世界ところかわれば

細田 満和子さんの『ボストン便り』
『ボストン便り』第13回
個人のトラブルから社会問題へ

子どもの留守番は犯罪

アメリカに来て、日本と習慣が違うのに戸惑うことがよくあります。こちらでは子どもの留守番は禁じられていますが、ふたりの子どもを持つ身としては、これは結構厄介なことでした。何歳までが子どもかという定義は州によって若干異なるようですが、マサチューセッツ州では12歳未満が子どもとみなされています。そして、子どもが保護者のいない状態で家にいること、すなわち留守番をしていることは、ネグレクト(世話の放棄)という虐待とみなされます。

もし子どもが一人で留守番している時、誰かに通報されたら(市民には見つけたら通報する義務があります)、警察が家に乗り込んできて、子どもは保護され、親は捕まってしまいます。よって子どもを家に残して出かけるときには、必ずベビーシッターを頼まなくてはなりません。ちなみにベビーシッターの料金は、子どもひとり当たり1時間で10ドルくらいします。

また、スーパーで買い物をしようと駐車場に車を止める時、子どもが車の中で寝ていると、日本だったらちょっとの間だから子どもを車の中に残したままで買い物に行ってしまいます。しかしアメリカでこんなことをしたら、やはり警察に通報され、子どもは保護され親は逮捕されてしまいます。実際に、そういう体験をした日本人駐在員夫婦の話は有名で、アメリカに来たとき、真っ先に日本人の知人から忠告されました。

パレンス・パトリエという思想

これがどこから来ているのかというと、パレンス・パトリエという考え方(=「国親思想」)からだといいます。パレンス・パトリエというのは、国には弱者を保護する義務と権利があるという法概念です。その起源は封建時代のイングランドにあるといわれ、イギリスだけでなくアメリカやカナダなどいわゆる英米法の国々においては、深く根付いた概念だといいます。
このパレンス・パトリエに則って、アメリカにおいては、州に生命を保護する強い権利と義務があるという考えがあります。ですから、例えば親が子どもに適切な世話をしなかったり(ネグレクト)、暴力を振るったりすると、それは虐待だとして、州がパレンス・パトリエを行使します。そして裁判所は、弱者保護の立場から子を親から引き離し、親を更正・処罰するという裁定を下すのです。つまり、子どもは親に属しているわけではなくて、「社会の子」である、とみなしているといえます。

このパレンス・パトリエの考え方は、何も子どもだけを対象にしている訳ではありません。成人であったとしても、たとえば家庭内暴力の被害者など、弱者とみなされる場合は保護の対象になります。この考え方が実際に如実に現れている事例として、ここでは新生児医療における親の治療拒否と家庭内暴力(Domestic Violence : DV)を見てみましょう。

親による治療拒否

インディアナ州のブルーミントンで1982年4月9日に生まれたベビー・ドゥは、ダウン症で食道閉鎖と気管食道瘻を合併していました。この子をめぐって、積極的治療(手術)をするか、それとも治療を停止するか、医学、法律、倫理が総動員された広範な議論がおきました。
まず病院において、この子に積極的治療(手術)をすべきか否かということについて、小児科医の間で意見が分かれました。両親はこの子への治療の停止を求めていました。また病院管理者と小児科医の間でも意見が分かれたので、病院管理者は裁判所に助言を求めました。その結果、裁判所の判事は、両親の治療を差し止める権利を認めたので、両親の希望通りにベビー・ドゥに対する積極的治療はされないことになりました。

しかし、ベビー・ドゥに治療をすべきと考えていたある検事は、この裁決に反対し、この件にさらに介入して、連邦政府を巻き込もうとしてワシントンに向かいました。ところがこの介入は間に合わず、ベビー・ドゥは死亡してしまいました。誕生から6日後のことでした。
当時の大統領ロナルド・レーガンはこの事件を重く見て、司法省と厚生省にすべての障害を持つ新生児の治療を義務づけました(Weir 1984:163-165, Pence 2000:301-305)。これは「ベビー・ドゥ規則」と呼ばれました。手術に承諾することを拒否した親たちの何人かは裁判所から親権を剥奪され、子の監督権は州に譲られることになりました。ただ後日談として、この州による医療への介入は行き過ぎの面があったので、アメリカ小児科学会とマスコミが反対して「ベビー・ドゥ規則」は廃止されています。

いずれにしても、親であっても、子にとっての最大の利益の代弁者とは自動的には考えず、場合によっては州が親から子を引き離して、子を保護するというやり方は、パレンス・パトリエの好例でしょう。こうして、子どもは「社会の子」という印象が深く植え付けられました。

DV(家庭内暴力)

次に、DVについて見てみましょう。日本は、DV加害者に寛容な国だとよく言われます。例えば1999年にカナダのバンクーバーで、日本国総領事が公邸で妻を殴って逮捕されるという事件がありました。この際、総領事は「日本では古来から自分の妻を殴ってもいいものなのだ。これは文化の違いだ」と主張したといいます。この発言はこの総領事の個人的発言だとしても、そのように考える日本人もきっと少なくないのでしょう。日本では、2001年にDV防止法が施行され、少しは状況は変化してきたといいますが、妻は夫に属するもので、夫婦間に暴力があっても、一般的に家庭内の揉め事として受け止められているようです。

ところがアメリカにおいてDV被害者(主に女性)は、州によって弱者として保護されることになります。家庭内で夫から妻への殴打などの暴力がある場合、警察に通報が行くと、すぐに警官が家に乗り込んできます。加害者がしぶってドアをなかなか開けないと、壊してまで入ってくるそうです。そして被害者は即座に病院に運ばれるなどして保護され、加害者はその場で逮捕されます。
警官がこのように迅速な行動を取る背景には、州によるDV法ガイドラインの存在があります。手元にあるマサチューセッツ州のガイドラインは31ページに及んで、現場での初期介入の仕方、逮捕の決定、銃器使用の際の対応など、通報を受けてからの被害者救済の手順について事細かくマニュアル化されています。

やがてDV加害者の裁判が始まります。この裁判もまた、州の虐待防止のための法的措置に関するガイドラインに沿って行われます。ガイドラインによると裁判の目的は、被害者を保護するための裁判所命令を出すこと、とあります。
いったんケースが裁判にかけられると、たとえ被害者であってもそれを中止することはできません。なぜかというと、DVは夫が妻に対して犯した罪としてではなく、州に保護の義務と権利のある弱者に対して加えられた暴力だから、州に対する犯罪とみなされるからです。DVがあったとはいえ夫婦の間には愛情もあるし、長い裁判に疲れて妻の側が裁判を終わりにしてほしいと思う時もあるといいます。しかし、そのような場合であっても、裁判は地区弁護士によって粛々と進められるということです。州によるDV被害者保護は、まさしくパレンス・パトリエの思想によるものです。

個人モデルから社会モデルへ

このようなパランス・パトリエは、個人モデルから社会モデルへという社会学的見方とも親和性があると考えられます。社会学では、個人のトラブル(personal trouble)を社会問題(social issues )として捉えようとします。例えば、さまざまな社会問題、ホームレスとか犯罪、自殺などに対して、その人が悪いと弾劾するのではなく、そうさせてしまう社会が問題だと考えるのです。前者の捉え方が個人モデル、後者が社会モデルです。

たとえば、「ホームレス」を個人モデルで捉えると、怠惰や精神障害の結果であるとみなされます。そして「ホームレス」の解決策は、働くという動機付けを本人にすることや、学校に行かせたり仕事につかせることなどが挙げられます。しかし「社会モデル」で「ホームレス」を捉えると、雇用されていないという状況自体、セーフティ・ネットや社会的支援の不足が問題と考えられます。そして解決策は、雇用機会を創出し、セーフティネットを整備し、地域社会の協力体制を作り上げる、などとなります。
ちなみにこの個人モデルと社会モデルを戦略的に使っているのが障害学です。障害学はこの個人モデルから社会モデルへという転換を主張してきていて、障害を治療の対象とする個人モデル(医学モデルともいう)を徹底的に批判してきました。そして、障害を持っていても暮らしやすい社会を作るために、建物の障壁、就学や就職のときの差別を撤廃するバリアフリーの世の中を社会モデルとして主張しました。そして実際に、障害のあるアメリカ人法(ADA)を成立させ、社会モデルの実現を着々と成し遂げてきています。

日本への導入の可能性

それでは、このようなパレンス・パトリエのような発想や社会モデルは、日本にはあるのでしょうか。ないとしたら導入すべきでしょうか。その可能性はあるのでしょうか。ここでこれらの問いにすぐに答えることはできませんが、とりあえずの回答として、日本には一部を除いてあまり根付いていないと考えられ、導入の可能性を考えてみる価値がある、といえると思います。

家族論やジェンダー論によれば、日本では、子どもは親に属していて、妻は夫に属しているという考え方がかなり強くあります。そして、家族の問題は家族で解決すべきという規範が強いように思われます。また、家族あるいは世帯が単位となって、子どもの世話、老親の世話、借金への対応を行うことが、法的にも社会的にも期待されて、実際に行われてきました。しかし子どもの面倒は親がみるべき、老親の世話は子どもがすべき、夫婦間の暴力は夫婦で解消すべきという規範の中では、家族という狭い共同体の中に問題が囲い込まれてしまいます。すなわち、日本では、誰かがトラブルを抱えていたとしても、それがトラブルとして見える形になってさえいないのです。

そこでまず必要なのは、個人を家族という共同体の中から自立した存在とみなすことでしょう。誰々の妻、誰々の子、誰々の親ではなくて、一人の人間としてあるということを、本人も周囲の人も承認することが大事だと思います。そしてその上で、個人を保護する公というものを醸成してゆく必要があるのではないかと思います。その際に、パレンス・パトリエや社会モデルのような考え方が参考になるのだと思います。ちなみに、アメリカは個人主義で自己責任の国であるはずなのに、どうして警察や裁判所といった公の役割がこんなに大きいのだろうか、という疑問を解く鍵もここにあります。子どもであろうが妻であろうが、親や夫の所有物ではなくて個人であり(個人主義)、その個人が弱い場合に限って公が守るという思想なのです。

ただし、個人の自立を声高に叫ぶあまり、家族という共同体を闇雲に解体してしまうようなことには、十分注意するべきだと思います。家族の権利と責任は否定されるわけではありませんし、家族の解体がむしろ社会的病理を生んでしまうことも考えられます。ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の議論を待つまでもなく、人と人とのつながりは重要ですし、家族がその重要な単位であることは間違いないでしょう。社会関係が薄れて個人主義化したアメリカ社会に対する批判書は数え切れないくらいあります。

また、パレンス・パトリエにおける弱い個人を公が守るという発想自体も、十分に注意して用いる必要があるでしょう。先ほど書いたように、パレンス・パトリエの思想は日本にも一部は導入されています。例えば精神保健福祉法二十九条の二では、自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると2名以上の指定医が認めたときは、本人の同意を必要としない緊急措置入院が都道府県知事の名の下に採られます。しかし、このことに対する疑問の声が当事者を中心に上がっていますし、個人に対する公の介入は十分に議論されなくてはならない難しい問題です。
日本にとっては、個人の自立を促しつつ共同体を守るということが最適値を導き出すと思われますが、それははたしてどんな風にしたら可能なのか。今後も考えていきたいと思います。

謝辞:マサチューセッツ州のDV対策制度についてご教示くださった佐藤美保氏、本稿のテーマを考える上で多くの示唆を与えてくれたボストン女性の会の皆様に、心より感謝を申し上げます。

<参考文献>
・Guidelines for Judicial Practice, Chapter 209A Abuse prevention proceedings(マサチューセッツのDV法)
http://www.mass.gov/courts/formsandguidelines/domestic/dvtoc.html
・The Commonwealth of Massachusetts, Executive Office of Public and Security, 2009, Domestic Violence Law Enforcement Guideline (警察のガイドライン)
http://www.mass.gov/Eeops/docs/programs/fjj/vawa/DV_Guidelines_2009.pdf
・Brigham and Woman's hospital Domestic Violence: A guide to screening and Intervention(病院のガイドライン)
http://www.brighamandwomens.org/communityprograms/PassagewayScreening.pdf
・Pence, G., 2000, Classic Cases in Medical Ethics: Accounts of Cases that Have Shaped Medical Ethics, with Philosophical, Legal, and Historical Background, The McGraw Companies.
・Weir, R. (1984) Selective Nontreatment of Handicapped Newborns: Moral Dilemma in Neonatal Medicine, Oxford University Press.
・イダヒロユキ、2008、ジェンダーと貧困―DVを中心として、宇都宮・湯浅編、反貧困の学校、明石書店、128−147。

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