物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)

第49話 「福祉自治体ユニット」事始め (月刊・介護保険情報2008年6月号)

◆土建行政から福祉行政へ、市町村長が立ち上がった!◆

 土建政治との決別を宣言した「福祉自治体ユニット」がメディアに初めて登場したのは、「福祉の3つの格差をなくそう」という朝日新聞の社説の中でした。
 1997年10月17日のことです。
 「3つ」とは、道路や港湾に厚く、人材養成や福祉拠点づくりに薄い「土建・福祉格差」、高齢化の先輩国と日本の「福祉水準の格差」、「市区町村の間の格差」です。
「公的介護保険法が成立しても、土建・福祉格差の構造が変わらなければ、介護地獄は続く」と続けました。そして、設立準備会を終えた四人の首長の言葉を引用しました。
 「介護は、もはや、家族では支えきれません」
 「住民に最も近い政治家として、解決の責任を果たしたいのです」
 「公的介護保険の成功失敗は、基盤整備の水準にかかっています」

 反響は大きく、電話が鳴りつづけました。
 一番多かったのは「うちの市長は(町長は、村長は)入会しているでしょうか」という住民の心配そうな声でした。
 首長の反応は両極端でした。
 「設立総会に職員を26人ほど連れていきたいんですが構わないでしょうか」という気合の入った首長がいる一方、「隣の自治体は入っただろうか」と、横並びばかり気にしている首長。
 奇妙なのは、「趣意書は、どうやったらもらえますか?」という首長自身からの問い合わせで、これが、かなりありました。
 「趣意書」は、発起人の市町村長28人の名前で、市区町村長全員に送られていました。開封した職員が意味を理解できず、処分してしまったらしいのです。

 11月23日、東京ウイメンズプラザで開かれた設立総会は満員札止めの盛況。代表幹事の4人の首長が、シンポジウムで、「福祉の未来」を語りました。
 4人とは、「敬老の町」と注目されていた秋田県鷹巣町の岩川徹さん、鷹巣を訪ね、人材養成から始めた愛知県高浜市の森貞述さん(第27話)、デンマークで生まれたノーマライゼーション思想に傾倒していた長崎県佐世保市の光武顕さんと埼玉県東松山市の坂本祐之輔さん(第25話)でした。

◆ギネス世界一の太鼓の縁から◆

 話は、92年1月に遡ります。一度も会ったことのない岩川さんが論説委員室に電話してこられました。『「寝たきり老人」のいる国いない国』(ぶどう社)に書いてある話を町のみんなに話してほしいというのです。
 このようなとき、私はわざと3つの無理難題を申し上げることにしていました。
 第1は、首長さんが最初から最後まで聞いてくださること。首長さんが出席するとなると、福祉に関心のない財務部門の責任者もシブシブ参加します。そこで、共通の体験をすると、予算の配分が変わって、不思議なほど自治体は変わっていくのです。
 第2は「スライド映写機を2台用意してください」。日本と海外の落差を映像で体験してもらうためです。
 第3は「現状を包み隠さず見せてください」。そこの精神病院や老人病院で見たことを、「これが、お年を召したときの〇〇助役さん、××課長さんの運命です」と実名入りで話すと、「ヒトゴトではない」と気づいてくださるからです。

 鷹巣町の変貌は目ざましいものでした。
 93年4月には保健と福祉の窓口を1つにし、7人だったホームヘルパーを30人に増やし、24時間対応のホームヘルプに踏み切りました。夏には商店街に訪問看護の拠点を店開きしました。そのカナメがワーキンググループ(WG)による住民参加のまちづくりでした。
 写真はWGの中心人物だった橋本正雄さんと岩川さん。橋本さんは脳卒中で倒れ、まちの人びとに、「情けは人のためならず」を、身をもって示した人です。

 このWGに注目したのが、映像作家の羽田澄子さんでした。95年から密着取材し、96年には「住民が選択する町の福祉」を完成。羽田さんと岩川さんは各地から招かれるようになりました。岩川さんの胸に福祉を志す首長の連合体の構想が芽生えました。まず、名前が決まりました。「福祉自治体ユニット」です。

 鷹巣はギネスブックにも載る「世界一の大太鼓」(左の写真)で知られます。
 その縁で、国際的に知られる和太鼓奏者の林英哲さんと親交を結ぶようになりました。
 その林さんを中心とする和太鼓グループ「英哲ユニット」の力強さと結束力に魅せられたのだそうです。
 下の写真は95年、鷹巣の祭りでの英哲さんです。

◆「住民に参画をお願いする」◆

 ある日、岩川さんから、またまた突然の電話がかかってきました。「同志になってくれそうな首長は誰だろうか」という相談です。
 すぐに3人の市長の顔が浮かびました。光武さん、森さん、坂本さんです。
 写真は福祉と医療・現場と政策の「新たなえにし」を結ぶ会での3市長。左から坂本さん、森さん、光武さんです。
 共通点が2つありました。1つは、『「寝たきり老人」のいる国いない国』を読むやいなや、自ら電話して論説委員室を訪ねてこられるという行動力。
 もう1つは、それぞれ、焼き鳥、醤油、鰻料理を商う家に育ち、「お客さま本位」が身についていることでした。

 岩川さんは、事務局役を「いっと」の編集長だった菅原弘子さんに依頼しました。私は、手元にあった、志の高そうな首長さんの名刺をコピーしてファックスで送りました。
 全国在宅ケアサミット(48話)は表のように、この4人の代表幹事とユニットのメンバーに引き継がれてゆくことになりました。

 厚生省から鷹巣町に出向していた小野博史さん(現・老健局総務課)は当時のことを鮮明に覚えていました。
 「あのころ、首長さんは3200人以上もいたので、宛先を書き、趣意書と返信はがきを封筒に入れて送る作業は大変でした。東京の事務所の家賃、設立総会の会場費、郵送代など、運転資金は岩川町長がポケットマネーで立て替え、趣意書の文章を整える作業は、菅原さんが池田省三さんに頼んでくださいました」

 設立総会で配られた趣意書の文章は、いま読んでも新鮮です。
 「過酷な家族介護と非人間的な老人病院への『社会的入院』は、昔からあったものではない。まったく新しい現象である。かつて家族介護が可能だったから今も可能だという議論は、的外れである。この新しい問題を解決する方法は、介護サービスを社会化していくところにある」
 「これまでの市町村は、この介護の社会化に積極的とはいえなかった。あらためて首長の意識変革、職員の意識変革が求められている。同時に、住民自身にも、福祉自治体の創造に参画してゆくことをお願いしたい」
 「これまでの自治体は公共事業重視の『土建自治体』の性格が強かった。これからは、住民の生活を重視した『福祉自治体』に転換していかなければならない。住民と市町村が主役となり、責任をもって自己決定していく福祉自治体に変わらなければならない。
 これが、われわれの目指す福祉自治体ユニットの目標である」

開催地大会名開催年メインテーマ
岩手県遠野市第1回全国在宅ケアサミット1994年保健・医療・福祉の連携をめざして
広島県御調町第2回全国在宅ケアサミット1995年地域から世代国境を越えた連帯へ
大阪府大東市第3回全国在宅ケアサミット1996年住民の求めている在宅生活のあり方とは
長崎県佐世保市第4回全国在宅ケアサミット1997年介護保険導入、今、私たちがすべきこと
秋田県鷹巣町第5回全国在宅ケアサミット1998年わがまちの介護プランを考える
愛知県高浜市第6回全国在宅ケアサミット1999年利用者本位の在宅ケアシステムへの転換を求めて
2000年 介護保険制度施行
鳥取県西伯町第1回介護保険推進全国サミット2000年介護保険で見えてきたもの〜地域ケアへの展望
石川県加賀市第2回介護保険推進全国サミット2001年地域ケアの構築
埼玉県東松山市第3回介護保険推進全国サミット2002年老いてもいきいきと暮らせるまちづくりを目指して
福岡県大牟田市第4回介護保険推進全国サミット2003年進化する介護保険‐制度のさらなる発展を目指して‐
山形県尾花沢市第5回介護保険推進全国サミット2004年地域主体による介護保険制度の見直し
岩手県遠野市第6回介護保険推進全国サミット2005年自立支援と尊厳の重視
北海道本別町第7回介護保険推進全国サミット2006年地域住民と共同で進める−認知症を支えるまちづくり−
太字は、福祉自治体ユニット初代代表幹事が主催
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