雑居部屋の部屋

「雑居特養は虐待。人の住まいではない〜地方分権が泣く知事たちの発言」
浅川澄一さん(日本経済新聞・編集委員)

「新しい特養は、全室個室」という規律と意識が浸透してきたのは介護保険制度の大きな成果である。
要介護者の尊厳を謳う介護保険は、認知症本人の発言や介護の社会化による男性介護者の急増などいくつかの介護革命をもたらしたが、施設の個室化もそのひとつだ。
ところが、最近、「低所得者は4人部屋でいい」と唱える知事や市長が増えだした。それも「地方分権」という錦の御旗を押し立て、厚労省の推進する個室ユニット型特養を「机上の理想論」と非難し始めた。
中央集権より地方分権がいいのは当然だが、4人部屋問題で中央と地方が競うのは大間違いである。人権にかかわる「個室暮らし」を地方分権の名で否定されては、地方分権が泣こうというものだ。他の多くの地方分権による規制改革事業にとっては迷惑至極な話でもある。

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なぜ、今、4人部屋論が浮上してきたのか。
特養の待機者が全国で42万人という大集団になったことがまず第一の理由だ。全国6200の特養の定員にほぼ等しい。42万人のうち、要介護5の人が2万6千人。要介護4が4万1千人。合わせて7万人近くが特養への優先入居資格がある。
自治体としては、限られたお金を建設費として投入するなら「待機者を減らすために、一人当たり面積が広い個室よりも、収容人数が多くなる4人部屋で」ということだ。

もう一つの要因は、低所得者がユニット型全室個室の新型特養に入るのが難しいということだ。例えば、年80万円以下の年金生活者にとって、新型特養の1か月利用料金5万2千円は高いハードルだ。従来型の4人部屋なら3万7千で済む。
国民年金の平均受給額は月額5万円前後と言われ、息子や娘の家族からの支援がないと入居は簡単ではない。
この二つの要因を区市町村から突き付けられた東京都や各県が、4人部屋容認に傾斜し始めたわけだ。介護施設の指定権限は都道府県にある。

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もうひとつの直接的要因は、3月に出された厚労省通知をめぐる国と自治体の見解の相違から派生した。今や、互いに罵り合い論争になっている。
そもそも厚労省が「新設特養は個室ユニット型が原則」としたのは2003年4月に出した基準省令とその省令解釈の改正通知。06年には、「2014年度までに特養の個室ユニット比率を70%以上にする」と目標値を掲げて個室ユニットの拡大に本腰を入れる。
その比率は08年時点でもわずか21%。現時点でも40%に達していない。目標値がいかに高いかがよくわかる。それほど厚労省の中では介護の理想形を求める意気込みが強かったのである。拍手拍手だ。

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厚労省が個室ユニット型を宣言した後で、個室ユニット型の「変形」ともいうような建物が現れ、これをどのように扱うかが争点となる。
既存の全室4人部屋の建物の一部を個室ユニットに改築・増築したものである。その事業者には、厚労省がその志を評価してのことだろう、給付額の高い個室ユニット給付を与えた。ところが同様の「4人部屋+個室ユニット型」を新しく建てた事業者には、「中途半端な姿勢」ということでか、個室ユニットとしての給付を出さないことにした。
こうした見解を「厚労省がきちんと表明したのは今年の3月22日の事務連絡通知。それまでは、新築の一部個室ユニットにも、丸ごと個室ユニットと同様の給付となると思っていた」と、自治体側は批判する。中には、頭を抱える自治体もある。

というのも、埼玉、群馬などの県ではすでにこうした新築の「4人部屋+個室ユニット型」に、個室ユニット分の高額給付を支払ってきたのだ。厚労省はこれを「過払い」と言う。もし厚労省の言い分を飲むと、相当額の返還を事業者に求めねばならない。
これに対して厚労省は「(変形型の)給付については、03年の省令解釈時点と何ら変わっていない」と突っぱねている。
この「4人部屋+個室ユニット型」の変形スタイルは、自治体の苦肉の策とも受けとれる。厚労省の70%の目標値を視野に入れつつ、かつまた、低所得待機者の受け入れも考えた、両にらみ策だからだ。

自治体の判断も実は揺れていた。もし自治体が低所得者向けを本気に考えていたなら、入居費用の安い全室4人部屋の特養を建ててもよかった。厚労省は「原則はユニット個室だが、地域の実情に応じて都道府県が判断すれば全室4人部屋も妨げない」としていた。だが「時代の流れは個室だろう」と時の勢いに乗り遅れまいという目先の思いからか、完全4人部屋策はとらなかった。
以前から低所得の待機者は存在していたのでる。

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つまり、給付論争が火を付け、その中から突出してきたのが「4人部屋積極論」だ。
上田清司埼玉県知事は6月1日の定例会見で「相部屋が好きだと言う人もいらっしゃるんです。話ができるとか、寂しいとか。お金だけの問題だけじゃなくて。多くはお金の問題です。・・・また、お金が足りない人には、全部自治体が補助金を出せといって(いうことになれば)、何か子ども手当と同じような世界になってしまいます。一生懸命働いて貯金をした人が、より高額な特養に入り、いい加減やってた人が、たまたま相部屋に入っていると(言うのが現実です。それを)。相部屋はかわいそうだからみんな豪華な特養に入れろ、(そのために)補助金出せなんて言っているのは、不謹慎な話でしょう」と述べている。

かつて、建築家の故外山義さんが調べた4人部屋特養の入居者の実態を踏まえているのだろうか。「4人部屋の4人は、互いに顔をそむけ合い口もきかない」と、外山さんは岐阜県の特養、飛騨寿楽苑での定点観測から報告しており、これが厚労省に個室化への背を押した。施設が個室が当たり前の住宅へと動き出した。上田発言は、歴史の歯車を逆回転させるようなものだろう。

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まず、基本に立ち返ってみる。なぜ、特養は個室でなければならないのか。
答えは簡単。人間が長期間生活する場所に他人が混ざるのは、人類の歴史でではありえないことだからだ。同居の相手は互いに認め合った愛人であり友人であり、家族だけである。時に、学生寮や合宿で相部屋があるが、志が同じ人たちであり、同意したうえでのこと。期間も短い。病室も同様だ。特養に好んで入居したい老人はいない。
すぐそばで、他人がポータブルトイレを使う音とにおいを毎日のように接するのは心地よいことだろうか。自宅で使い慣れた身の回りの愛着品を自由に持ち込めるだろうか。家族や友人が訪れても、気兼ねなく話ができたり、一緒に泊まりこめるだろうか。プライバシーを完全に否定された処遇は、虐待に等しい。

4人部屋と言えば聞こえはいいが、これ「雑居部屋」と呼ぶべきだろう。雑居部屋容認論者たちは、自分が当事者として入居できるだろうか。
認知症の人はさらに深刻だ。雑居という居住環境の激変に対し敏感に反応してしまう。不安が募り、症状をより悪化させ、命にもかかわる恐れがある。
人としての尊厳や誇りを奪われると、生きる意欲を失い、萎縮することがあるからだ。

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とはいえ、首都圏、とりわけ東京区部では土地の価格は高くユニット個室の入居費は、地方に比べ相当に高額になるのは確か。地方では月6万円前後で入居できても、都心では10万円を超えてしまう。低所得者にどのような門戸開放策があるのか。
答えはシンプルだ。特養を施設ではなく「ケア付きの住宅」と考えれば、解決策はたやすい。土台からの発想の転換をすればいい。どこの市町村、都道府県でも自治体の公営住宅はある。入居者の年収を制限し、高額所得者向けではない。その住宅が相部屋ということはない。住宅と言い換えれば、相部屋の発想は生まれない。

施設とするから、病院の延長として相部屋が是認される。介護サービスと住まいを一旦切り離して考えたい。初めから、住まいと位置付けてしまえば、相部屋なんて思いもよらない。
つまり低所得者向けの公営住宅の延長として考えればいい。介護サービスは住まいに外付けされるものと考え、次に重度者には内付けが必要として包括ケアとなる。家賃や食費、光熱費などの利用料は、その次に考える。建物は公設、事業は民営にすれば工夫の余地はいくらでもある。

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話を現実に戻すと、首都圏自治体の「雑居部屋推進」機運に反対する動きも高まってきた。6月27日(日)には、「あなたは雑居部屋で老いたいですか?雑居部屋特養を許さない緊急集会」(東京・星陵会館)が開かれる。
「特養をよくする市民の会」(本間郁子代表)と「特養を良くする特養の会」(池田徹代表)の共催。当日は、先の上田知事から「厚労省の最高のアドバイザーですけれどね。大森先生はね。しかし、厚労省はこれまでほとんど失敗しているからね。アドバイザーも悪いのかもしれませんね」と言われた大森弥東大名誉教授も登壇するという。悪しざまに罵られた大森さんが、どのように反論されるのか注目される。

この集会に対して、東京都高齢者対策部の狩野信夫部長が14日に都内で開催されたイベントで、多くの特養関係者を前にした来賓挨拶で「おやっ」と思わせる発言をした。「今月末に、知識人や市民と称する人たちが、特養の雑居部屋に反対する集会を開くそうです。雑居部屋は人権無視だそうですが、雑居部屋を運営している皆さんは人権無視の仕事をしているのでしょうか」。
役人らしからぬ、感情のこもったなかなか挑発的な言い回しだ。「ユニット個室一辺倒」と厚労省の施策を批判したあと、ついで、といった感じで同集会を宣伝した。首都圏自治体の本気さが伝わってくるような「ついで」の一言だった。おっと、首都圏自治体とひとくくりにしては、横浜市が怒りそうだ。同市だけは「雑居部屋に反対」であるという。

(市民協通信・10・06・16より)

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