優しき挑戦者(国内篇)

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写真@:デンマークのでんぐりがえしプロジェクトのみなさん

 「でんぐりがえしプロジェクト」という名を聞いたことがありますか? 専門家の意識を改革するために、精神病を体験した人々を「教師」に、「専門家」を生徒にするデンマークの研修戦略です。
 「教育とは、専門家が非専門家に施すもの」という常識を真っ逆さまに「ひっくり返す」という意味で、この名がつきました。ジョークが大好きなデンマーク人らしく、精神病院の昔の俗称「でんぐりがえし病院」と掛け言葉になっています(^_-)-☆
 人々に感銘を与える力をもつ体験者を選び、表現力と知識に磨きをかけるのだそうです。その主役たち(写真@)にデンマークで会って私は、すっかり感動してしまいました。

 2001年4月から大阪大学人間科学部の授業を受け持つことになったとき、病気や障害をもつご本人を招いては講義をお願いしました
 深い内容に学生、院生さんの先入観は吹き飛びました。精神病体験をもつフォークグループ「ハルシオン」のギターと歌声が校舎の東館に響きわたりました。車いす利用者の身になっての校舎点検や改造計画にきり組みました。病気の体験を弱点と考えず"特技"として生かせる職業を目指す学生も現れました。
 阪大の授業の受け手は、デンマークと違って医療や福祉のプロというわけではありませんでした。これから、行政、海外協力、企業、研究者など様々な世界に羽ばたく若者たちでした。
 2004年、東京に戻り、青山にある国際医療福祉大学大学院の授業を受け持つようになった私に、大学院長の開原成允さんから願ってもない話が持ち込まれました。
 講師を患者会の人たちにお願いし、医療スタッフやそのタマゴたちを聴講生にする13回の公開講義をコーディネートしてほしいというのです。シリーズのタイトルは「患者の声を医療に生かす」。
 開原さんは新病院の建築プランの責任者を二回経験されました。東大病院の外来棟と国立成育医療センターです。開原さんは、こう告白しました。
 「医療スタッフ、事務官、建築家、学外の有識者など多くの人の意見を聞き、良い病院ができたと思っていました。けれど、本来の病院の利用者である、患者さんの意見を聞いていなかったことに気がつきました。"病院は患者のためのもの"と誰もが答えるのに……。その反省からこのシリーズの構想がうまれました」
 こうして、2005年4月からのシリーズが始まりました。
 けして安いとはいえない受講料を払って聴講生が集まってくださるだろうか、最終回まで通ってくださるだろうか、と企画メンバー一同ヒヤヒヤしながらの船出でした。ところが、140人の聴講生は、仕事を終えて毎回駆けつけてくださいました。
 振り返って、思い当たる理由が3つほどあります。

 理由の第1は、講師をつとめてくださった患者や家族の経験者、遺族、30人の話の水準の高さにありました。
 たとえば、図@は、栗山真理子さんのパワーポイントのごくごく一部です。栗山さんはこう話しました。
「これは小児喘息治療・管理ガイドライン2002『患者さんとその家族のためのぜんそくハンドブック2004』の中の、入院した時に行う治療を説明したもので、ゲラ刷り段階で見せていただきました。もとのイラストには、けっこう間違いがありした。左上のイラストは薬の吸入をしているところですが、角度が全然違うんです。右上の角の絵は吸入の絵ですが、カップだけを口に当ててもダメ。それから、注射の針は直角には入りません。それと、子どもがすごく辛そうなんです。喘息の子どもは長期的に検査や注射をしなくちゃだめなので、自分でもある程度覚悟しているんです。あえて辛そうな顔にしなくてもいいんじゃないですか、と日本小児アレルギー学会に提案をして、変えて頂きました」
 栗山さんは「アラジーポット」という親の組織の代表。二人の息子さんは食物アレルギー、アトピー、喘息と"三拍子そろった"重症のアレルギー児でしたが、成長したいま、ホームページをつくるなど、バックアップする側に回っています。

図@:修正前 図@:修正後

図A:3つのバリア

 聴講生を惹きつけた第2は、病気や障害を体験した当事者たちが切実な思いに突き動かされて医療を変えてきた実績でした。
 たとえば、図Aは、尿失禁に取り組む日本コンチネンス協会の副会長、葛西善憲さんのバワーボイントのこれまた、ごく一部です。葛西さんはいいました。
 「20年前、失禁に取り組むお医者さんは、日本に4人しかいませんでした。失禁は、例えば膀胱がんに比べれば、"尊ばれる症例"ではなかった。情報もほとんど流通していませんでしたし、失禁のある当事者も恥ずかしいので、口に出して言う人はほとんどいませんでした。失禁は、医療のバリア、情報のバリア、心のバリアという三重の問題を抱えていたのです。
 私たちの会がまず取り組んだのは、患者さんを受け入れる医療者に、失禁とコンチネンスケアについて十分な情報を持ってもらうことでした。本の出版、看護婦さんへの教育、学会での発表、インターネットへの掲載など、いろんな形で情報を公開してきました。そのかいもあり、2002年時点で失禁専門の外来を持つ病院は230になりました。失禁を研究するお医者さんも徐々に増えてきています」

写真A:看護学校の先生が医療事故の被害者に

 3つ目は、医療スタッフも、患者や、場合によっては医療事故の被害者になりうる事実を実感したことでした。
 写真Aの中央で微笑んでいるのは、ベテランナースで看護教育にたずさわっていた永井悦子さんです。
 「看護の基本は"3度の確認"」と繰り返し説いていた悦子さんが、消毒薬を謝って点滴されて亡くなった背景を、夫の裕之さんは、涙を堪えきれず、ときに絶句しながら話しました。
 永井さんに限らず、壇上の講師たちは、話ししている内に、「その時」に戻ってしまうようでした。
 にもかかわらず、同じ経験をする人がなくなるように、という願いから、体験を普遍化しつつ話す様子に、聴講生たちは、真のボランティア精神をみつけたようでした。

大阪ボランティア協会『Volo(ウォロ)』2005年9月号より)

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