物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)

第44話 介護保険の外で、世界に誇る挑戦が (月刊・介護保険情報2007年11月号)

■若い障害者を制度からはずしたホンネは?■

 北欧は税による介護保障、ドイツやルクセンブルグは介護保険、まるで違う制度のように思われています。けれど、共通している思想があるのです。
 若い障害者を含め、年齢を問わずに介護、介助を保障しようとしていることです。

 高齢者だけの制度にするか、全年齢を対象にするかは、制度創設論議の初期からの大問題でした。
 ドイツの制度立案の責任者、ユング労働社会省事務次官が、95年、来日したときの言葉が、高齢者介護対策本部事務局長だった和田勝さんの記憶に鮮やかに残っています。
 「ユング次官は、日本も、ドイツのように被保険者の範囲を広げ、給付も乳幼児を含めすべての障害者とするべきです、と強調しました。ドイツでは『自立と社会連帯』という考え方が社会の根底にあり、年齢で介護保険の対象を区切るという発想そのものが希薄だったようです」
 けれど、日本は、高齢の障害者と若い障害者の制度を別だてにする道を選ぶことになりました。
 厚生省は次のような理由を挙げていました。

◇高齢者介護の問題は、緊急を要する。
◇若い障害者には、教育、就労、社会参加など多様なサービス体系があり、高齢者 と一緒にはできない。
◇介護の手間のかかり具合を評価する「要介護認定基準」と「障害等級認定基準」は性格や目的が違い、一緒にするには、時間をかけて検討する必要がある。

 「いやいや、それは建前、本音は違う」というのは、「大局的には厚生省の『応援団』である」と自著に書いている日本福祉大学教授の二木立さんです。
 では、そのホンネとは?
 96年、二木さんが里見賢治さん、伊東敬文さんとともに出版した『公的介護保険に異議あり』(ミネルヴァ書房)から引用してみます。

 第1は、財政的理由。
 「高齢者以外の障害者」を対象に加えると、厚生省には、精神病院に入院している大量の精神障害者の「社会的入院の是正」と「在宅(地域)ケアの推進」を行う義務が生じる。しかし、部分的にせよ家族介護に依存できる高齢者とは異なり、精神障害者の地域ケアを家族介護に依存して進めることは不可能なため、障害者を制度に入れると、公的費用が急騰する。
 第2は、「局あって省なし」といわれる厚生省の縦割行政を維持し、行政改革を「予防する」ためである。

 私自身は、若い障害者が加わると"見張り役"になってくれる、というプラス面を提言していました。老人保健福祉審議会の中間報告を前にした95年7月9日の社説「公的介護保険に必要な視点」に書いた「最低限の注文」を抜粋してみます。

 制度の対象を六十五歳以上に限らず、介助を必要とする若い障害者に広げることも、質の向上につながるかもしれない。
 日本のいまの高齢者は、不当に低いサービスにもがまんしてしまう傾向があるからだ。

 介護保険をめぐって激しい論議が展開されていたころ、遠く離れた北海道と富山で、海外にも誇れる実践が、羽ばたこうとしていました。
そして、奇しくもこの2つの挑戦が、2007年10月20、21の両日冨山で開かれた「第3回地域共生ホーム全国セミナー」で、900人の聴衆の心をわしづかみにすることになりました。

■精神病の世界に、ユーモアと儲け話をもちこんだ■

 「記念講演」では、家族に頼らない「精神障害者の地域ケアの推進」を、厚生省とは関係なしに実現してしまった北海道・浦河町の日常が披露されました。
 話し手は統合失調症をおおっぴらにしている岩田めぐみさんと亀井英俊さん(写真、左から2、3番目)、聴き手は、今は北海道医療大学教授でもある向谷地生良(むかいやち・いくよし)さんです。

 浦河町は、「何もない春です」で有名な襟裳岬のとなり町です。かつては地震だけが名物のさびれきった町でした。
 そこの古ぼけた教会に78年、浦河赤十字病院のソーシャルワーカー、向谷地さんが退院した人たちと暮らし始めたのが始まりでした。
 「地域のために、日高昆布を全国に売ろう」という心意気から、様々な事業が始まりました。

 幻聴や妄想を医師に正直に話すと薬の量を増やされて朦朧状態になったり、精神病院から出られなくなってしまう。そう、恐れて、日本の患者さんは幻聴があっても隠すのが普通です。
 ところが、ここでは「私の幻聴さんが……」とおおっぴらに自慢し合っています。その年もっとも奇想天外な幻覚妄想を体験した人が「幻覚&妄想大会」でグランプリに輝くのです。この町にいると「幻聴がないと肩身が狭い」という気分になってくるから不思議です。
 いまでは、人口1万5000人ほどの町に、100人を超える「精神病もち」の人々が、年商1億を超える仕事で、町に貢献しながら暮らしています。
 教育委員会や保健所にも信用が厚く、小中学校に講演にいったり、心のケアの相談に乗ったり、イベントを盛りあげたり……。

 ここでは、社会復帰ではなく「社会進出」という言葉が使われています。
 昆布だけでなく、幻覚・妄想を生かした写真のようなグッズやオリジナル曲のCDなどを、インターネットや、公演巡業で売りさばきます。ただし、一般社会と違って「安心してサボれる職場づくり」がモットーです。

 モットーはこの他にたくさんあります。

自分でつけよう自分の病名
弱さの情報公開
利益のないところを大切に
偏見差別大歓迎
弱さを絆に
勝手に治すな自分の病気
手を動かすより口を動かせ
三度の飯よりミーティング
場の力を信じる
べてるに染まれば商売繁盛
公私混同大歓迎
べてるに来れば病気が出る
そのまんまがいいみたい
昇る人生から降りる人生へ
苦労を取り戻す
それで順調!!!!!!

 介護保険をめぐる論議が激しかった1990年代のなかばに、無名だったこの町を訪れ、感動した3人の男性がいました。記録映画作家の四宮鉄男さん、TBSディレクターの斎藤道雄さん、医学書院の白石正明さんです。
 四宮さんは、『ベリーオーディナリーピープル〜とても普通の人々予告編』というビデオシリーズをつくり、これがダビングされて、ファンが各地に生まれました。
 斎藤さんは、TBSの先輩、堂本暁子千葉県知事が1987年1月、精神病の人々を主役にしてオンエアしたテレビ番組『人間らしく生きたい』の10周年特集づくりを模索し、「プライバシー」を理由にあちこちで撮影を断られたあげく、ここにたどりつきました。そして、筑紫哲也NEWS23で現地中継して世間をアッといわせました。
 白石さんは、『べてるの家の「非」援助論』『べてるの家の「当事者研究」』というユニークなタイトルの本をつくり、精神医療の世界に新風を吹き込みました。
 いまや、地域ケアや精神医療福祉に関心のある人々のメッカになり、「べてる」に魅せられた人を表す「ベテラー」という名前まで生まれました。

■制度の壁を超えて、畳の家で大往生■

 「冨山型」と呼ばれ、富山県内には50数カ所の拠点をもち、全国にひろがりつつある共生ケアのの誕生の物語も波瀾万丈です。
 元祖は、40代はじめのナース3人が冨山赤十字病院をやめ、その退職金をはたいてつくった大きめの家「このゆびとーまれ」です。
 せっかく病気がよくなって退院したのに、家で昼間面倒をみる人がいないばかりに、老人病院に入院することになり、縛られて仮面のような表情になっているお年寄りを見舞った惣万佳代子さん、西村和美さんたちが、「なんとかしなくては」と思ったのが始まりです。

 ところが、93年7月2日の開所の日に訪れた最初の利用者は、お年寄りではなく、障害のある3歳の子を抱いた若い女性でした。「この子が生まれてから1度も美容院にいったことがないので」というのが理由でした。
 ここを頼って、様々な人がやっていました。養護学校から帰っても家に誰も戻っていないという知的障害が重い青年、雇われても雇われてもクビになってしまう知的障害のある女性、喘息がひどくて保育園では預かってもらえない赤ちゃん、半身不随で盲目の少女、全介助の若い男性……。
 そのうちに、思いがけないことが起こりました。
 認知症のお年寄りが、赤ちゃんの顔を見るとニコニコして、面倒を見始めました。全介助の男性の肩をもみ始めました。知的障害の重い利用者が、赤ちゃんをおぶったり、皿洗いをしたり、働き始めました。

 利用者は幸せです。世界のあちこちを訪ねてきた私から見ても、こんな温かで、自然な場には、出会ったことがありません。

 けれど、行政は、はじめのうち、渋い顔でした。
 法律と前例で動く行政にとっては困ったことだらけです。児童福祉法、身体障害者福祉法、精神障害者福祉法、老人福祉法の対象者がごちゃまぜになっているのですから。
 「制度にありません」「前例がありません」「車で迎えにいったら、白タク行為です」「オフロに入れたら、公衆浴場の法律にふれます」「とにかく、行政の範囲でやってください」「困ります」
 障害児をもつ親たちが1週間で100人の署名を集め、メディアが応援し、行政にも理解者が増えて、障害のある人々が通えるようになったのが96年7月。
 介護保険制度創設についての与党合意ができた直後のことでした。

 ハンディを負った利用者を舞台の主役にした右の写真のようなセミナー2日めの締め括りのシンポジウムで、富山県知事の石井隆一さんは、「このゆびとーまれ」のような「共生ケアホーム」を中学校区に1カ所、全県100カ所つくることを約束しました。
 石井さんは、96年当時、地方分権推進委員会事務局次長として、介護保険創設にもかかわることになった人なのですが、それはまたのちの物語で。

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