医療事故から学ぶ部屋

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波紋呼ぶ”勇気ある証言”―帝王切開死亡事件の逆転起訴公判

医師仲間の誤り指摘―ニセ看護婦問題にも警告

 医師は、仲間うちをかばうもの――そんな“通例”を破って「とにかく医師自ら出向いて診断すべきだった」と、被告の医師の誤りを明確に指摘する証言が4日、東京地裁八王子支部三号法廷で行われた。
 証言したのは、東京・麻布の愛育病院産婦人科部長、我妻堯氏。帝王切開した患者をニセ看護婦にまかせ、10時間もほったらかしで、死なせてしまった、という業務上過失致死の公判だが、この事件は“勇気ある証言”がなされたということのほかに、かなりの数にのぼる個人経営医院のニセ看護婦問題、その無知が招く危険などへの警告となっていて、波紋を起こしている。

 死んだ女性は、東京都練馬区石神井公園団地、田原章夫さん(40)の妻靖子さん(当時32)。昭和40年7月16日午後4時15分、国立市東1ノ8内野産婦人科外科医院で長女彰子ちゃんを帝王切開して出産した。ところが、その後意識がもどらぬまま12時間後に死亡した。
 起訴状によると、被告の内野閉(とずる)医師(58)は、手術の際の麻酔も医師法に反して看護婦にまかせたばかりか、手術後の観察も、看護教育を受けたことのない2人の白衣の女性にまかせた。

 靖子さんの意識が戻らず、手足も冷たい、顔やくちびるが青い、と章夫氏が訴えても、この女性たちは「人によっては朝まで麻酔のさめぬ人もいる」「手足が冷たいのは、麻酔のあとだから当然」「顔色の青いのはケイ光灯のせい」などといって取りあわなかった。婦長から「2人はベテラン看護婦だ」と聞かされていた章夫氏は、その説明を信じきっていた。

 内野医師は同年8月、立川署から東京知見八王子支部に書類送検されたが、「解剖してないので死因不明」という慶応大学医学部産婦人科の教授の鑑定によって、43年1月不起訴になった。章夫氏はこれを不服として検察審査会に審査を申立て、審査会は「不起訴不当」と議決し、東京知見八王子支部は異例の逆転起訴にふみ切った。

 4日はこの公判のヤマ場で、傍聴席には、地元医師会の医師も顔をそろえた。
 証人席に立った我妻氏は「本件の場合、医師としてどのような処置をとるべきだったか」との検事の質問に対し「手術後6時間の脈拍が118−130であれば、ショックの前触れであると考え、とにかく行って自分で診察すべきだと思います。医師であれば、脈拍も数だけでなく、拍動の緊張の度合いから、病状を推しはかることができる。私なら見に行きます」と証言した。

 被告医師側の弁護人の「この脈拍数は、事件後半年余たって見習看護婦が記憶だけに基づいて書いたものだが」という質問に対しては「私は、資格のない看護婦は使ったことはない。手術後の記録がなく、記憶に頼るしかないなどという事態は驚くべきことだ」と述べた。
 判事の「医師が手術後の患者を診察することは、絶対的に必要なことか」という質問に対しては「もし私の病院で患者がそのような容体になっているにもかかわらず、医師が看護婦にまかせきりで出向かなかったら、翌日私はその医師と大げんかするでしょう」と答えた。

 次回公判は、前回の不起訴のよりどころになった鑑定者、慶応大教授が証人として呼ばれており、我妻氏の証言とどうくい違うかが注目されている。

「氷山の一角」個人経営医師のニセ看護婦

 この事件の場合、2人の女性は、医院では看護婦だといって使っていたが、これまでの公判の本人たちの証言で、1人はこの手術の当時までにすでに9年間も同医院に勤め「看護婦役」をしていながら、1度も看護婦試験を受けたことがない。
 もう1人は、同医院にきて4ヶ月にしかならず、看護婦になるための勉強もしたことがない。しかも、この2人が禁じられている宿直をやり、静脈注射もやっていた、などが明るみに出ている。

 「医師の資格がないのに医師をやるのは、医師法違反のニセ医者です。看護婦の場合も生命を預かる職業でニセ看護婦といわなければなりません。開業医の中には、この種の人を使っているところがかなりあり、この事件は氷山の一角にしかすぎません」と医療・看護婦問題評論家の高野紘子さんはいっている。

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