ゆきの部屋

■ホテルのロビーのような、けれど、障害への想像力が欠けている施設が■

 病院の外来でドクターのサポートと窓口業務の仕事をしていたときのことです。忘れられないクレームがありました。
 個人情報保護法論議と病院機能評価機構の受審が重なっていました。病院の建て直しをして、施設も新しくなったとき、大きく変わったのは患者への呼び出しアナウンス廃止でした。患者の名前を、マイクを通して中待合に流れるのは個人情報保護に反するというのです。
 ここで問題になったのが、視覚障害のある方々にどのように知らせるかということでした。診察室に入室する順番は、受付時に引き換えられた番号がドアの上に表示して知らせることになりました。すると、視覚障害者に配慮されていないというクレームが相次ぎました。
 また、建て替え後に、中央玄関に何故か回転ドアが採用されました。車椅子の方のために回転の速さをコントロールできるというのが自慢だったようです。しかし、実際には、大変危険なことがあったのも事実で、高齢者や子供、視覚障害者には、様々な問題を引き起こしました。

 このとき思ったのは、統合教育されてこなかった人たちがつくったシステムは問題があることでした。私も含めて、日本の学校教育では、障害の有無によって、別の場所で教育を受けています。そのまま社会に出るので、障害者への接し方がわかりません。障害者も障害のない人への接し方がつかめず、ズレがおこってしまいます。
 法律や行政の決定において、このズレが特に大きな問題を招いていると、今回の講義で強く感じました。障害のある人もない人も一緒に学んでいれば、見えないことへの想像力も自然につくはずです。しかし、知らないままお互いが社会に出てしまうと、生活をともに生きることが無理であろうと思うのです。障害者支援法に関しても、実際の障害者の声が反映されていないからこそ問題であるし、介護に関しても、介護する側、される側の声が多く反映されていれば本当の意味での障害者支援法になるのだと思います。

 結局、病院は、クレームに対応するために、視覚障害の患者さんには、現場の私たちが付き添う形で改善を図りました。回転ドア係としてガードマンを一人配置せざることになりました。まさしく、想像力の無さが招いた結果でした。
 施設を新しくする時点でこのような問題は想像するべきであったし、医療施設は、障害のある人の声を反映した建物にすべきです。
 アメニティーを重要視して患者満足度などから、ホテルのロビーのような施設が増加しています。本当のホスピタリティからはかけ離れてしまっているのではないでしょうか。

医療経営管理分野修士課程1年 坂本弓さん

■障害にかかわっていながら視覚障害を知らなかったことに気づき、衝撃■

 笹川さんのお話を聴いて、「気づけよ!」と天からゲンコツをもらったような気がしました。
 目が見えないということは、闇なのであろうことは想像していましたが、「昼夜の区別がつかない。最近は夜にカラスが鳴く時代で、ますます夜昼の区別が無くなってきている。」という言葉は衝撃的でした。
 「朝が来て起き、夜になり寝る」を何気なく繰り返していますが、これは視覚障害が無いから出来ているなど、考えた事もありませんでした。これに気付かせてくださった笹川さんに、感謝します。同時に、このようなことを意識せずに障害者に日々の生活支援をしていることに恥ずかしさを感じました。

 重症心身障害児(者)、身体障害者と関わっていながら障害者の障害についての理解がまだまだ浅いことを痛感。なぜそうなのかを考えてみました。
 結局は自分の感性の無さ、不勉強ということなのですが、私が関わっている方々は「あまりにも重症で障害を訴えることができない・伝える術が無い」という、分かり切った事にたどり着きました。言い換えれば、伝えられる人との関わりが少ないから分らないのでした。軽い方の延長線上に重度があるのでした。今回のように、訴えられる方・伝える術を持っている方から学べばいいんですよね。

 視覚障害も重症心身障害も、障害が理解されていない、問題課題が多くあることは同じ。どの障害も障害を一律にすることなく、統合教育・共に生きられる社会を望んでいることも同じ。心強くなりました。

看護分野修士課程1年 伊藤 都さん

■改善が必要! 視覚障害を軽んじている要介護認定■

 日本盲人会連合会長の笹川吉彦様のお話で、介護保険の要介護認定判定基準に視覚障害に関係する判定項目がきわめて少ないことを再確認した。
 実はこの3月まで7年間ケアマネジャーとしての業務や港区の介護認定審査委員をしていたが、周囲に視覚障害を持つ人がいなかったためか、当事者意識に欠けていた自分に気付かされた。確かに、運動能力からだけで要介護度が判定されやすい項目になっている。今後の改善が必要であると考える。

 駅などで迷っているらしい視覚障害のある方に出会うことがあるが、どのように援助してあげたらいいのかわからず手が出なかった。「声をかけることが一番大事」との講師の言葉に、今後は「大丈夫ですか?何かお手伝いしましょうか?」と気軽に声をかけ、もし援助が必要であれば、その人の左側に立ち、肩を貸してあげ、半歩前を歩く援助は、自分にもできそうだと思った。
 盲導犬がいれば視覚障害者はどこにでも行くことができ、日常生活に困らないと思っていたが、そうではないことも初めて知った。

 国際水準に比較してわが国のそれは決して高くなく、また役人も含めて理解者が少ないことから、対策が遅れていることを知り、私たち一人ひとりが当事者意識を持ち、周囲に目を向け、声をあげていくことが重要であることも痛感した。笹川様の今後ご活躍を、心から応援させていただきます。

保健医療学専攻博士課程 看護管理・開発学分野1年 藤原 泰子さん

■眼科分野でも視覚障害者の生活を理解している人は少ない■

 「視覚障害者が不便に思っていることを、一般の人々は理解していない」と笹川氏は話された。実は、一般の人どころか、眼科の医療従事者ですら、視覚障害者の生活を理解している人はとても少ない。眼科は眼科医・視能訓練士・看護師・事務員がチームとして構成されることが多いが、4つの職種とも視覚障害者をきちんと理解していないように思う。

 私は、視能訓練士として視覚障害者リハビリテーション(日常生活ケア)と医学的治療の両面に携わっている。その現場体験からいうと、眼科の分野では、「医学」と「日常生活ケア」が乖離している。医学分野では診断と治療に特化しており、視覚障害者が実際に使用しているロービジョンエイドすら知らない医療従事者が大半である。
 一方、リハビリテーションの立場、例えば視覚障害指導訓練施設の指導者の方は、個別指導のためのケア方法や日常生活用具の知識は豊富にあるものの、眼科的疾患の機序や原因特定のための知識、治療で使用されている薬剤の意味等については知らない人も多い。
 笹川氏は「大学の先生はロービジョンという言葉を自然に使うようになったが、我々は弱視という。弱視とロービジョンは違うらしいが私もよく分かっていない」とおっしゃった。私は、かなり驚いた。医学の世界では使い分けるのが当たりなので、盲人会連合の会長さんまでもが曖昧なままであるとは思っていなかった。

 笹川氏が社会に向かって様々な働きかけをしておられることがよく分かった。にもかかわらず、笹川氏の主張が受け入れられていない現実がある。医学的な視点を持つ人と視覚障害者側の視点を持つ人の双方が歩み寄らなければ、お互いの主張が平行線を辿ることになりかねない。笹川氏は盲人であるが故に、医学的な情報を得るためにも大変な苦労がおありだろうとは思うが、視覚障害者に携わるものの端くれとして笹川氏の主張が認められる日が来ることを祈るばかりである。

視機能療法学分野修士課程1年 四之宮 佑馬さん

■目が覚め、初心にかえりました■

 講義を聞いて目が覚めたような気がします。
 私がケアマネジャーとしてかかわったある方のことが鮮明に浮かびました。生活保護で、独居、生活歴は、自慢して他の人に話せるような方ではありません。でも、一生懸命、今を、生きて人でした。私なりに、支援していきたいと思っていました。
 しかし、人間は弱い者。
 凛としていたはずのAさんでしたが、だんだん、ルーズな場面がみえていました。訴えに対して、「またか?」という気持があったのも確かです。最近は、十分気持を聞いて上げてなかったような気がします。
 つい、一般の人と変わりないような接し方をしていたかもしれません。「目がほとんど見えなくなってきた」という訴えも、十分耳をかたむけてなかったかもしれません。眼科受診を勧め、ボランティアの方のおかげで、受診することができました。4級の障害者手帳を持っていたのですが、悪化しているから、変更申請を出すことになったのです。早く、対応して上げれば良かったと、後悔しています。

 目の不自由な人だけでなく、障害にある人への支援のしかたを、初心にかえって考え直さなければと、反省しました。ありがとうございました。

社会福祉経営専攻 社会福祉分野 修士課程1年 畠 淳子さん(ケアマネジャー)

■目を閉じて歩いてみて、気づいたこと■

 非常に大切なことを実感させられる良い機会となりました。
 これまで、視覚障害を抱えた方との関わりはありましたが、ご本人達の生きている世界をあまり体感できていなかったこと,自分自身の配慮不足に、恥ずかしい気持ちになりました。リモコンの操作一つにしても、目が見えている私たちでも間違えるわけですから、相当なバリアですね。

 授業のあと、道端やホームで、目を閉じて歩いてみましたが、点字ブロックを使用しても、目を閉じて10歩も歩けませんでした。視覚に頼らずに、行動を起こすことに、どれだけの神経や労力を使うかを改めて気づかされました。
 道の点字ブロックが、分かれ道や、信号前、階段などの前では、きちんとした違いがあることにも、改めて気づきました。ただ、それだけを頼りにするには、あまりにも、心細いと私は感じました。何度か通っている通路であれば、「これだけ歩いたら、階段がある」など感覚などでも分かるのでしょうが、細かいイメージングをもっていなければ、行動を移していくのはとても難しいと感じました。
 そして、視覚障害の方が、新しい道を歩くことが大変であり、「外出する機会が減少してしまう」というバリアを感じ取れるようになってきました。

 その様な観点から、インターネットを検索してみると、視覚障害者が、トイレに迷わずに済むように、携帯から音声で誘導してくれるシステムを開発しているものなどがありました。このように、少しずつ工夫を凝らしていくことで、少しでもみんなが暮らしやすいまち作りにしていくことが大切であると痛感しました。自立支援法が利用者のことを考えて作られていないことを私自身も感じているため、まだまだ日本の施策は課題が多いことを痛感しました。
 同行サポートする場合の気をつける点についても、非常に勉強になりました。貴重な機会をありがとうございました。

医療福祉経営医療ソーシャルワーク分野修士課程1年 西田 崇大さん

■看護教育のカリキュラムに取り入れたいと思います■

 お話を伺い目が見えないことの大変さを実感しました。
 盲人体験をわずかな時間行ったことがありますが、短時間であっても歩くことの恐さや、さまざまな不安定さを感じました。しかし、盲のご本人は、実際は二度と目が見えることはないのです・・・想像もつかない・・・

 現在は中途失明者が多く、それも高齢者が増加していることを考えると、その方達は大変な状況なのであろうと想像はつきます。自分の身体においても老いに関して受け入れられない状況もあるなかで目も見えなくなることを受け入れるのはとても大変なのだと思うのです。

 笹川さんから、医療関係者に向かって、「障害者に接するための教育をして欲しい」という希望が述べられました。考えてみると、私の勤務している看護学校でも盲人の方に対する教育が薄いと思いました。平成21年に看護教育においてカリキュラムの改正があります。
 そのカリキュラムでは、障害者の方に対する看護を組み入れるようにしたいと思います。
 すばらしい講義をありがとうございました。

助産学分野 修士課程1年 田辺洋子さん(助産師)

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