介護保険が始まる前の年1999年1月の深夜のことです。厚生省老人保健課の森山美知子専門官(現・広島大学教授)からわが家に切羽詰まった声の電話がかかりました。
「去年の秋のあの社説を大急ぎでファックスしていただけませんか」
介護保険の運営基準に「抑制禁止規定」を入れるかどうか、老人保健福祉局内で揉めている最中だというのです。
私は大急ぎでその社説、『縛る医療−「福岡宣言」を全国に』をファックスしました。「あのとき、連絡がとれて、ほんとうによかった」と森山さんはいつもいいます。
いまでは、全国各地で広く行われるようになった「身体拘束ゼロ作戦」ですが、それが日の目をみたのは、いくつもの幸運と偶然が重なってのことでした。
田中ともえさんと「福岡宣言」
最大の功労者は田中とも江さんです。
筑豊炭田の出身。中学卒業と同時に集団就職列車で愛知県の診療所へ。住み込みで、朝は掃除、洗濯、昼夜は診察を手伝い、合間に准看学校に通う内気な、気弱な少女でした。
准看護婦として16年間、精神病棟で働きました。患者さんが縛られても、床ずれだらけで亡くなっても、看護士に殴られても、どうすることもできませんでした。看護の仕事に誇りを持ちたいと看護学校に通いました。卒業と同時に東京・八王子の上川病院へ。
この病院の若き院長、吉岡充さんも、誇りのもてる仕事を模索していました。1985年、志ある仲間とともに「老人の専門医療を考える会」を立ち上げたとき、こう提案しました。
「"抑制"という用語をやめて"縛る"と呼んだらどうだろう。カルテや看護記録にも"縛る"と書いたらどうだろう」
当時総婦長になっていたとも江さんは、共鳴しました。
院内の紐という紐を捨てました。ベッドから落ちるという理由で縛られていた人は、床にマットレスを敷いてやすんでもらいました。点滴の管を抜いてしまう人には、管が気にならないやり方を考えました。その極意は、後に『縛らない看護』(医学書院)という分厚い本に結実することになります。
噂をきいて、お年寄りが次々と転院してくるようになりました。1998年に調べてみたら入院しているお年寄り117人のうち65%が、以前入院していた病院で縛られていたことがわかりました。
縛ることが、人権侵害であるだけでなく、食欲の低下や褥瘡、関節の拘縮、心肺機能の低下、感染症への抵抗力の低下、痴呆の進行など様々な不利益、そして「抑制死」をもたらすこともわかってきました。
けれど、専門家たちは冷やかでした。「抑制してないなんて、軽い患者だけ入院させているからに違いない」「見学者がくる日だけ抑制をやめているという噂だ」
そんな中で上川病院に注目したのが、97年当時厚生省の広報室長だった山崎史郎さんです。上川病院を訪ね、同省の機関誌『厚生』に大きく取り上げました。
私も夕刊の「窓」というコラムに『ポアと抑制』というコラムを書いて、とも江さんたちの挑戦を紹介しました。
「人殺しを『ポア』と言い換えると、罪の意識が軽くなる。『人助け』と錯覚させることさえできる。そんな言葉の魔術は、オウムの専売特許ではない。『抑制』という医療用語でお年寄りを縛る医療界も同様だ」
95年のことでした。
東京の病院や施設が無視する中、とも江さんの故郷、福岡の病院の婦長と院長がことの重要さに気づきました。先頭に立ったのが、有吉通泰さん。保険外徴収しない信念を20年続けている患者思いの院長さんです。とも江さんと吉岡さんを何度も招いて極意を学びました。
そして、98年秋、福岡市で開かれた介護療養型医療施設の全国研究会の席で、10の病院が「抑制廃止福岡宣言」を発表したのでした。
そのことを書いたのが、冒頭の森山専門官の電話の「去年の秋のあの社説」でした。福岡宣言にはこうありました。
「縛らないことを決意し実行する。抑制とはなにかを考える。初心を忘れないため病院内を公開する。この運動を全国に広げていく」
とも江さんや福岡の病院の目ざましい働きに勇気をえた森山専門官は老人保健課の同僚を説いてまわりました。この課は老人病院や老人保健施設を管轄しています。にもかかわらず、あるいはそれゆえにか、「抑制禁止なんてできっこない」「政省令にそんなことを書き込むなんて前例がない」という意見が圧倒的でした。
その時、救いの神が現れました。山崎史郎さんです。このころ山崎さんは、特別養護老人ホームを受け持つ老人福祉計画課長になっていました。
「最初に前例を調べてはいけない」
幸運はもうひとつありました。ふたりの上司にあたる堤修三審議官(現・大阪大学教授)が、前例を吹き飛ばす異色の官僚だったのです。
「どうしたら一番よいか、自分のアタマでまず、よくよく考えること。答えを見つけてから、念のため前例を調べること。最初から前例を調べては駄目だ」
堤さんの後ろ楯があって、前例のない身体拘束禁止の運営基準が介護保険制度に盛り込まれることになったのでした。
このとき、堤審議官が思い浮かべた悪しき前例は精神病院でした。
患者の行動制限には法律で歯止めがかけられている。ただ、原則と例外が次第に入れ代わってしまう、そんな規定だったのです。