くすりの部屋


「適切な治療を受ける機会を知らされなかった理不尽〜私は普通の生活がしたい」
厚生労働省・薬害肝炎検証検討委員会での 平井要さんの訴え 2009.5.27

本日、私がこの場で私の被害と私が今思うこと、私が委員会の先生方にお願いしたいことを話す機会を頂けたことに感謝します。
私は東京原告19番、平井要と申します。年齢は58歳になります。昨年の春に医師から肝硬変から肝臓の状態が進行していることを告げられました。
今、私は精神的にも肉体的にも大変辛い毎日を送っています。そして、「なぜなんだ」と、どこにもぶつけることのできない怒りがこみ上げてきます。
昨年の春より肝臓の状態は、どのような治療を試みても治る兆しが見えず、現在はステージ4の状態です。1年の間に何回も入退院を繰り返しましたが、ウイルスはすぐ暴れ始めます。「治りたい、治してみせる。」と強く思うも、身体の中のウイルスが私をそっとしてはくれません。

私は普通の生活がしたいです。朝起きて、家族と言葉を交わし、ご飯を食べて仕事に出かける。帰宅して、90歳の母親の一日の話を聞きながら、家内と一日の他愛もない出来事を聞きたい。時間があれば、家内や子供たちとお茶を飲み、共通の友人、趣味などを話す。そんな家族の何気ない会話が今の私にはどれだけ救いか、分かって欲しいです。ほんのわずかな幸せなときはいつまで続くのか、「負けないぞ」と思う気持ちと、「つらい、つらい」と口にできない思いが交互します。
私の肝炎にかかってからの様子を話したいと思います。

1981年、31歳のとき、脳内出血で手術を受けました。そのときにクリスマシンを投与されました。2週間をすぎた頃、箸も持てず、脱力感で身体を起こすこともできませんでした。医師は「肝機能の数値は無限大に上昇してきている」と家族に告げました。私は一人隔離され、1週間面会もなし、食器や洗濯物も他の入院患者と一緒にしないよう注意を受け、やがて非A非Bの劇症肝炎を発症していると告げられ、家族はうつる可能性があるので、なるべく近づかないようにと言われました。
しばらく入院し、様子見の一時帰宅をすると、すぐに数値が上昇し、再び入院を繰り返し、肝炎のための入院は劇症肝炎のため、入院7か月間のうち5か月は肝炎の治療のためでした。

私は自営業を営んでいるため、肝炎だけに振り回されてもおられず、体調も著しく悪いという事もなかったので、そのまま月日が過ぎていきました。
1995年、その病院から突然電話がありました。HIV検査をするよう呼び出しを受け、その際に、私がまだ生存しているかというのが最初の言葉でした。
10数年も経って私への電話があったのはカルテが存在していたからであり、当時の厚生省の全国への指令であったようです。

私は、私の最も大切な治療時期を知らされることもなく、知るすべもなく、見過ごしてしまいました。血液検査をしたのですから、肝機能の状態も出ていたはずです。
このとき、もし厚生省が血液製剤を使用された人で肝機能数値の異常な人などに治療や治療方法を呼びかけていてくれたら、早期に治療ができたと思います。
安全対策課や現在の副作用対策室などのどこかで1960年以後の飯野先生の研究班報告を真摯に取り入れていたら、あるいは、肝機能数値を同時にチェックする指令が出ていたのであれば、私は間違いなく検査に引っかかっていたと思います。
そして、面倒でも緩慢になっていた治療をやらなければと自分の肝臓を治す方法をとったと思います。

2000年、足の骨折で整形外科にかかり、そのときの血液検査で初めて「退院後、大きな病院で肝臓の検査をするよう」に言われました。内科の病院では数値が異常に高く、肝生検、CTスキャン等の検査で、C型肝炎であると言われ、投与から18年目にして初めて自分の身体がすでに慢性肝炎の進んだ状態にあり、肝臓の周りには疱瘡のようなぶくぶくが無数についた状態である事を告げられました。
肝臓は機能が弱く、かなり痛んでいることを告げられ、それからきちんと通院し、健康管理をしましたが、それでも肝硬変となり、現在は肝臓に影が出たり消えたりで、入退院を繰り返しています。

この病気にかかってからの私と、私の大切な家族はともにこの病気に振り回され続けました。高齢の母、家内、子どもへの気遣いや心配が常にありました。ウイルス肝炎になってしまった私だけでなく、治療の情報を手探りで探さなければならないことで、娘、息子、家族全員を巻き込みました。
薬害C型肝炎訴訟原告となるまで、どこに相談し、どこに救いを求めたらよいのか手探りの状態であったと思います。

国は、平成19年12月に、当時の福田総理の決断で訴訟をやめ、和解をすることを決めました。そして、平成20年1月に基本合意書を私たちと交わしました。
私は正直に言えば納得していません。
私の健康は私と家族にとって、お金に代わるものではありません。健康を取り戻したい、健康を返して欲しい、それが正直な気持ちです。
真実、裁判では国も製薬企業も自らの責任を認めようとしませんでした。徹底的に争う姿勢でした。

それが和解案が出るといっぺんに争う姿勢を消し、私や私たちに「大変なご苦労をされた」と言いました。裁判が続いていれば、まだ自分たちには非はなかったと争う様子を見せていたのにです。
医薬行政の監督をするこの国は厚労省も製薬企業も人間の命に対してどのような使命を持たなければならないものでしょうか。

私も訴訟に参加して初めて、この血液製剤の製造と販売がいかに危険で重篤な死に至るまでの副作用をもたらすものであることを知りました。
そして、薬事の監督者としての厚労省のずさんな手続を思い知らされました。
どれだけの人が苦しい生活、別れたくないご家族との永遠の別れをしなければならなかったのか。それを考えると、この罪は永遠に残るのではないかと思えます。

真摯な反省とはどのようなことをいうのか? それが分かるまで、それを許すことの難しい気持ちがあります。
国はなぜ有害性だけでなく、人の生命をも奪うこの薬の販売を容認し続けたのか? 被害者に情報提供をしなかったために、適切な治療を受ける機会を逸した人は、数多くいます。私もその一人だと思います。

私たち被害者も、それぞれが違った環境で長いこと医療費に苦しみ、生活が圧迫されてきました。「治るのであれば、治したい」と願い、この先どのようになるであろうかと不安で生きてきました。そして今、私はステージ4が進んでいます。それに負けず、いかにこのステージを長く維持できるかと闘っています。家族の支えと私自身の精神的に「負けるものか」という思いが、自分を励ましています。

この委員会に出席するのは初めてです。委員の皆様には今の私の様子がどのように写るのでしょうか。
C型肝炎は外見からは健常者と比べて明らかな重篤な状態がわかりにくいと言われています。私は現在、不安定な毎日、浮き沈む精神状態を繰り返しています。肝臓はすでに正常な働きができない状態であり、全体の倦怠感と腹水がたまるのを防ぐことができません。委員の皆様には外見上の状態がわかりにくいように、C型肝炎の恐ろしいところがあります。

この薬害の連鎖を断ち切って欲しいと切に思います。
国の間違った思いや利益を優先する製薬企業がこのような悲惨な被害を起こしたことをもう一度振り返って欲しいと思います。
本当の被害の実態が、私や発言を許されているわずかな人から伝わるか、心配です。被害の実態をおわかりになり、実際の苦労を知って下さい。そのうえで私のような被害者を出さないための改革をお願いしたいです。

提言だけで終わることのないよう、実行動をもって臨む委員会であり、委員の先生方であって欲しいと思います。今一度、先生方に思い出して欲しい事があります。
昨年の6月5日に、今日私が発言を許されたように、何人かの薬害C型肝炎の原告の方が発言されています。その方々の被害の話を思い出して下さい。この薬害は多くの方々の希望を奪い、遠慮して生きることを余儀なくされ、医療費の負担と生活苦の中で闘ってきました。

原告だけではありません。つい5月21日に、一人の女性が熊本でお亡くなりになりました。私はお顔は知りません。その方は、昨年の大臣交渉の機会に一つの文書を託し、大臣が受け取られました。
カルテがなく、原告に加わることができない方でした。一人で子どもを育てなければならないため、治療費を工面する困難から、治療を断念し仕事に戻り、そのため進行が早く進み、肝臓癌になられたと聞いています。
その方が残された言葉に、@生活のため治療を断念しなくてすむような助成を確立して欲しい。A感染症病指定や感染症被害の障害者として、人として生きる道に希望をあてて欲しい。

私も同じ気持ちです。厚労省の調査では、このようなことがわかっているのでしょうか。生活を優先するために治療を後回しにしたり、治療を断念する方々は実際にいます。私は、私の家族のためにも、私自身のためにも、生き続けたいです。「こんな理不尽なことで死んでたまるか」という強い思いで生き続けます。
委員の先生方には二度とこのような悲惨な薬害を起こさない仕組みを確立してもらいたい。
厚労省の薬事行政の被害者として、また利益優先の製薬企業の被害者として、それらを法律をもって制する仕組みを早く作って下さることを心から願います。
ありがとうございました。

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