雑居部屋の部屋

個室ユニットケアを巡る 3つのがっかりと1つの夢
大阪大学大学院人間科学研究科教授 堤修三さん

介護保険スタート直後に導入された特養ホームの個室ユニットケアが今、危機に瀕している。
特養の個室化は長年の懸案であったが、それを実現できたのは、介護保険という新しい舞台と故・外山義京都大学教授の深い人間理解に基づく理論と実証研究であった。外山先生はスウェーデンのグル―プホームの調査を踏まえ、プライベートゾーン・セミプライベートゾーンからパブリックゾーンに至る4つのゾーンが設定された特養を設計し、空間が人間に与える好影響を実証されたのである。多床室の入所者と比較して、個室ユニットの入居者がいかに自分らしさと家族との絆を取り戻しているか、先生の調査研究の結果は極めて説得力に富んだものだった。

02年当時、厚生労働省で介護保険を担当していた私は、外山先生の理論と実践に深い感銘を受け、財務省や関係議員を説得して個室ユニットの導入に踏み切った。
議員の中には、個室ユニットと多床室の一体整備でも良いのではないかという意見もあったが、個室は贅沢なのではなく、人間誰しも個室の住むのが本来なのだと説得したことを覚えている。それは、外山理論が「個であって孤ではない」という人間観に基づくものである以上、例外を認める余地のない全面的な方針転換だったのである。

ところが、10年目にして個室ユニットに対する揺り戻しがきているようだ。
わが国の福祉水準もようやく福祉先進国の背中が見えるところまで来たのに、これでは福祉後進国に逆戻りである。残念至極としか言いようがないが、私ががっかりしたのは、それらの動きが介護保険や高齢者福祉を支えるべき足元から出ていることである。

第1に、当の特養関係者の中に「多床室でも良いケアを実践している施設がある」として、個室ユニットに限定する必要はないとの意見を言う者がいることである。
特養経営者などの組織の代表であった参議院議員も国会でその趣旨の質問をしている。しかし、これは論理のすり替えではないか。多床室でも優れたケアを実践している施設は個室ユニットになれば、さらに優れたケアを行なうことができるからである。そのような認識の施設経営者にはケアの質の向上を語る資格はない。特養経営への民間参入が叫ばれている今日、個室ユニットケアを推進するという民間企業が出てきたら、多床室容認の社会福祉法人は低レベルのケアを行うとのレッテルが張られるに違いない。

2番目は、地方自治体である。
今回の逆流の震源地は、関東地区の都県市であったが、その言い分は、特養の待機者が多いにもかかわらず、より多くのスペースを要する個室ユニットでは整備が進まない、個室ユニットでは利用者負担が高く、低所得者が入居できないというものである。
今までサービスの基盤整備を怠ってきた都県市が言うのも噴飯ものであるが、仮にそういう要素があるにしても、だからと言って個室ユニット原則を緩めるという理由にはならない。特養の整備や利用者負担の軽減が必要であれば、そのために地方自治体として独自の工夫をすべきであるし、それで足りなければ国に、施設サービスの基盤整備や利用者負担の軽減を求めるのが筋だからである。

それらを棚に上げて、彼らが持ちだすのは地方分権の御旗である。地方が多床室でも良いというのなら、国はそれを認めるべきであると言う。しかし、要介護高齢者が最期までの長い年月を過ごす生活の場が個室であるべきだというのは、かつては知らず、今日では個人の権利の域に達している。今どきの学生や社員、看護師などの寮を見ても、それは明らかだ。すでに憲法13条や25条1項によって裏打ちされるに至ったこの基本的人権というべき権利が地方自治体の判断によって蔑にされていいはずはない。
これに対し、「地域主権原理主義者」は、そういう地方自治体の判断も、そんな首長や議員を選んだ住民の選択の結果であり、それらを通じて住民は成長するのだと主張するかもしれない。だが、その主張は憲法には国民主権の条項があって、代表選出の民主的手続きさえ守られていれば、基本的人権の保障規定は要らないと言うのと同じではないか。憲法13条・25条1項に個人の権利保障の条項があり、また、憲法25条2項には社会福祉の向上増進に関する国の責務が規定されている以上、「地域主権原理主義者」の主張は極めて危険と言うほかない。

第3は個室ユニットケアを推進すべき厚生労働省である。
平成21年度の補正予算に基づき都道府県に設置される介護基盤緊急整備のための基金の使途に関し、ユニット型施設以外の施設整備が容認されたのが、その第1歩であった。さらに、本年3月に内閣から提出された「地域主権推進一括法案」において、保育・介護・福祉施設(GHも含む)の居室定員は「参酌すべき基準」とすることを認めてしまい、多床室容認の動きに竿をさしてしまった。その結果、「従うべき基準」である居室面積などと異なり、居室定員は地方自治体の判断に委ねられることになるのである。

だが、居室定員が1人であることと2人以上であることとは本質的に違う。それを連続した数字と見てしまうとは何というお粗末。個室ユニットケアの思想は厚生労働省においてさえ徹底されていなかったのである。こうなれば、新築特養の個室原則を指定基準上明確にするとともに、地域主権推進一括法案の該当条項を修正した上、新築の一部個室ユニット型特養に対する個室ユニット報酬の支払いを認めない方針を断固貫徹して、その汚名を雪ぐほかあるまい。
その上で、次期改正においては特養整備と個室ユニットの利用者負担の在り方を根っこから再検討すべきである。

特養がレガシーホームにならず、ほぼすべてが個室ユニットとなったとして、将来、高齢化のピークが過ぎて高齢者人口が減少に向かうとき、それはどんな施設になるだろう。個室ユニットの特養を高齢者だけでなく、若者の共同生活の場として活用することを考えてはどうだろうか。もちろん、若者が高齢者のケアを手伝うことがあってもよいし、それがケアや人の最期について考える契機となることの意義も大きいが、私は、個々人がバラバラになってしまった現代社会において、若者たちが個室ユニットでの共同生活を通じて人との繋がりを取り戻す術を身につけるようになることを期待したい。将来の若衆宿としての個室ユニット、それが私の夢である。

【月刊介護保険情報8月号より】

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