憐れみの福祉さようなら(朝日新聞1991年12月4日社説)

 交通事故で手足がマヒした。脳卒中の後遺症で自力で起きられない。重い障害をもって生まれた。こうした人々が「自立生活センター」の助けで次々と自分らしさを取り戻している。
 自立生活センター。日本での歴史は10年前にさかのぼる。この年、米カリフォルニア州のリハビリテーション局長エド・ロバーツ氏が来日した。彼はポリオの後遺症で手足がマヒし、自力では呼吸もできない身だった。にもかかわらず、自宅に住み、局長として腕をふるっていた。

 当時、日本の重症の障害者は、親のもとで暮らすか、施設の中でおとなしく生きていくしかなかった。米国では、なぜ、障害があっても自分の人生を生きることが可能なのか。何人もの障害者が米国に渡った。そして、ロバーツ氏が創始した自立生活センターの働きに目をみはった。
 そこは、重い障害をもちながら自宅に住み、結婚し、自立して暮らせるように、生活技術や管理能力を体得する場だった。介助者のリストを提供し、権利を擁護する組織でもあった。障害者自身が運営し、障害の種別を問わずサービスを提供する、という条件を備えたセンターには連邦政府から運営費が支出されていた。
 日本でも5年ほど前から各地にセンターが誕生し、障害者の身になった介助サービスを提供し始め、全国自立生活センター協議会(JIL)が、先月、発足した。

 障害をもつ当事者を中心にすえる変革は欧州諸国でも著しい。デンマーク、スウェーデンの多くの自治体は、施設にいれば国や自治体が支出するであろう費用を本人に渡して運用を任せる方式を試みている。フィンランドは、法律で義務づけた。
 日本でも東京都、大阪市、埼玉県、札幌市などが介助手当を出し始めた。他の自治体も早くこれに続いてほしい。
 JIL設立総会で発起人の中西正司さんは述べた。「今、歴史が変わろうとしている。障害者が、福祉サービスの受け手から担い手へと役割を変えつつある。庇護された自信のない存在でなく、力強く社会を変革していく存在として」と。
 だれもが、いつかサービスを受ける身になる。「保護と憐れみの福祉」から「自立と誇りを支える社会サービス」へ。この新しい一歩に期待したい。