭然でした。ここでは10カ国を抜き出しましたが、26カ国のグラフでも傾向はまったく同じです。

 日本だけ飛び抜けてベッド数が多く、入院期間が多い理由を、精神病院の経営者や事情に疎い担当官は繰り返しこう説明していました。

「日本の家族は、回復しても引き取ろうとしない」
「日本のマスコミは、患者の事件をおおげさに報道する」
「日本人は、偏見が強く、地域に出ようとすると反対運動がおきる」
「だから、日本では、精神病院が引き受けるしかないのです」
 海外の国々でも条件は同じなのに、精神病を体験した人々が町で暮らしています。そこで、私はこれに「言い訳3点セット」というあだ名をつけました。

 この日本独特の言い訳を覆す事態が、北海道の十勝圏域で進んでいます。精神科のベッドも入院日数もぐんぐん減っているのです。この10年間で970床から540床になりました。人口あたりのベッド数でみると、北海道平均の半分以下です。
 十勝は、東京都、千葉県、埼玉県をあわせた広大な面積をもち(図@)、全国各地から移住した人々が住んでいます。ここだけがマスコミの影響から遮断されていたり、地域や家族が「どうぞどうぞ」と受けいれる文化をもっていたとは思えません。
 それなのに精神病を体験した人々が、まちに溶け込んで暮らしています。
 いったい、なぜ? それが知りたくて、2005年6月、十勝を訪ねました。

 「志への共感が、人の心にボランティア精神の火をつける」という法則は、ここでも、生きていました。


☆「退院不可能な人々」のはずが……☆

 話は、30年ほど前にさかのぼります。後に日本精神保健福祉士協会(通称PSW協会)の初代会長となる門屋充郎さんと医師の大江覚さんが勤務先で出会ったのが縁で意気投合、理想の精神医療を語り合った、それが始まりでした。
「精神病院に埋もれた人たちの人生を取り戻さなくては」
 この志に共鳴した帯広のソーシャルワーカーたちが、情報交換と勉強のために毎週集りました。月曜会です。中心人物は門屋さん(写真@)、門屋さんの高校以来の親友、小栗静雄さん、後輩の佐々木雅美さん(写真A)です。

写真@:門屋さん 写真A:右から小栗静雄さんと佐々木雅美さん
写真B:賄いつき下宿朋友荘

 82年、閑静な住宅街に、4畳半の個室が廊下を挟んで並ぶ賄い付き下宿「朋友荘」をつくりました(写真B)。5つの病院から16人がここに退院しました。一つの病院の「専用」でないのが凄いところです。
 この16人は、食事もつくれない、幻聴や妄想もある、お金の管理もできない、銀行や交通機関の利用の仕方も知らない、家族も引き取らない……、当時の常識では「退院不可能」と考えられていた人々です。


写真C:世話人さん第一号は80歳

 "管理人"は、勤務先が違う5人のソーシャルワーカーが買ってでました。自宅の電話を入居者に伝え、365日24時間応援する体制を組みました。
 食事と掃除担当の斉藤多美子さんは、80歳になったいまも、写真Cのような笑顔で早朝と夕方、毎日やってきます。私が訪ねた日の夕食の献立は、栄養と彩りに気を配ったトマトと豆腐のサラダとカレーライス。入居者の愚痴もきく"お袋さん"という風情です。
 下宿屋風の住宅の効果をこの目でみて、当時の北海道知事や道庁の担当官の志に火がつきました。92年、県単独の補助金制度が発足しました。国の制度ができる1年前のことです。県と国、2つの制度を活用して、117人分の住宅を確保することができました。


☆深謀遠慮が実って☆

 97年からは、バストイレつきのワンルームマンションに挑戦しました。写真DEのような洒落たつくりですが、家賃・光熱費は生活保護でも支払える値段です。
 実は、門屋さん、深謀遠慮があって青年会議所に入会しました。福祉や医療の分野と縁の薄い人々を仲間にしなければ、と考えたからだそうです。熱心な会員活動がみとめられて副理事長もつとめました。
 ここで親しくなった地元の経済人たちが、門屋さんの志に共鳴して一肌脱いでくれた、それが、生活保護でもワンルームマンションに住める秘密です。損はしないけれど利益もない、いわばボランティア精神で、マンションを借りたり建てたりしてくれるようになったからです。

写真D:グループホーム・ドリームハイツ 写真E:ドリームハイツのダイニングルーム

 写真Fはふつうの就職が難しい時期の人々の仕事を支える帯広ケアセンターの玄関に集った利用者たち。ここを基地にさまざまな仕事を展開しています。野菜や花をつくり、写真Gのように売り子もつとめます。市の仕事を請け負うリサイクルセンター(写真H)、うつ病になった地元の六花亭の職人が秘伝を伝授してくれたクッキーハウス「ぶどうの木」(写真I)、食事づくりが不得手なメンバーや一般市民のための軽食喫茶「あしたば」、帯広市役所の展望フロアの喫茶店「フロンティアハウス」(写真J)、帯広駅の中のアンテナショップ(写真K)、ジョブコーチが付き添ってのユニクロ、スーパー、家具店での仕事……。
 住まいも仕事場も、まちの中です。

写真F:就労センターの玄関で 写真G:自慢の作物を駅前で販売
写真H:ジョブコーチがついてリサイクルセンターで 写真I:クッキーハウス「ぶどうの木」
写真J:市役所の中の喫茶店 写真K:帯広駅構内のアンテナショップ

 「社会復帰訓練」を終えた人々を、「地域の偏見を取り除いた上で」退院させる、という従来の常識がここでは逆転していました。
 病気を抱えたままで退院し、まちの中で暮らし、働く、その姿を見て、人々の偏見が消えつつあるのですから。

図A:十勝の医療・社会資源
↑図A:十勝の医療・社会資源(クリックで拡大します)

大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2005年7月号より)

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