1948年に始まり、1996年まで続いた「優生保護法」は、「精神分裂病、精神薄弱、そううつ病、てんかん、血友病」など「遺伝性とされた疾患」や障害を持つ人たちを対象に、本人の同意なく、強制的に不妊手術を行い、その数は、1万6500人を超えました。 そのさなかの、1986年から、徳島では、知的なハンディのある人々が、写真のような笑顔で結婚式を上げ、地域の新築県営住宅で暮らしはじめていました。当時、ここを訪ねたとき、この方たちが、実に、幸せそうに結婚式のビデオをみせてくださった笑顔が忘れられません。結婚式に参列した同様のハンディをもつ人々から、次々とカップルが生まれてゆきました。 中心人物だった中澤和代さんから、当時の写真と思い出を送っていただきました。 「みなさんから写真掲載の了解を得ています。上の写真の藤野夫妻は、障害者自立更生等厚生労働大臣賞をいただき、皇居で両陛下にお目にかかったそうです。表彰された時、奥さんのエミ子さんが 結婚って普通のことなのに、なぜ、私たちは表彰されるの?と言ったそうです。」 彼らの幸せそうな様子を見て、その後、僕も、私も、と彼、彼女を見つける人が大勢あらわれ、まるで、青春物語のようでした。家事ができない人たちも結婚を望みましたので、工夫の末、グループホーム制度を利用して、世話人をつけてのスタートも4組ほどありました。明るい未来を予測した彼らの表情は素敵でした。今でもそれは、スタッフ仲間たちによって受け継がれ、年に一組は結婚や同棲カップルも出て、継続しています。この人たちは全部、就労支援もついていますから大変でしょうけれど、支援スタッフは忙しいながら、イキイキ仕事しています」 上の写真の2組は、可愛いお嬢さんを授かりました。 すでに立派に成人しています。 「好きな人がいて結婚した人たちの多くは、児童施設を含む入所施設で、未来への希望なく、20年前後、過ごしていた人たちです。」 「彼らは、自分たちの地域生活や結婚生活をとても大事に考えています。」 「支援の基本は、結婚、離婚、同棲、別れ、と何でもありの現在です。彼ら自身の人生ですもの。何があってもまさに自分を主体的に生きていて、いいな、と思っています。」 「下の写真の藤川さん夫妻は、結婚27年目の2014年に、私たちをマレーシアに訪ねてくれました。計算やお料理が不得意で、20年弱、世話人さんをつけていました。今は社会のいろいろなものを活用して自立しています。素敵ですよね。」 支援しているのは、社会福祉法人愛育会:地域支援センター(旧、社会福祉法人愛育会:若竹通勤寮)です。         (ゆき)