優しき挑戦者(阪大・ゲスト篇)

「チャレンジドを納税者にできる日本へ」 2002.11.27 午前
プロップステーション理事長:なみねえさん

(記録:ボランティア人間科学講座・小南佳子さん)

―大人気のナミねぇ、遂に阪大に登場!―

ゆき:  今日は竹中ナミさんをお招きしました。プロップステーションのホームページhttp://www.prop.or.jp/に行って、「ナミねぇのスケジュール」をクリックされると、もうぎっしりで。先のほうまで予約が詰まっています。その忙しい中を割いて来てくださいました。このナミねぇさん。

ナミ:  「さん」は、いらないですう(笑い)。

ゆき:  じゃなくて、ナミねぇには、様々なキャッチフレーズがあって。中卒、バツイチ、そして、重度の障害を持った方のお母さん……。それでは宜しくお願いします。後、質問の時間を。11半のつもりでお願いします。

ナミ:  皆さんおはようございます。

学生:  おはようございます。

ゆき:  そうそう、「元不良」っていう前歴もありましたっけ……(笑い)

ナミ:  この茶髪見たらわかると思いますけど。一応白髪隠しなんですけど。(笑い)はじめまして。プロップステーションのナミねぇといいます。宜しくお願いします。なぜか、ゆきさんから突然メールが来て、阪大で生徒さん。生徒さんじゃないですよね、みなさんみんな大人ですから。
 授業の一環でプロップの話をしてもらえませんかって。ゆきさんがこちらで先生をされていることすら知らなくて、東京におられるものだとばかり思っておりましたが、こういう出会いでまた活動のお話をさせて頂けるというような機会を与えていただいて、ありがとうございます。頑張ってお話いたします。

―どん底日本に、新しいエネルギー投入―

ナミ:  プロップステーションは、IT、まあコンピューターとか、コンピューターネットワークですね。そういうITを活用して家族の介護を受けていらっしゃる、施設にいらっしゃる。あるいは筋ジストロフィーのような進行性の障害で病院にいらっしゃる。そういうような状態の方も社会に参加して、社会参画をして、尚且つ働いて。就労して、納税者になろうと、いうように非常に過激な活動をやっている団体です。

 つまり、今まで保護や救済といった福祉のイメージの対象に思われていた人達を社会を支える誇りある国民の一人にしよう。あるいはそうなれる人達である。ということを主張しているというか。そんな日本を実現したいということで、1991年の5月に草の根のボランティアのグループとして生まれました。

 で、1991年の1年というと、どういう年だったかというと、皆さんバブルの。バブルといっても皆さんそんなに実感のない若さかもわからないですが、本当に異常なバブルの最絶頂でしたね。1991年の夏に最絶頂まで行った異常なバブルがはじけてですね、今度は日本の経済はいきなりどん底に落ちた。その年の5月。

 はじけるなんて思わなかった5月の時点で、実はこの活動を始めました。というのはコンピュータを使った仕事というのが、その時代プログラミングということでですね、重要になってきて、これから日本だけでなく世界中で、何十万人、何百万人と必要になってくるといわれていたんですね。

 で、その時にコンピュータを使えば障害をもっている人でもきちんと仕事をできるようになるという風な業界の声もあり、尚且つ重度の障害を持つ人自身もですね、自分達が社会参加をしたり、仕事をする道具はたぶんこれからコンピュータだろうと。何とかコンピュータを使って自宅にいながらでも、あるいは施設のベットの上でも、病院のベットの上からでも仕事をしたいというような声が一部上がってきたわけです。そういうような声を受けた形で、プロップステーションという活動を作ったわけです。

―プロップが生まれた背景には、ある人物が・・・―

ナミ:  で、そのプロップステーションのプロップなんですけれども、意味を知っている方おられますか。Propです。英語ですけれども。実はこれ、ラグビーのポジションです。ラグビーの。ラグビーする方おられますか。この中で。あまり体育会系の方は人間科学部で…。

 何で、私らの活動の名前をラグビーのポジションにしたかというと、私と一緒にプロップステーションを始めた仲間が宝塚に、今も住んでいるんですが、関西学院の高等部で、ラグビーの選手だったんですね。で、スポーツ事故で、ラグビーの練習中に事故に遭って首の骨を折って、全身麻痺に。で、左手の指先だけが動くという状態になったんですね。

 つまり、首の骨を折って、入院し、手術をし、リハビリをしたけれども残された機能は左手の指先がわずかに動くのと、それと首が少しこれだけ動くというこの状態になったのです。で、彼のお家は宝塚で農家と植木屋さんと、マンションの経営をしておられました。で、彼はそこの長男さんだったわけです。

 普通は自分の息子がそういう状態になり、尚且つある程度自宅が裕福であれば、「もうお前、一生とうちゃんとかあちゃんが面倒みたるさかいにな。」みたいなことを言うのが世間一般だった訳です。あるいは、もう少し前ですと障害を持ったこと自身が恥ずかしいことですので、隠しておくとかいうような時代があったんですね。

 ところがそこのとうちゃんかあちゃんは違っていましてですね、彼が自分がこんな体になったけれども何かしたいといった言葉を受けてですね、「お前は長男なんだから、家を継げ。家を継いで仕事をせえ。」こう言ったんですね。かといって彼はもう左手の指先だけで、わずかに動くこの指で電動の車椅子に乗って移動をするということしかできないわけですね。

 つまり、お布団から朝起きるところから家族に起こしてもらって、顔拭いてもらって、食事から下のことから入浴から、とにかく全部介護が必要な状態になった。にも関わらず、家業を継げと、そして、本人もそうしたいと言ったわけです。で、農家っていうのは鍬持たないけませんし、種まかないけませんし、もうこれは無理だと。で、植木屋さんというのも植木を掘ってね根回しをしてね、また植え替えたり。あるいは重い石をかりかりかりかりと、リフトみたいなので吊り上げたりだとか。これも無理だと。できそうな仕事はマンションの経営かなということになった。

 で、彼のとうちゃんかあちゃんと彼自身が工夫をしてですね、この電動車椅子で、マンションの管理人室を電動化して、ドアの前でボタンを押すとドアが開いて、彼が車椅子で入っていって、自分の管理人としての責任あるテーブルですね、その上にパソコンが置かれて。で、そのパソコンに自分で作ったデータベースのソフトが入っていて。で、そのマンションの経営専用のデータベースを彼は組んでですね、それを使って彼は入居者の管理から、税金のことから全部やりだしたわけですね。

 で、そこへ行くまでに彼は高等部で首の骨を折って体がそのような状態になりましたから、まず大学に入ってコンピュータだけでなく色んな学科を勉強するっていう段階を経たわけ。ところが、その当時、まあ、今もそうなんですが、そういう障害があると残念ながら大学自身が受けつけてくれないというのが非常に多いわけです。例えば見えない人が受験しようとする場合に点字では受験できなかったり、あるいは音声で聞きとってそれに解答するような受験ができなかったり、あるいは耳が聞こえなかったり言葉が喋れなかったら、そのサポートがないから、入試は受けられないという形と同じように、彼のように鉛筆でマークをつけるということとか、文字を書く事ができなくなった人は、受験そのものが無理と言われた。

 ところが彼は、高等部の頃からワープロをやってたんですね。で、何とかワープロを持ち込んで体の、身体のサポートをする人と一緒に受験を受けたいという風に要望を出しましたと。で、色々反対もありましたが、最終的には彼はその形で、関西学院の大学部に入試が許可されまして、そして、大学生になり学生同士の支え合い、沢山の方にサポートされながら大学を卒業し、最終的には大学院の理工学の博士課程という所までいって卒業され。だから、その間にデータベースとか全部勉強されたんですね。

 そして、自宅に戻っていよいよマンションの管理人という状態になっておられました。で、私は彼がそういう状態でマンションの管理人を始められる前から知り合いだったんですが、管理人始めたって聞いてですね、びっくりして、一体どんなしてやってんにゃろって。ただ単に、入り口で入って来る人を眺めてるだけちゃうかと思って行って見たら、今言ったみたいにですね、電動の車椅子でそばへ行ってスイッチを押して、自分のデータベースで何号室の人は今月の家賃を払ったとか、何号室の家族何人入居されてるとか、何号室は畳代えなあかん襖かえなあかんとか、何号室は夜逃げしたとかですね。あるいは草抜く人とか、お掃除する人とかきちっと自分で雇ってですね、しかもそれ、知的ハンディの人とか雇ったりして、自分が経営者としてやってらっしゃるわけですね。びっくりしましてね。

 で、私その時に、痛切に思いました。本人が自分の力を社会に発揮したいと思っていて、家族や周りがその気持ちを応援する方向に動いて、尚且つコンピュータのような道具あるいは電動車椅子なんかも含めてですね、科学技術によるその人の力をより高められる道具。つまり本人の意思と周りの前向きな、社会に出して行こうという応援と、科学技術、道具があれば、どんな重度の人でも人から支えられるだけじゃなくて、自分が自ら社会を支える、あるいは家族を支えるあるいはそうして自分自身を支える人になっていくんだということを知った。目の前で知りました。これは、もうとっても嬉しいことでした。

 で、私は彼とですね、こういう道具だてを使って、コンピュータのような道具を使って、一人でも多くの重度の障害者。つまり、福祉の対象で気の毒な人達で、働けないと言われている人達が働けるような、つまり自分の力を世の中に出せるようなグループ活動をしていこうよということで、このプロップステーションを立ち上げたんです。

 その時に彼にどんなグループの名前にしたいかって聞いたんですね。色んな案はあったんですが、彼がプロップにしようって言ったんですね。プロップってなんやって聞くと、自分がラグビーやってたときのポジションがプロップやった。ちょっと待てと。あんたがポジションやっただけで、グループの名前にするんはちょっと安易じゃないかいとかって言うてですね。

 それにはどういう意味があるんやって言うとですね、「支柱、つっかえ棒、柱、支え合い」こういう意味があると。あー、その支え合いっていうのすごくいいやん。つまりですね、今まで障害を持つ人は支えられる側、持たない人は支える側。こんなんいわれて福祉がやられてた。そうじゃなくて、障害持つ人も持たない人も、自分のできる支え合いで、お互い支え合いで社会全体を作っていこうというのが私らの目的ですから、そういう意味でこの支え合いという意味を持ったプロップという言葉はぴったりやね。よっしゃ。しかも、君のポジションやったんやね。よっしゃ。ということで、プロップという名前がついたわけです。

 で、その後のステーションというのは、プロップグループというとなんかへんなグループみたいですから、この活動で、あなたの意識のポイントを切り替えてくださいというような意味合いを持たせてですね、プロップステーションという活動が始まりました。

―ナミねぇのパワーの源である太陽の正体とは?―

ナミ:  じゃあ何で私が彼のような青年との出会いがあったかというと、まあ、今お配り頂いてるレジュメにも書いてありますし、ゆきさんもご紹介下さいましたが、私、娘と息子おりましてね。息子はもう既に33歳。もう皆さんよりもずっと年上ですから、私がいかにおばさんかってわかると思うんですが、若く見えるでしょ?(笑い)

ゆき:  見える見える。

ナミ:  ありがとう。(笑い)無理矢理言わせたりして。下の娘、長女が今年30歳です。で、30年前に彼女が重症心身障害という障害児で授かったわけです。重症心身障害といってもイメージが湧きにくいと思うんですが、色んな障害がどれも重くって、重なっている人のことを重傷心身障害者と日本では呼んでいます。で、娘の場合は言わば、大変重度の痴呆状態で一生を送る、その内の今30歳なんですね。

 例えば、目で言うと皆さんうすく目をつぶって、手を前で動かしてもらうと影が通るのがわかる。ぎゅっとつぶったらだめですよ。見えなくなっちゃう。これを、光覚と。光の感覚と書いて。ものの形は見えないけど、影だけがぼんやりと見える。ですから、普通は全盲と呼ばれるんですけど、そういう目の状況。とっても綺麗な目をしているんですけどね、残念ながらそういう状況です。

 それから、音は聞こえているんですけど、その音が何を意味しているかは一切判断できません。それから声は出るんですが、言葉は赤ちゃんが「うー」とか「あー」とか産まれてすぐ、言いますよね。「まんまんま」とかよりは、ちょっと手前の、最初に気持ちのよい時は心地よい声を出し、機嫌の悪い時は心地悪い声を出すというような。つまり人間の感情が、「快」と「不快」に最初わかれるわけですが、その快と不快にわかれたまんまの状態というわけです。

 後、身体の方は産まれてから何年間はすごくちっちゃくって、体もぐにゃぐにゃで。本当にこんにゃくと同じぐらいで、体も頭とお尻がくっつくぐらいに真っ二つにもなっちゃうぐらいぐにゃぐにゃだったんですね。で、そんな体ですけれども、今はお陰様で手を引いたり、少し自力ででも歩くという状況になってきている。ただ、精神の障害もとっても重くて、皮膚の接触の障害。要するに、かあちゃんもゴミと一緒何ですね。抱っこされたりするのが嫌、色んなものに触れるのが嫌。だから、自力でおっぱいとかも吸ってくれないわけですよ。産まれてすぐに授乳するっていっても、自分でおっぱいを絞って、それをほ乳ビンに入れて、湯煎して、冷めてしまってますからね。温めて、またそれを今度はスポイトで口に入れてやるみたいなことも最初はしていました。

 ところが、もしかしたら皆さんの中にもお母さんがいらっしゃるかもしれませんが、産まれて暫くの間、1日2時間おきぐらいにおっぱいをあげなくちゃいけない。だから、絞って湯煎して、スポイトで口に入れて、「あ、飲んだ」と思うと2時間経っていて、また絞っているみたいなことをやっていたんですが、残念ながら体はほとんど大きくなってくれなくて、ぐにゃぐにゃで泣き声も殆ど聞こえないというような赤ちゃん時代がありました。

 で、彼女をどういう風に育ててやったらいいかという知識が私には全然なかったんですよね。で、上のお兄ちゃんは三つ年上で、障害持たないお兄ちゃんでしたから、重度の障害を持って、重症心身でしたから、どうやったらこの子は楽しめるんだろう。どういう風に育ててやったらいいのか、全くわかんない。どんな育児書を見ても、そんなマニュアルを見ても、「もし、あなたの子どもが重い障害を持って産まれてきたら、こうしてあげたらいいよ」と書いている本は残念ながら、1行もなかった。

 当然障害を持つ子どもさんのお母さんは色んな病院で相談して回るのですが、私も同じように回りました。ところが、残念ながら専門家であるお医者さんの言われる事は、「お母さん、こんな子産んであんたのせいじゃないからがっかりしちゃダメよ。」とか、「元気だすんだよ。」とかそういう慰めを言ってくれるばっかりだったんです。で、私は慰めてほしかったわけじゃなくて、どういう風にしてやればいいか教えてほしかった。要するにノウハウを教えてほしかった。ところがそういう風なことは教えてくれないで、出てくる言葉は大変ですね、気の毒ですねばっかりだったんです。

―父の悲痛な決断が更にナミねぇにパワーを与えた―

ナミ:  そこへもってきて、私の父親が、つまり娘からするとおじいちゃんですよね。おじいちゃんが、「わしがこの孫を連れて、死んでやる。」と言い出したんですね。で、おいおい待ってくれと。一体何をいうんやと。おじいちゃんが言うに、「お前が絶対に不幸になる。お前が大変な目にあう。こういう子育てはお前が不幸になる。だから、今の内からこの孫を連れて死ぬ。」というんですね。これが冗談で言ってるんかなと初め思っていたら、本気でいうとるんです。

 父はですね、戦地、戦争に行きまして、南方に行って戻ってきてから結婚して、私が産まれて。遅い子どもだったんです。だから、すっごく可愛がってくれてましてね。私が産まれた後、近所の人に笑いもんになってたそうですが。父が私を背負って寝るまで軍歌を子守唄にして育ててくれたって、「麦と兵隊」なんて私今でも子守唄代わりに覚えているんですけど。そういう父だったんです。もうね、目の中に入れても、こんな娘だったのに、痛くないみたいな父。その父がほんまに真剣な顔してね、わしが連れて死んでやる、それがお前の為やみたいなことを言うわけですよ。

 その時ね、私二つのことを思いました。一つは、絶対とうちゃんと娘を死なせたらいかん。つまり、これが父が言うように大変なことで、不幸なことでと言うのを一切言わないようにしようと。つまり、そうでないようにしようと。いうのが一つでした。そうでないと、本当にすぐに連れて死ぬなあというのがわかりました。それが一つ。で、もう一つが、幸せとか、不幸とかいうのを例え自分の親とはいえ、人から決められたくないなぁと。それは自分が決めたい。どんな状況で自分が幸せなのか不幸なのか自分で決めたい。

―自分の人生は自分で何とかする!―

ナミ:  先ほどから何度もあるように、私実はすっげぇ不良でした。学校も中学しか出てないんですが、一応、あの高校入学はしたんですけれども、その当時ですね、高校入ってすぐに同棲しまして、ばれまして、不純異性交友ということで、退学になりました。退学だけならいいんですが、その当時は手をつないで男女の学生が歩いただけでも停学、退学でして、喫茶店に入ったらもう何日間か停学というぐらいだったんです。その当時に一緒に暮らしてると。最終的には結婚したんですよ。結婚したんですが、付き合ってる段階だったんで、退学だけじゃなくて、学籍抹消と。

つまり、この人はこの学校には存在しなかったということになって、私の学歴は最近稀少価値の中卒ということになりましたが、誇りあるというか、珍しいんですよ。この頃本当にね、いないですよ。中卒の人は。で、うちなんかね、時々ボランティアの人が手助けに沢山来てくださいますけど、その中で「私ね、高卒なんですよ。」なんて恥ずかしげに言ったりね「僕高卒なんでねぇ」なんて言う人がいて、「何言ってんの。私なんか中卒やで。」なんて言うと急に元気になったりしてですね、そういう風に人に元気を与える中卒なんですけれども。まあ、話が横に逸れましたが、そういう状態でですね。

 まあ、学校嫌い、勉強嫌いで、趣味は家出と木登り。クリスマスの晩に土管に新聞紙ひいて寝てたとかですね。もう訳のわからん子だったんです。ですから、どうせ道外れてるんですね、私なんか。どうせ道外れてるんだから、これが幸せとかこれが不幸とか外れてない人から言われたくないというのがありました。だから、これを、この状況を幸せにすることだって絶対できるはずやという風に父に言いました。だからそんな迂闊な事考えてくれるなと。

 だけどどう育てたらいいか、楽しく育てたらいいかという課題は残っているわけですね。何でお医者さんが教えてくれないのかというのを、色々な所に診察に行っていてわかりました。つまり、薬や手術など医療技術で治せる人は患者なんですね。治せない状態になって、障害者、障害児と呼ぶようになったとわかったんですよ。ですから、障害児のおとうさんおかあさんとのお付き合い沢山ありますけど、子どもが障害持ってるってことで一番悲しんだ、一番もう無理やって思った、拒否感、諦めたりするのが、親がお医者さんという時でした。

 ああ、なるほどなあ。専門家っていうのもそんなもんかいという。専門バカという言葉ありますけど、そうなんやなという。なまじ自分の専門分野の限界を知ってしまうが故に、その限界を超えられないと思っちゃう。これは専門家になるっちゅうのも考えもんやなぁと。じゃあ、専門家に頼るのはやめようと。

―「違い」を共に学び、協力して考えていきたい―

ナミ:  といって私がはっと気がついた方法は、見えない。彼女が見えないんやったら、見えない人とつきあったらいいわけですよね。今、見えないけど社会生活をしているという人とつきあったら、見えないことの不便さとか、何が困るとか、だけど見えなくってもこういう風に生活しているとか、こんなことができるとか、こういうことを楽しむとか。教えてもらえるじゃないですか。聞こえない、喋れない人と付き合うことによって、聞こえない、喋れないことによる不便さ、困る事。だけどこんな風にして生きている、自分達は生活しているという知恵を教えてもらえる。動けないとしたら、今動けない、移動困難という人とつきあって、あなたは今動けないけど本当はどんな動きがしたいのかとか、社会がどうなれば、どんな道具があれば動けると思うかということをいっしょに考えていきたいと。

 で、精神の障害って本当に見た目ではわからないですよね。うちの娘でもやーっと泣き叫んで狂ったようになってるときはわかります。あるいは抱っこしようとして、あーとなるときはわかる。それはわかるが、それ以外、見た感じではわからない。一体精神の障害って何なんだろうということも精神の障害を持つ人とつきあう。あるいはその人達をサポートして身近にしている支援の人達とつきあう。ゆうような形でですね、そういう障害を持つ人、当事者達と付き合い続けてまあ、今日きているわけです。ですから、私ボランティアと呼ばれたり、そういう方とお付き合いしているものですから、ボランティアしてると呼ばれたりしてきましたが、実はそうではなくて、単に出発はかあちゃんのわがままです。私自身が自分の娘と心地よく生きていって、私自身も心地よくありたいというのがこの発動。私の最初の出発だったわけです。

―「かっこいいセダン」は見るだけでなく、感じるもの―

ナミ:  そういった中で、先ほどいった左手の指先だけでマンションの管理人をはじめたという青年とも出会いました。で、その時に、私は本当に自分の娘のように100%家族や社会が保護してやらなければいけない人っていうのはそんなに沢山いないことを知りました。それ以外の人はどんな障害を持っていても、その人なりの思いとか、意志とか、目的とか、目標とか、不平とか、不満とか、夢とか。もうとにかく、あるいは、何々ができるとかというような事をですね、もっていらっしゃる人達なんだなぁということを嫌と言う程知った。

 例えば全盲のお友達が沢山いらっしゃるんですけど、そういう全盲のお友達と会議に出たことがあるんですね。いつもはテーブルを向かい合わせて意見交換をしていたんですけど、ある時途中からいっしょになって会場に行こうということになって、その人ぽんと私の肩に手を置きはったわけです。見えない方と一緒に歩く時、肘のとこへ手を当ててもらうか、肩に手を置いてもらって歩くというのが普通の歩き方なんですが、その時、
「いや、ナミねぇ声低いからおばさんかと思ってたけど、結構若いじゃん。」
 とか言ってくれたりしてですね、
「ありがとうありがとうってそんな事だけでわかんのかい。」
「わかるわかる。」とかですね。
「でも、昨日徹夜したんちゃう。」とかね。
「何でわかんねん、そんなん(笑い)」
「いや、ちょっと肩の凝り具合が…」
「あー、そうですかぁ。」って。
 で、その人と一緒に行って、ドアを開けると開けた途端に、広い部屋やのに
「今日はあんまり集まってないねぇ。」とかいわはったんですよね。
「あんた見えへんのとちゃうのん。」
「ああ、見えへん。でも自分の体から空気が出てきて、部屋の壁に当たって戻ってきて、部屋の広さっていうのをほぼわかる。それから、普通の見えてる人ならば見えてるが故に人数数えてしまうんやけど、見えない人はわずかな息遣いとか、衣擦れとかわずかなそういうあれで、どれぐらいの人がいるかわかる。」というんですね。
「ひえー、すごいねぇ。」って言って。で、まあ、会議が終わって帰り車乗って帰ろうっていって車のドア開けた時に、
「格好いいセダンやね。」
 って、「ちょっと待ってよ!あんた本当に見えへんのんかい!」って言ったら、
「見えへんから白い杖ついとんにゃ。」って。
 その白い杖で床の材質から何まで、勿論厳しい訓練をされてこうなられたんですけれども、わかるんです。

―誰よりも整頓されている部屋は、全盲の方の部屋だった!―

ナミ:  で、私と全盲のその人ともう一人の全盲の方同士で結婚されまして。片方の方は遺伝的な緑内障で、進行してなくなられたという事で、子どもさんもそういう視覚障害を持つ可能性があるということで、すっごいお二人悩まれたんですけど、悩まれたんですけれどもやはり結婚したいと。子どもも産んで育てていきたいという風に決意して、子どもさんも出産されたんですね。

 だけど、ご夫婦目が見えなくて、どうやってね、子どもさんを育てていくんだろうと思って、産まれた時にお家訪問させていただいたんですよ。まあね、自慢じゃないけど私の家はきたないです。そこらじゅうに何やかんや散らばってる。もう、彼女の家は違う。もう、完璧に片付いているんですね。何がどこにあるかっていうのは、もうどこそこの引出しの何番目をあけると右側に子どものおむつが並んでいて、子どもの産着が並べてあって。その隣りの何番目の所には自分の肌着や衣料品があって、夫のがあってみたいな。もうとにかく、家の中のもののあり場が完全に決まっていて、きちっと整頓されていて、自分の頭の中にその地図ができあがっているんですよね。すごいなぁと思いましたね。本当に、私の自分の部屋と比べてこんなに恥ずかしかったことはないです。

 ところが、全盲の友達が一人でアパートを借りる時に、不動産屋さんに全部断られたんですね。理由は見えへん人に貸したら、火事出すっていうそうです。火事出すのは私のような人間ですわ。(笑い)火消し忘れて出たっていうような私のような人間。彼女のような人には絶対にありません。でも、世の中っていうのは見えないイコール危険。火を出すとか、片付けられないって思ってるんですね。

 でも、赤ちゃんが産まれてらっしゃって、例えば湿疹ができて、赤くぷちとなっていてお薬塗ってあげたりするじゃないですか、だけどそんなん見えないわけでしょ。そういうのどうするのって聞いたんですよ。もう、本当にね、赤ちゃんの全身を毎日こう、なでるんですよ。で、もう、ちょっと吹き出物があればわかるよと。何も困らないよっていわはる。はー。でも、熱とか出て、例えば体温計で計ったときに、体温計読めないじゃないですか。今は音声で読み上げるとかありますが、昔はそんな生意気なものはありませんでしたよ。ここ、こう挟んで。で、どうするのって。いや、赤ちゃん抱っこしたら体温わかるって。でも、どうしても万一、何度かわからないといけない時は計った後、隣りの人に見てもらいに行くって。

 そりゃ、そうやろなって。もう本当にその知恵っていうかね、もうそんなんを一杯一杯教えてもらってですね、私その時に、世の中が福祉福祉福祉って綺麗な言葉で偉そうに言っているけれども、実は障害持っている人のマイナスのところだけみてね、埋めようとしている。これが日本の福祉なんやってことに気が付きました。つまり、その人の障害によって隠れている、その人の能力、あるいは何々したいという思いに全部蓋をして、ここができない、ここは無理という所を数えてそれをしてあげてるという。お金さしあげたり、手をさしのべてあげるとか、あるいは地球を救うとか。色んな事言ってですね、自分達よりも劣る人達って使われている福祉のお金が福祉予算っていわれているんですよね。

―眠らされていたパワーを呼び覚ませ〜「障」「害」を押し付けられて―

ナミ:  これはね、私日本の国は何て無駄な事をしてるんやろうと思いました。本当に100%必要な、私のような娘のような存在もいます。お年寄りでも重い痴呆になって家族と共に生活できなくなったという人もおられます。そういう人達が働くとか、なかなか社会参画とかは現実的に難しいので、本当に手厚く保護が必要かもわからないけれど、それ以外の人達は必ず、何か社会に出せる力が眠っているにも関らず蓋をして、そして期待しないわけですよね。

 人間何がくやしいって、期待されないほどくやしいことはないですよ。あんたには期待しない、代わりに何々してあげるって言われたら、大半の人は、それはやっぱり、馬鹿にすんなって思うわけですよ。けれども平然とそれを福祉という名前でやっているということは、しかも年金とかもらっていても彼等は嬉しいと思っていないわけですよね。認められない代わりにもらったお金なんか嬉しくないんです。

 自分達は認められたい、何かしたいんですよね。もちろん全ての人ではありません。そこまでの意識じゃないかたもいらっしゃいますが、沢山の人が、私が出会った沢山の障害を持つ人がそういう気持ちを持っていました。つまり、福祉予算って使っていながら、それに対して恨みつらみが返って来るというわけのわからないことになっている。これはおかしいと思っていました。

 それともう1つは障害者という言葉です。障害者という言葉。私の娘も重症心身障害者と呼ばれているんですが。まあ、18歳未満は障害児と言います。ちなみにうちの娘のように重症心身障害の障害者は一生児童の扱いを受けます。日本の法律ではね。児童の扱い。ですから、30歳になりますけど児童の扱いです。で、この字ですけど、ちょっと、分解したらわかります。これ、差し障るとか、差し障りという字ですよね。で、これ害ですよね。この二つ並べたこの言葉のどこにポジティブなイメージがあるでしょうか。

 私ね、確かに何にもできひん自分の娘なんだけど、結論から言うと私が今の私で、不良でバイクで死んでなかったんは、はっきしいって娘のお陰ですよね。娘の存在がなければ私はこういう風な人間に育っていないわけですよね。1個1個、彼女の1個1個が私に色んな目線とか、考え方とか発想法とか与えてくれるわけです。それで今、プロップステーションという活動もしているんですが。だけど、世の中ではこういう風に読んでしまう。差し障り、害という字を並べて読んじゃうんです。これどうにかならないのかと。全然ポジティブじゃないやん。私長年思っていました。

―神からチャンスを与えられた人達―

ナミ:  で、思っている方は世の中に沢山おられたかと思うのです。私もその中で思っていました。そしたらある時ですね、アメリカにいらっしゃるプロップの支援者の方が、最近アメリカでは障害者のことを「ザ チャレンジド」と呼んでいると教えてくれたんですね。ザ チャレンジド。ちょっと下に書いたら見にくいかな。綴りはchallenged こうですね。頭にTheつくんですけどね。この言葉を今プロップで実は使っていますが。

 で、このザ チャレンジドという言葉が生まれてきたのはなんでかっていうと、handicapperとか、disable personとかdisabilityという言葉がマイナスを強調しすぎているということで、言葉を変えようと。アメリカ人のお父さんがいらっしゃる、お母さんがいらしゃる、子どもさん。ハーフだっていうね言い方をしていますが、最近ではダブルだっていう言い方をしますよね。

 で、それと同じように言葉をアメリカはどんどん変えていくんですよね。で、handicapperとかdisabilityというマイナスを強調している言葉を変えようと。で、生まれてきたのがこのチャレンジドだという。チャレンジャーっていうのは挑戦者ですよね。だけど、このチャレンジドの後ろのedはなんやろう。私中卒ですから、こんなもんがつくともうわからないんですわ。過去形?習ったような気がする。受身体。チャレンジされる。ますますわからん。なんじゃそりゃというと、「神から挑戦という使命や課題、あるいはチャンスを与えられた人」とそういう意味なんですね。つまり、人間には生まれながらに自分の課題に向き合う力がある。与えられている。しかも、その課題が大きければ大きいほど、向き合う力が沢山与えられているよという意味なんですよねチャレンジドパーソン。

 ひえー、すごい意味だと。私が言いたかったこと、これ。これよ!みたいな感じでした。しかもですね、この言葉を私がアメリカの方から教えていただいたのはあの阪神大震災の直後だったんですね。私神戸の東灘から来ました。家が神戸の東灘なんですが、あの阪神大震災でうちの家全焼。丸焼けになったんですよ。で、まあ阪神間でこのプロップの活動を立ち上げていましたので、スタッフも関係者も全員被災者になってしまったんですね。そういう時にこの言葉を聞いたんです。

 で、教えてくれた彼によると、このチャレンジドという言葉は日本でいう障害者だけをあらわすんじゃないんですよ。震災復興に立ち向かう人はチャレンジドだというような使い方をするって聞いた。もうぴったりです。ああ、じゃあこれからプロップステーションでは障害者と言わずに、チャレンジドという言葉を使って行こうと。チャレンジドと思える自分、あるいは自分達を目指そうということでこのチャレンジドを使い始めました。

―自分を発信する手段、それは税金の支払い―

ナミ:  で、今私達のキャッチフレーズはですね、また、これは過激なんですが、チャレンジドを納税者にできる日本。ね。なんなんだ。私らがこういうキャッチフレーズを言ったときに、皆さん声を揃えて言いはりました。「あなた達は税務署の回し者ですか。」違います。日本でね、納税ってこの字を書くからね、いかにもお上に年貢を納めるってなるんですよね。でも、これはtax payerつまり税を出す人。税を出すということはどういうことか。

 ご存知の通り、社会のインフラというのは税で整備されています。この学校だってそうです。私学でも公立でもそうです。色んな箇所のインフラの整備に税が使われている。つまり、税を出す人っていうのは社会の株主と一緒なんですよ。発言して、自分が出した税でこの町や村やあるいはこの場所がこうなっているということを見て、見続けて意見を言う。しかも社会を整備する誇りある一員になるということ。そういう意味合いを込めて「納税者にできる日本」ってね。

 でもこのキャッチフレーズを掲げた時にね、非常に反論、異論ありました。特に、反論、異論あったのが、障害者とか福祉関係者とか当事者団体といわれる人達でした。どういう反応が大きかったかというと、福祉というのは税金からなんぼとってくるかというのが福祉や。税金払うというのが福祉じゃない。うーん、わかりやすすぎるなぁ。と思ったんですが。これをこのまんま言葉の通りにとったらそうなるかもしれませんが、私は税金から取ってくるのが福祉だとは思っていません。やっぱり意見を言い、自分を発信していくというのが本当の福祉で、それができるようにしていくのに使われるのが本当の予算の福祉予算と言おうじゃないかというような意味合いを込めたんですね。

 で、ところがこのことはね、関西のおばちゃんやからこれぐらい過激なことを言うていいやろ思って言い出したんですけど、これ私の言葉じゃないんです。実はケネディ大統領の言葉なんです。ご存知ですか、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領。ケネディが大統領になって最初の議会に提出した初志表明の社会福祉の所に彼ははっきりと発言しているんですね。私は全ての障害者を納税者にしたいと。

 これはどういうことかというと、自由主義国家の経済の中で誇りある国民という。誇りを持たすというのはこういう事だというのを彼ははっきりと言っている。彼は自分の大好きな知的障害を持つ妹さんを、ケネディ家は沢山、障害を持つ子どもさんがいらっしゃるんですが、まあ、そういう実感も彼はあったのだと思います。そういう彼が最初の議会に提出しました。

 これが1962年の2月1日。その翌年に彼は暗殺されちゃったんですけれども、彼のそういう議会に提出した言葉の中にこれがあったという、私は原本ではなく翻訳されたものを読みました。すごい衝撃でした。で、いつか、こういう意味合いが広まっていく日本になってほしいなぁと思っていたんですけど、逆に日本のようにいわゆるお上が強くって、税を年貢みたいに納めて、自分らは何かお上がしてくれるのを待っていて、お上が何か失敗したらつついて、みたいな。

 この関係の中でね、その強力な力を持っている官の側がこれいきなり言い出すと怖いよと。それこそ税務署の回し者になるよと。だから、これは逆に当事者である自分達自身が、私達はこのような日本に自分達でするといわないといかんのじゃないかと。あー、ちょうどいいなぁと私らみんなで言い出そうという事で、先ほどの左手指先のね、マンションの管理人やりだした一緒の兄ちゃんとプロップステーションのキャッチフレーズを、「チャレンジドを納税者にできる日本」という風にしました。

―ナミねぇ本領発揮です!!〜口と心臓を最大の武器に―

ナミ:  と口では簡単に言いますけれども、じゃあどうやって働けるように。あるいは税金を納められる世の中にしていったらいいかと。まず何よりも1991年は先ほども言ったようにバブルがどーんとはじけて、最低の景気になってしまったわけですよね。そういう時に当時まだコンピュータというのが1台100万円以下のものがなかった。企業が使うパソコンというのは最低でも250万、300万しました。フロッピー、今コンビニで一枚50円するかしないか、安い時に買うたらね。それが一枚3000円と。あの、サイズの大きい煎餅みたいなものが3000円やと。そんな時代にね、ベッドの上にいたり家族の介護を受けてる、そういう人がコンピュータを買って勉強したり、働けるようになって税金払う?あんたら血迷うたんじゃないですかと言われましたが、いや血迷うてない。やる。と言いました。

 で私自身は実は、コンピュータ全然苦手です。で、今も両方の指1本づつで時々字を探しながら打ちます。なぜコンピュータが動いているかも、まあ電子メールやります。電子メールってあれワープロですからね。送信ボタン押したら相手に送られ、受信ボタン押したら入ってくる。これがちょっとでも遅れるとばーんと蹴るんです。で、私が蹴ろうとしたら、お願いだからナミねぇ蹴るのだけはやめてちょうだいって直してくれる人がいたらいいんです。私ははっきしゆうてそんなええかげんな考えなのでコンピュータは上手にならずに今日に来ましたが、プロップステーションは色んな企業の支援を得てですね、コンピュータのチャレンジド対象のセミナーをやっていまして、そこからどんどんどんどん今、プロが生まれているんですけれども、彼等はどんなに障害があろうとも、これは知的な障害があろうともですよ、半年勉強したらみんな自慢じゃないがナミねぇを越えます。で、うちのセミナーの講師がですね、開校式の時に言うんです。半年勉強してだめなひと、ナミねぇ程度にしかならなかった人はコンピュータと縁がなかったと思ってください。

 じゃ、私はなんでこんな活動をしているかというと、私がもしコンピュータが上手でですよ、自分の技術を人に教えるなら、これ、何人かにしかできないじゃないですか。100人に教えられないですよ。自分が得意であったら。だけど、私がですね、人に持ってない、すごいものを実は持ってるんですよ。なんだと思います。何だと思います。お金?違いますよ。…(聞き取り不能)…ってぐらいないわ。口と心臓ですよ。もうね、これギネス級。これは自慢じゃないけど、じゃなくて自慢します。

 ギネス級。口と心臓はね、鉄の心臓に苔が五重に生えてるって言われます。もうどんなお金持ちでも、どんな偉いって言われるひとでもどんな…(聞き取り不能)…でもどんな綺麗なお姉さんでもどんなハンサムな人にはちょっと心ゆれますけど。とにかく、どんな人のところへいったって怖くないという。物怖じしない心臓ですね。それと思ったことを何でもこういう風に言ってしまう口です。私はこれを担当しますと言ったわけです。

 これを担当して何するっていったらまずコンピュータの勉強会のできる部屋を貸してくれるところを探すと。コンピュータ貸してくれるとこ探すと。ソフトウェア貸してくれるとこ探すと。一流の技術提供してくれる人ボランティアで来てもらうこと。これはね、技術ではできません。口と心臓がいります。それでね、コンピュータの色んなとこ願いに行ったんですけどね。まあ、セミナー始めた時にコンピュータのお願い行きました。

―先行投資を頼んだはずが、リンゴのダンボールが山積みに?―

ナミ:  でも、私はやはり誇りある国民というか、人の誇りある気持ちを引き出す活動をしたかったので、可哀想な障害者達にコンピュータ恵んでくれという風な事を絶対言いたくなかった。企業の方にこのように申し上げました。私達がこれからやろうとしているセミナーから、あなたの会社の立派な社員、あるいはあなたの会社のアウトソースをきちんとやってくれる人達、あるいはあなたの会社の製品のよきユーザ、あるいはこれからの少子高齢化社会に向けてどんなコンピュータが求められるかというモニタリングをする人達。こういう人達が必ず生まれてくるんで先行投資をして下さい。と。寄付じゃない、先行投資をして下さいと。

 で、コンピュータ業界というのは若い業界です。ベンチャーの社長さん多いですから。いわゆる大企業の序列の中のトップの人達とはちょっと違うんですよね。こういうお話をしたら、みんなぴっぴっぴっとひらめきはるんですね。おもしろいなと。で、最初に応援をしてくれたのは実はコンピュータメーカさんだったんですが、私その時、大阪のボランティア協会さんがプロップの活動に協力して部屋の片隅に机1個おかしてあげるって言ってくれはって実は活動を開始したんですけれども、そのボランティア協会からですねある日電話がかかってきたんです。
「ナミねぇ、えらいことになった。プロップステーション宛てにダンボールの箱が床から天井までいっぱいに来てる。」って言うんですね。
「えー、なにそれ。うちのんじゃないと思う。」
「いや、ちゃんとプロップステーション様って書いてある。」
「へー、そうなん。何やろダンボールの箱って。リンゴなんか頼んでないし。」
「いやいや、リンゴのマークがついてる。」って。
「しかもかじってある。」(笑い)
 それでだーって走っていったら、本当に床から天井までね、この部屋の半分ぐらいのスペースの会議室あるんですが、そこにいっぱいなんですよ。アップルから持ってきてくれたと。開けてみるとね、ノートパソコンやら、プリンタやら何やらかんやら一式。で、先ほど申し上げたようにプロップの活動を始めたのは10年ぐらい前ですからね、パワーブックがまだ100万越えてましたわ。

 プリンタがね、レーザプリンタがサイズがこれぐらいあるんです。これの半分ぐらいあるんです。それがね、ジョーシン行ってすぐ値段調べたんですが、104万。ちょっと待てと。で、しかもノートタイプですが、緩衝材が入ってますやん。ですから、ノートパソコンの箱が1個こんなに大きいんですわ。そんなんが10台来てるんですよ。で、この大きなプロンタと事務用にといってこんなデスクトップその頃、こんなデスクトップが、そういうもの一式が全部どわーって山積みになってるの。

 で、私ね、いくらなんでもそんな厚かましいことお願いしてませんよ。せめて5台ぐらいでいいから持ち運びできるパソコンを提供して頂けないかと、一緒にセミナーと盛り上げてくださいと言って。じゃあ、10台の上にデスクトップやらプリンタやらなんちゃらかんちゃらでしょ。で、私ね、アップルさんにすぐ電話しましてん。
「すみません、あの。5台ってお願いしたのに、すごい10台以上来てるんですけど…」って。
「少々お待ち下さい(高い声)」って。ちゃらららーんと音楽が鳴って、
「はい、教育部(低い声)」って。
「すみませんプロップステーション…」って、「こんなに来ちゃって間違いじゃないんですか」って。
「間違いですそれ」って。
「でも、やっぱりいいです。」って。
「うそー」
「色んなところから障害者団体や福祉団体から希望、依頼来ていますと。で、差し上げたことあります。ですけど、どんな風に使ったか報告下さったところはまずないんですよねって。で、ある時突然行ってみると上に花瓶飾ってあったりするんですよー」って。
「ところがあなたの所がこれでプロになる人を育てようと。こういう依頼は初めてです」って言われました。
「だから、数は確かに間違いなんですが、あげますから有効に使って下さい。」
ていう事でね、頂いちゃったわけですよ。

 でも先ほども言ったように私はコンピュータが全然苦手な人でしたから、コンピュータというのはコンピュータをもらって線をつないだら使えると思っていたんですね。最近のパソコンはそうですよね。ソフトてんこもりですよね。だけどその当時のコンピュータは電気入れても中身のない冷蔵庫と一緒でした。箱なんですね。使おうと思うと、つまり中に食べ物入れないと冷えない。つまりワープロソフトとか表計算ソフトとか、そんなん全部入れないかんわけですよ。1個1個。

 剥製の感があるでしょ。コンピュータって10年で今みたいになってるんですよね。その時ね、一人の企業の社長さんがね、1キロですか、忘れましたが、こんな大きいハードディスクというのを寄付してくれてすごく嬉しかったことがあるのですが。これがその当時20万ぐらいしたやつだったんですね。これが今、万倍のやつが皆さんのパソコンにのってるんですよね。凄い時代でしょ。

―足りないのは・・・箱の中身―

ナミ:  まあ、そんなんで私はこれですぐにセミナー始められると思って、新聞社にお願いしてパソコンセミナーを始めるので、しかもあの、マッキントッシュという言葉まで入れてもらったんです。新聞はそんな特定メーカーの名前は入れられないというのに、「いや、マッキントッシュ使える人が教えてくれないと困るんです。」って。だって、その当時ウィンドウズなかったですから。DOSパソコン、コマンドを打ち込む形式かマッキントッシュのようにアイコンで使うかって全然使い方が違うんですよ。だからこっちの人が来てくれたってダメなんですよ。こっちの技術者が来てくれないと。

 で、マッキントッシュを使える技術ボランティアさん募集って記事に書いて、何と30人集まってくれはった。一流が、超一流が。エンジニアやクリエーターでマック使ってるっていう人がね。その当時、マックって高いですから本当にそれなりの人が集まってくださった。で、さあやろうという事になって、ところでナミねぇ、ソフトはどこにあるのということになって、なにそのソフトって?!って。これ電気入れただけじゃただの箱なんよって。うそー!って。これ10台のパソコンにワープロソフトと何と、それ入れたらいくらぐらいお金かかるのって。そりゃ100万ぐらいいるでしょうって。

 ちょっと待ってよ。お金がないからこんな全部寄付してもらってるのに、何てこと言うんだいって言って。言ってたら、丁度その時に大阪府の地域福祉振興基金という基金から助成する、ボランティア活動に助成する、上限100万円締切まで後1週間というのがあったんですよ。これや、持ち込もうって言って、すぐ申込書もらっていろんな事かいてわーって。当然、返事来なかったんです。1週間経っても、10日経っても、2週間経ってもなーんも返事来ないので、仕方がないから、地域福祉振興なんたらに電話してですね、
「ソフトウェアを申し込んだプロップと言いますけれども…」
「あれ、却下。」
「え、なんで??」
 うちの基金はですね、パソコン本体とかあるいは活動に使うファックスとかコピー機とか、形のあるものに助成する。で、寄付されたお金で買ったものに地域福祉近郊基金の、こうシールを貼って。あるいは講演会をした…(聞き取り不能)…に地域福祉近郊基金と共催とかみたいな、こんなやつに出すんです。あのなんか煎餅みたいなやつに、あんな形のないものに助成したことは、そんなん対象にはなりませんと。えーって言って、それは困ります。パソコンもらってるでしょ、人集まってるんです30人。勉強したいってきはる人いるのよって。で、ボランティア協会は大阪市の研修センターの中にオフィスあったんですが、そこが毎週ですね、水曜日の晩、もちろん申し込むんですけどお部屋をセミナー会場にしてもいいと言ってくださっている。全段取りできている。にもかかわらず、ソフトがないと。こんなことどうしてくれるんだいって言うと、「知るかー」って言われましたけど、じゃあ、そういう事情ももう1回きちんと書いて、もう1回出してくださいというて下さって、何と満額100万なんですよね。何てラッキーなおばさんかと思われるでしょ。口と心臓がいかに大切かと思われるでしょ。ですから、私はコンピュータ使えないことは全然恥ずかしくないんです。いいんだ。君たちはコンピュータ使いなさい、私は口使うからという感じでやっているんですね。

―パッケージ化されたプロップ―

ナミ:  で、ボランティアさんに毎週集まって頂いて、勉強会を繰り返し、で色んな企業のセミナーなどもお借りしてですね、ジプシーみたいに色んな貸してくれるとこを点々としたりですね。そして、セミナーを続ける中からどんどんお仕事のできる方が生まれてきました。そして、オンラインのセミナー、インターネットが出てきてからオンラインのセミナーというのをやっているんですが、昨年は一年間で北海道から沖縄まで約100人の在宅の方、自宅で介護を受けながら、あるいは施設の中で、あるいは病院のベッドの上で、あるいは自分達が集っている作業所の中でそういう場所でプロップの事業、プロップが契約を交わしたお仕事を彼らがやっているという情景がこの一年起きました。

 で、プロップがやっているのは、ですから、チャレンジドがマウスに触れて、コンピュータに触れて勉強するところから、在宅でお仕事ができるところまで、全部一貫してやっているんですね。セミナー会場があり、その人の実力をきちんと評価する仕組みがあり、営業してお仕事を企業や自治体や国から戴いてくる仕組みがあり、そしてそれをプロップが責任を持って納期とグレードと価格を守りますという契約を交わしてお仕事を戴き、一人一人のチャレンジドの実力と、一日何時間お仕事ができるかどうか、どんなサポートを受けながら仕事するとかいうことに合わせて振り分けてそれをまた全部メールに集約して、そしてプロップにいるプロが全部チェックをしてクライアントにお返しをし、こっちに入ってきたお金を賃金として支払うというこの全部をですね、この12年間で作ってきたわけです。

 というわけで、口でお話をしているだけではちょっとイメージとかね湧きにくいと思うので、ビデオを15分ほど見ていただきたいと思います。これはプロップがそういう草の根でずーとボランティアグループで、本当に自分達でお金を出し合いながらやってきた活動が日本で初めて、厚生大臣、今厚生労働省ですが、その当時厚生省でした、厚生大臣認可の社会福祉法人として認可を受けた直後にニュース23で、私と筑紫さんが対論をさせて頂いたビデオです。

―日本初、第二種社会福祉法人プロップ誕生―

ナミ:  その社会福祉法人というと、皆さん施設のイメージがあるでしょ。社会福祉法人には一種と二種があるんですね。で、一種社福というのは土地があり、建物があり老人ホームとか障害者施設とかあるいは保育所とか、みたいないわゆる措置と言う形で受け入れる施設。これが第一種の社会福祉法人です。ですから、建物に対してとか、働いている人に対してとか、措置費とか色んな形で補助金が前提なんですね。で、自治体や国がそこの社会福祉法人に補助金を出して、それをもとにそういう、国家とか地方自治体の方向性に基づく社会福祉をさせるというのが一種社会福祉法人。

 ところが、私達が受けた社会福祉法人というのは同じ社会福祉法人格で、書類も同じぐらいいるんですけど、二種社福。つまりコンピュータネットワークでバーチャルにつながっていますよね。ボランティア協会さんもそうなんですけどね。要するにそういう建物、あるいは措置を伴わないミッションでやる活動ですね、これは二種です。で、二種の社福でやるということはほとんどありません。大体今皆さんNPOになられますから。大体その当時NPOという法律そのものは全然なかったですよね。私達は日本で初めてITを活用して、大臣認可を得た二種の社会福祉法人。

 今まだ日本でも唯一ですけど、二種の社会福祉法人です。ですがこの二種は運営はそのような方法ですので、補助金が一切でないんですね。相変わらず自分達で必要なものを出す。応援してくださる人は寄付をして下さい。あるいは勉強しようというチャレンジドが年金から自分達の受講費。皆でそうやって支えていく。で、毎日ですから刃物の上の綱渡りみたいなことなんですけれども、ただ、何がおもしろいって紐付きじゃないお金でやっているわけです。ミッションのお金でやっているんです。これがね、好きなことができるんですよ。

例えばね、そういう公立のところの訓練校がセミナーをやろうとするでしょ、そうすると1年、2年前からどんなソフトを使って、どんな先生が何を教えるってきちっと決められるんですよ。でもコンピュータの世界ご存知の方わかると思いますが、もう2、3ヶ月したら新しいソフトが出たり、どんどんバージョンが変わってる時にですね、一年前とか、ひどい時は二年前のプログラムをやるなんて稼げないに決まってる。

 だから、プロップはマイクロソフトならマイクロソフトとホットラインを組む。それから・・・(聞き取り不能)・・・なら・・・(聞き取り不能)・・・とホットライン引くとかですね、支援してくださる相手企業と直にホットライン引いて今、新しいソフトで、今一番社会に必要とされている、今一番使いやすい、今一番稼げるソフトの勉強をしてもらうという形ができるんですね。こういうのは公的なところの勉強機関では絶対できない。一旦プログラムなんか、メニュー決めますけれども、バージョンが上がったら次の週からバージョン変えますよみたいなことができちゃうんですよ。それがプロップの一つの彼らプロが生まれてきた一つの大きな理由ではあります。いかにプロの、現役のプロの人の情報を得、そういう人たちと組むかというのがプロップの一つの大きなノウハウなわけです。というようなところでですね、ちょっとそのコンピュータセミナーの様子なども見ていただきながらビデオを見ていただきます。ちょっと暗くしてください。

(ビデオ上映)

http://www.prop.or.jp/clip/1999_12/news23-01.html

(映像)
解説:  エイボン教育賞。竹中ナミさん。
 障害を持つ人を「挑戦すべき課題を与えられた人」という意味のチャレンジドと呼び、就労を支援。社会的に目覚ましい活動をしている女性に毎年贈られるエイボン賞、今年その教育賞に選ばれたのは、障害者をチャレンジドと呼び、支援活動を続けてきた神戸の竹中ナミさん、通称ナミねぇである。

ナミ:  やっぱりこれはチャレンジドのメンバー達がですね、自分を表現したい。自分を表現することは何かしてもらうだけじゃなくて、自分も何か社会に返していきたいっていうかね。強い思いが結局たくさんの人を動かしたっていうのかなと思います。で、私自身は繋ぎのメリケン粉の役割をやらせて頂いています。

解説:  中卒でバツイチで、障害児のかあちゃんで、しかも体重と年齢のハンディを加えれば五重苦だというナミ姉は、持ち前のパワーで障害者の社会参加を進めてきた。

ナミ:  それではみなさん、こんばんは!いつもはこのように休憩時間に叫ぶんですが・・・

解説:  ナミねぇの戦略は明快だ。障害者の中には障害がどんなに重くても、パソコンが使えれば、自分を表現し、仕事ができるようになる人がいる。それなら、彼らチャレンジドのためにパソコン教室を開こう。そして、仕事を覚えてもらい、障害があっても働きたい人は働ける社会を作ろうと、チャレンジドの就労を支援する運動の先頭に立っていた。

アナウンサー:  シリーズ「女」。5回目の今夜は筑紫さんと竹中ナミさんとの対論です。竹中さんは8年前、大阪でプロップステーションというNPOを作って障害者、チャレンジドを納税者にというスローガンを掲げました。その型破りな発想と、サン官民を巻き込んだ発想が福祉の世界に新しい流れを生み出しています。

(対論)
筑紫:  このチャレンジドですね、障害者たちを納税者にしようというのが、ずっと竹中さんがやってきた中心のテーマですよね。えー、これはまず、現状からいうとどこまで、どの段階までいっているんですか。

ナミ:  あの、多くの方が仕事は無理という通年の中で、まだ仕事をできる状況になってない。まして、企業もそういう方の中にすごく仕事の能力が眠ってるっていうことに気付いていないという状況ですね。で、グループがこういう活動をここ9年目になりますけれどもやることで、コンピュータを使って自己表現としての仕事、自己実現としての仕事として向かう方がかなり全国で生まれてきていますし。こういうような活動自身も全国色々と草の根的に広まってきていますから、後数年で、介護サポートを受けながらでも自分は仕事という形で社会参加、社会貢献するんだというような時代になってくるのではないのかなと思っているんですが。

筑紫:  うんと具体的に言いますと、納税者になった人は何人とかいう数でいうと、まだ・・・

ナミ:  一回一回の単発のお仕事、企業から単発のお仕事を戴いて、みなさんそれをこなされるという形になりますから、それを1年トータルにコンスタントにならないといけない。今、そのコンスタントになっていく直前の段階ですね。

筑紫:  当人達は、この・・・(聞き取り不能)・・・をやるにしても自分達は人に何かしてもらうだけではなくて、何かしたいという気持ちが非常に強いと。

ナミ:  はい、そうですね。すごくね。やっぱり何か社会からしてもらってるだけという感覚というのは、それもしてもらって当たり前と思ってしまうところまでいけば別なんですが、してもらってるだけじゃなく、やっぱり自分自身が返すことで、ものすごく誇りですよね。プロップ自身は、稼いで納税しようという納税運動ではないので。誇りを取り戻そうというのが、やっぱり一番大きなテーマなんですね。

解説:  誇りを取り戻すために働きたいという障害者は少なくない。彼らが頼りとしたのは、パソコンだった。チャレンジドは自分でパソコンを買い、授業料を払ってプロップの講習会にやってくる。そこでナミ姉がしたのはパソコンをばら撒くことではなかった。

筑紫:  プロップの竹中さんが提唱していることっていうのは、一種きついんじゃないかと。

ナミ:  ええ。

筑紫:  つまり、ケアされるという側だけに、居る気になればおれないことはないわけですよね。そこにもう一つハンドルを作っているという。

ナミ:  別にチャレンジドだから、無理に働こうという人ばっかりいるわけではなく、守られるだけでおりたいということでもないわけですよね。だけども、一般社会と違うルールみたいなものがあって、その自分が働こうとしても勉強する場所とか、技術磨く場所とかあるいは、それに・・・(聞き取り不能)・・・するチャンスとかないところで、あなたたちは保護の対象よというふうに世の中から・・・(聞き取り不能)・・・られたり自分がそれに・・・(聞き取り不能)・・・となって納得している状況は私はやっぱり大きな溝があるなと思うんですよね。つまり、チャンスの平等というか、ゆうところに私は今、福祉観から抜けているなぁと。ただ、硬い納税者という表現を使っていますから、えらいきついこと言ってるなぁと、無駄なお世話やと。思っている人はおられると思います。

解説:  プロップのしていることは、一つの選択肢を示すことだ。チャレンジドを納税者にというプロップの運動に新しい可能性を見出す人は増えている。今の世の中これでいいのかという思いを、この世の中どうにかしようというナミ姉のエネルギーが結び付けている。

ナミ:  おかげさまで今世の中も色々変わり目というか、変わらざるを得ないというところへ日本も随分来ているんで。そういう意味で、各部階層の方が色んなふうに自分を変えたいという気持ちを持っておられるんだということをひしひしと感じられますよね。だから、変えたいと思ってない人はナミ姉とおうても寒すぎる。お互いなんかぴんとこない。だけど、変えようと思っている人はどんな仕事の人でも、「あんなんいけないですよね。」「そうですよね、むかつくねー。」というような会話になって、そういう意味では同じ夢が見れるというか。

筑紫:  そういう人は、例えばお役人とかそういう人たちを含めて増えてますか。結構いますか、この国は。

ナミ:  増えてきたですね。その、今、世の中がちょっと暗くなったり、不安な出来事が多いが故にみんな「変えよう」と思ってる感じは受けますね。

解説:  ナミねぇと出会うことによって、チャレンジドは変わっていく。彼らが変わることによって世の中もまた変わっていく。

(映像)
チャレンジド:  一人で描いている時に比べて、やっぱり作品の数も増えたんです。

インタビュアー:  あぁ。やっぱりこう、お互い刺激になるから。

チャレンジド:  それが仕事になるからおもしろい。まあ、ぼちぼちですけど。

(対論)  
筑紫:  ・・・(聞き取り不能)・・・な言い方をするとね、男は元気ないですね。その中で、ねえ。女性が元気だという、全部が元気だというわけじゃないけど、女性の元気さがその中で目立つという。まあ、竹中さんだけでも目立つ存在だけれども。これどういうわけですかね。

ナミ:  ようわからないんですけど、自分が女性全体を語る立場にないんで、自分のことでいうと、やっぱりその、いわゆる既存の社会のレールに私自身乗れないタイプで。いつもはみ出とったですが、やっぱり自分自身の娘が重症心身障害という障害を持って生まれてきて、本当に彼女は全くその社会のルールというか、レールに乗れないですから。あ、私も乗らんでいいと。もう、これで本当に乗らなくっていい。そういう意味では既存のレールに乗ってないことの多かった女性たちが元気というのは、案外私がそういう場合だとすると、他の方もそうかもしれない。

筑紫:  そうなるとですね、今はチャレンジド=女性。あるいはハンディキャップ=女性だとしてもね、逆転しちゃうんじゃないかなと思うんですよね。今までの社会作るのにはですね、男のある種の攻撃性というかですね、頑張り性みたいなのがよかったのかもしれないですね。その結果こういう社会が作った。ご苦労様。で、それをうまく使いこなすのが女性的な部分かもしれないという気がするんですね。

ナミ:  そういう意味では男性達がうまく女性のそういう感性の部分を取り入れる。女性もまた、既存のものの中でこれは残した方がというものを取り入れる。そういう相互のやり取りの中でうまくいくんじゃないですかね。だって、一昔前だと今言ったような女だとかおばさんが何か、活動の中心になって世の中に叫んでるっていうようなことは、石が飛んでくるようなことだったじゃないですか。それともぽんぽんぽんって叩かれるような。いくら関西はノリが良いゆうてもたぶんそうだったと思うんですけど。

筑紫:  そういう意味じゃ、竹中さん自身は結構今の世の中面白いですか。

ナミ:  もう、ごっついインタレストですよね。何か世の中がぐちゃぐちゃなって、何か今までの価値観ががらがら崩れたりしてますやん。それってごっつ大歓迎です。何か煽るわけじゃないですけど、価値観がらがら崩れてるから、何でもありなんかという。本当に今までのレールだけにこだわらんと、自分で色々なレールを作っていって、ここの駅ではこういう人になって、また違う駅ではこうしてみたりとか。色んなやり方を色んな人同士でできるかなと思うんですけども。安定した世の中ではナミ姉みたいな人はいらないと。

筑紫:  乱世だからこそ、目が爛々と輝いている。

ナミ:  思います。あんまり安定した世の中っていのは私ら向かないんでしょうね。

アナウンサー:  産官学を巻き込んだ運動だそうですが、この人に来られたら敵わないですね。相手はみんな男性でしょ。

筑紫:  結構、何ていうのかな・・・(聞き取り不能)・・・に近いぐらい色んな人たちが彼女をサポートしたり、一緒にやったりしてますよ。

アナウンサー:  そうですよね。

筑紫:  まあ、そういうエネルギーがご本人にもあるんだけども、時代、本人が言っているように、時代でもあると思いますね。最近色んな人と話していて非常に、今までだったら異端だと思われる人の方が元気がいい。これ男女に関係なしにね。更に今までのやり方が行き詰まってるというとこはあると思いますね。ただ、今までのから見るとある種新しいことをやっているわけです。厳しさもあって。例えばその、恩恵としてこの人たちを支えていこうという考え方とちょっと違うとこがあるでしょ。授業受けに来た人に授業料は取るわ、パソコンもただであげるわけじゃない。それも自分で努力しなさいっていう。

コメンテーター:  ・・・(聞き取り不能)・・・の価値観を打ち破るというのは勇気がいるとか全然そういうことではないんですね、思い切っていけるタイプですね。

筑紫:  やっぱり、自然にいっちゃったというか。そういう感じがしますよね。

ビデオ上映終了

(拍手)

ナミ:  ということで、色んなニュースの紹介をまとめてるビデオなんで。ということでですね、私実は放っておくと10時間でも喋る人なんです。残念ながら、今日はしかしお約束の時間がほぼ過ぎてるやん。すみません。すこし皆さんからね、ご質問とか戴くということを私も是非したいので、一人二人ご質問をいただければと思います。

―質問時間―

ゆき:  では、質問をどうぞ。勇気のある人。

竹端:  どうもありがとうございました。すごくおもしろかったです。

ナミ:  ありがとうございます。

竹端:  で、すごく興味がありながら、ようわからへんので教えて頂きたいのですが。えーと、障害者というふうに名づけられているひと。勿論、能力いっぱいあると思うのですが、一方で支える、支援するというのも、介護とか何らかの支援が必要な方もやはりいるわけじゃないですか。

 で、支援と努力っていうと例えば、努力してもできひんするところがあるから、支援するという言葉の使い方であったりするわけですよね。たぶん、お答えはちゃんと持ってらっしゃると思いますので、努力と支援の関係とかどのへんのところまで支援して、どのへんまで努力してもらうのかそのへんのことを教えていただければ。

ナミ:  1個1個の具体例とかではなくて、根っこのところですよね。この人は何ができる人なんだろうと向き合うのか、何ができない人なんだろうというふうに向き合うか、まずそこから分かれてほしいわけです。だから、例えば街で車椅子に乗っている人に会ってすれ違ったときに、ほとんどの人は車椅子に乗った人とすれ違ったことは憶えていても、その人がどんな服を着ていたかとか、どんなバックをどこかにぶら下げてたとかほとんど記憶してないんですね。

 それはその人が障害者で車椅子に乗っているというふうに見る習慣がついているからです。だけど、私ら例えばそうじゃない他の人と出会ったときに「新しいファッション着てはる。」「いや、あのブランドなによ。」とかですね、結構思ったり。その目線じゃない目線で入ったりする、そこをまず変えましょうということでその後のことがドミノ式に全部変わってくるんですよ。

 例えば見えないという言い方は見えることができないということですよね。見えることができないという状況をその人はもっていると。つまりそういう経験をもっている人ということですよね。見えている人間は見えてないひとのことはわからない。つまり、見えている人間にとっては、見えてない人間はすごいものを持っているんですよ。って。見えないという経験をもっている、あるいは自分の脚で移動できないという経験をもっている。

 これはそれができる人にとっては本当に余程想像力を働かせる、余程そのことに集中して意識をむけなきゃ得られないんですよ。それは経験としては得られない。だけど、今の日本では主に「見えない」=「かわいそう。大変でしょ。」「聞こえない」=「お困りでしょう。」とこうだけになってしまう。ですよね。

 ですから、駅でその人を見かけた時に担ぐのかどうかという枝葉末端の話ではなくて、まずその人と会ったときにどうかというふうに見て、それを出発に付き合うと、わかることは嫌な奴もようけいおるということですよ。ええ性格のやつと付き合ったらいいじゃないですか。

 車椅子の人には全部親切にしなくちゃいけないという脅迫観念に駈られるのはこちら側の福祉だからですよ。つきおうてみたら嫌なやつやったら、「あんたの車椅子はよう私押したくないわ。性格直してな、先にな。」って言いますよ。あの、電動車椅子でね、びーびー運転してる子でね、いっつもドアにぶつかりながら入ってくる子がおってね。ボランティア協会にね。でも、誰も文句言わないんですよ。もう、ドア、下は木がぼろぼろになってるのに、言わないんですよ。あの子にね、運転上手じゃないって。
 私言ったんですよ、「お前保険入ってるか。」って。
「何ですかそれは。」
「電動車椅子にも保険あるねんで。それで轢かれたらいたいやろ。当たったら子どもなんて大怪我するねんぞ。見てみ、お前いつもドアをがりがりしてるけど、保険入ってないんか。」
「そんなもん知りませんでした。」
「知りませんでしたじゃないやろ。これだってなるときゃ凶器やで。」
 っていうようなことなんですよ。電動車椅子に乗っている人気の毒。ドア削っていても仕方がない。これはそれを黙っている方が悪いんですよ。言ってあげないといけないんですよ。それからその子保険に入りました。真っ直ぐ走っています。
「できるやん。なんでせえへんかったん。」
「いやあ、ごめん。」
 とかいって。その関係になれるかどうかは出発の根っこのとこが違わないとだめなんです。お返事になってるかどうかわかりませんが。

ゆき:  はい。次の方どうぞ。素朴なのでもいいですよ。

ナミ:  チャンスやで。なかなか直接は聞かれへんで。

学生:  すみません。私部外者で、学生ではないのですが、

ナミ:  あ、私も部外者ですよ。(笑い)

学生:  授業料を取ってコンピュータの・・・(聞き取り不能)・・・管理というところから、今までの障害者に対する考え方を変えていこうという考え方はよくわかるんですが、中には障害者の方、自立というのを今のとことは生活保護を受けていらっしゃる方、沢山いらっしゃるかと思うんですが。その、悪循環で、パソコンを買うと今は高級品、最低限生活に必要のないものという考え方はもしかしたらあるんじゃないかな。もしかしたら、生活保護のワーカーさんにあるんじゃないかなと思うんですが。実際その辺はどういうふうにしていらっしゃる方がいらっしゃるだとか、お金のない方はどういうふうにそういう所に生計をたてているのか聞きたいです。

ゆき:  来年春から大学院にこられる本職のソーシャルワーカーさんです。

ナミ:  基本的にですね、パソコンは非常に高かったんです。で、高かってパソコンについては補助はでなかったんですね。和文タイプライターとかいうことでね、和文タイプライターということで申請をして、パンフレットではパソコンをつけるというわけのわからんことをして、役所の窓口で補助金でてました。

 これも始めは国が一括してやっていた事業でしたけれども、市町村に全部権限移動されて、市町村が全部オッケーを出すことになったんです。で、市町村が自分の予算の中で、そういう日常用具の範囲でそういう和文タイプライターを入れて。つまり、裁量は地方自治体の窓口の人が持っているわけです。で、そうやって出した補助を全部厚生省にいっぺん上げて、厚生省は5月にぱーんと半分補助を出すと。この仕組みになっているんですね。で、これに関して始めは厚生省が全部審査していたんですが、今、厚生省は地方自治体の窓口にやたらそれを出せないという前提で審査をするなというふうに厚生省はいっていますが、窓口の人はまず出せないという人が多いんですね。

 ここのところは本当に一つ一つの自治体の窓口の感覚の問題が大きいんです。プロップの場合は習いに来られる方が本当に生活的に困窮の場合にそういうふうに窓口の人とプロップがお話したりですね、ボランティアが一緒に日本橋に行ってですね、色々・・・パンフレット集めてきたり。みたいなことで、大体補助が取れますね。

 ただ、それは昔の話。なぜかというと、今はパソコンが安なっちゃったんです。年金を重度の障害者の方大体つきに9万もらってらっしゃる。そうすると2月分ためたらもう勉強できる仕様のパソコン買えるんですね。だから、今は私は、逆に変な手続きして取るなと。取るよりも、自分にすばやく自分に一番おうたやつを揃える方がいいと。

 ただ、色んなサポート装置。先ほどサポート装置ありましたよね、テレビで。例えばキーボードが押せないからって特殊な道具を使ったり。あるいは、見えない方だったら音声装置。これに関しては結構お金がかかるんで、これに関してはきちんと補助がほしいなと。それはあたしだけじゃなくて、色んな方が声を上げて。これも去年から福祉事務所の窓口でサポート装置に関しても10万円ぐらいまでが出ることになりました。

 で、重度の障害者の人って、年金をもらわれるんだけどこれをどう使ってるかとか、どうしてるかほとんど意識のない人が多いんですよ。自分で年金をきちっと管理してるっていうところから少ない。ですよね。それですぐに運動というと、生活保護という運動にいっちゃう。生活保護っていうのは、イチネンでも働くと減らされていくっていう保護のお金ですから、理念がそもそも働くことにモチベーションを与えないんですよ。

 だけど、それを運動の方向にしちゃったと。つまり、生活保障を生活保護に求めたというのが、また、出発のまちがいだったんですよね。年金、得ている年金できちっと自己投資をして、勉強したり、勉強できるような道具を買って、その上で稼げるという仕組みにするという方が必要だったのに。そうしないで、さっき言った福祉からどれだけもらえるかという方向で来てしまった結果が今になっているわけです。

 で、それは原点に戻らないといけないんです。彼らの持っている力。それを掘り出そうとする人は年金からいくらか出せばいいわけですよね。で、プロップは日本で最初に、障害者と呼ばれる人からお金を取った団体です。プロップがお金を取るまでは、一円たりとも障害者からお金を取ってはいけないと言われてた。あんたらなんて残酷なことするのって言われてた。わしらから金取るんかっていう電話もいっぱいありました。

 だから、私は言ったんですよ。私は自分がやっていることが、善とか正義とか思ってない。人に押し付ける気もない。ただ、こういうやり方はなかったから、選択肢を1個増やしただけです。要するに世の中、チャレンジドに対してあまりにも選択肢が少なすぎる。こう生きていきなさいと、ぜーんぶレール引いてる。そうじゃないでしょ。自分で自分のリスクを背負って生きていく生き方だってありでしょ。って。

 そういうのを1個生み出しただけだから、そういうのに共感する人だけが、一緒にやったらいいんであって、別にあなたに押し付けません。色んな運動が世の中にあるんだからあなたの性にあった運動でやっていかれるといい。だけど、私はこちらがやりたいんだと。こちらがやりたいという人であれば、少しでもこの指とまれでやってるのが私達の活動だからという話をしました。

 初めはそういう批判の方が多かったんですけど、この10年で障害者がパソコンを買って勉強するのが、もう当たり前になった。色んなNPOがわずかでも必ずお金を取ってセミナーをやってます。チャレンジド自身もお金を払って勉強するのが当たり前になっている。だから、その当時の常識と、やっぱり時代を経た常識とは違います。また個人が社会を変えるのはこれはなかなか難しいと思いますが、個人が変われば必ず社会も変わるんですね。個人が変わらなくて、社会が変わることはありえない。
 そういう意味では私は色んなお付き合いをする人が企業人であれば、その企業人が企業を変えるために個人が動いてほしいと。お金持ちであれば一体そのお金のソーシャルな意味はなんなのか考えながらお金持ちしていてほしい。お金持ちが悪いんじゃないですよ。お金持ちが、そのお金のソーシャルな意味が何かを考えながらお金持ちをしていてほしい。で、役所の人だったら、公務員というのはどんな権限をもっていて、どんな決定権があってどんなお仕事があって、その中でどんな感覚で、どんな目線で自分は仕事するのかというのを考えてくださる人が出ればよいわけで。

 で、まあ、その今のプロフィールのところでも色々な自治体や政府でお仕事していますが、そういうことを伝えるために役を受けているんです。財務省の兄ちゃんの中では、この人とこの人は変わりそうなセンス持ってるから、よし、ということでですね、あんたらちょっとうちに来て、見学に来てみいひんと声かけるわけです。色んなお兄ちゃん、お姉ちゃんに話をしてですね、そしてその場所でその人が変わることが大事なんですね。

 決して、プロップのボランティアをするという感覚を持つ必要はない。自分の足場。一番自分の大切な軸足は自分の仕事にきっちりおいておいて、あと一つでこの脚にどんなミッションを与えるべきかを探るわけです。その一つがプロップだったらいいなということですね。自分の仕事に絶対活かしてほしい。

 だから、私、公務員さんによく言うんですよ。早く出世してくださいって。あなたが出世して、こういうミッションを通せるようにしてくださいよっていうんです。お金持ちの人には早くもっとお金持ちになって、そのお金がこう使えるようにして下さいというわけです。そして、チャレンジド自身はそういう人たちを変えていけるように、自分達がやってみせようという話をするわけですね。

 お互いそれが私は支えあいだと思います。お金持っている人にはお金くれって。で、役所の人には何々してくれってうちらがわーっと叫ぶ。これはそろそろやめたいなって。ただし、今も言ったようにこれは一つの選択肢。こういう方法もあるよというわけですから、嫌やと思われる方に無理やりお勧めはしません。

ゆき:  「世直しの人間科学」のゲストとして最初に来てくださったハンセン病体験者の森元美代治さんも『「自分が変わる、社会を変える』という本を出されてます。同じところにたどり着くものですね。時間は来ましたけどもったいないから、もう一人どうですか。

横田:  覚えておられますか?静岡県のユニバーサルデザイン室にいた・・・

ナミ:  ああ、どうもどうも。ありがとうございました。その節は大変お世話になりました。

横田:  今日お話聞かせていただき、毎回毎回魅力的な方だなとひたすら関心していますが。ITにナミ姉さんみたいに向かない障害者の方はどういうふうに職業支援されているんでしょうか。

ナミ:  えっと、まずですね。私がコンピュータが苦手という話をしましたが、コンピュータを好きになったりする必要はないし、コンピュータを上手になるためにプロップは存在するんじゃないんですよね。大切なのは自分の中に眠っているものを出すこと、つながること、あるいは表現することなんですよね。だから、そのために便利な道具だったら、別にコンピュータじゃなくても何でもいいんですよ。

 ただ、今もっとも便利なのはITなんですね。だから、使い方覚えましょうと。ですけれども、例えばプロップで重度の知的な方いらっしゃいますが、コンピュータのソフトの使い方を習熟するわけではありません。ただ、感覚的にお絵かきソフトなんかでおもしろい、ユニークな色を出されたりするということなんで。でも、それですっごい発散されるという。

 で、それを彼らがそうしたものを、重度の身体障害の人が、彼がぐしゃぐしゃって描いた絵の中のこの部分はファッショナブルナデザインに使えるなって、この部分はアニメキャラに使えるんじゃないとか言って、それを取り出して、そういうふうに今度はプロのデザイナーとかクリエーターと一緒にそういうものを仕上げていって、作業をして、販売できるものにすると。そこに使われるわけですね。

 つまり、今まで日本の障害者の人が稼ぐって、授産所とか作業所とかそうだったんですけど、同じタイプの障害の人が指導員っていうはっきりいって、素人の人から、素人の人がちょっと習いにいったものを、ちょっと小手先・・・失礼かもしれませんが、ちょっとずばっといいますけれども、教えてもらって。それで障害者が作ったんだから買ってって。こんなものが世の中の企業の製品と勝負できるわけがないでしょ。

 一般の企業なんか、経理がいて、総務がいて、営業の人がいて、ラインの人がいて、何がいてで、社長さん・・・それでも潰れたりするんですよ。その時にね、補助金があるからって補助金の中でそんな作り方してるもの、プロになるわけないじゃないですか。例えばがっちりした椅子が作れるようになったとしたら、次にすることはこのがっちりした椅子にプロのクリエーターからデザインしてもらうことですよ。それで、そのどんな椅子だったら、どんなデザインの椅子だったら今売れるのかというちゃんとマーケティングとデザイナの力を入れてちゃんとした青写真をもらって、そしてみんなで木を削ったり組み立てたりしたらいいんですよ。それが、プロの手が入ることの一番の重要な部分。この製品の売れるようになる。それができたら今度はそれをオンラインで販売できるようになるんですよね。そこでコンピュータネットワークを使うんですよ。

 今、うちはフェリシモさんと組んで、作業所や授産所の人たちが本気で売るつもりの商品を作るところの紹介して、オンラインショップにもっていくようにしています。今、フェリシモとほぼ打ち合わせが済んで、そのために兵庫県と打ち合わせをして、兵庫県内の授産所や作業所の職員のみなさんにまずこんな話をするというところからやると。

 で、職員の人がきちっと窓口。コンピュータネットワークの窓口ができるようなレッスンをまた、プロップのチャレンジドの人たちが教えるといったような企画面が動こうとしているんですね。つまり、コンピュータを使うというのは、本人がコンピュータをゼロから使って、稼ぐことまで全部できなくちゃいけないなんて言ってたから車椅子で独立して印刷屋する人が営業走ったり、見積り書いてる間に倒れて、潰れたりしたんですよ。そうじゃない。プロの知恵が要るところはプロの知恵。全部組めばいいんですよ。そしたら、その人の中の一番光る部分を「お金」(収入)に変えることができるのです。

 この発想は今までの福祉就労には一切なかった。これも発想の根っこのところです。切り替えるということですね。本当にね、1分も座っていない人たちを10人ぐらいセミナーしているとき、すごいよ、もう本当に。みんな追っかけてるだけですからね。ところが追っかけてるんだけど、本当に2秒ぐらいばばっと座ってね。楽しそうにまた走っていってね、ほんで10週間。2時間ずつ10週間やったらね、そのうち5人の子のはちゃんとした作品になりましたよ。

 その中のいいところを切り出して、きれいにレイアウトして、額入れたりすると絶対買う人おるんですよ。おりますよ。そういう発想がないだけなんですよ。それをオンラインで販売したらいいわけですよ。その子は作業所でさおりを織ったら、さおりの展覧会をオンラインでしてあげたらいいじゃないですか。ていうただ、それを福祉のところを強調しすぎると、そういうところは福祉関係者しか見にこないんですよ。ネットワークでもね。

 だから一般のオンラインショッピングの会社と提携して、この人たちの製品は確かにチャレンジドが作ったけれども優秀なグレードの高いものですよという売り方をするコーナーをつくるんです。そうすると、買いたい人が来るサイトですから。今だったら、例えば大阪府の授産所のホームページって、まず大阪府のホームページに入って、それから民生局のホームページに入って、福祉部局のホームページに入って、就労促進のホームページ入って、その下に誰が見るかそんなもの。買い物なんか来ないですよ、誰もそんなん。で、ホームページにしましたって、そんなんしたとは言わないって。っていう話なんですが。

ゆき:  残念ながら時間です。

ナミ:  あ、それでですね。これプロップのホームページです。http://www.prop.or.jp/
 このホームページ自身もプロップのチャレンジドの皆さんが作ってまして。私は後ろから、この記事載せといてとか言っているだけです。私のアドレスはnami@prop.or.jp。必ずお返事しますので、メール書いてください。ただし、私年間2000通ぐらいのご相談のメールに応じるという役割をやっていまして、ですから、すぐお返事ができなかったらごめんなさいですが。いつもパソコンを抱えているんですが・・・でもわたし、ワープロだけしかできない、っていうかワープロができるので、メール2000通交換できるんですよね。あ、中指なんです私。両手の中指だけで打つんです。キーを・・・

ゆき:  でも、あっというまに長いお返事がきましたけど。

ナミ:  そうでしょ。すごいでしょ。スピードだけが上がってるんですよね。ところがね、つながらないときだけ泣き叫ぶんです。

ゆき:  このような『プロップ・ステーションの挑戦』という本があります、『フランカー』という雑誌もあります。最近また・・・

ナミ:  写真集、チャレンジドがでました。

ゆき:  これは2000円。

ナミ:  これはね、チャレンジド界の吉本と言われているプロップなので、吉本興業が出版しました(笑)。「チャレンジド〜ナミねぇとプロップな仲間たち〜」というタイトルの写真集です。木村常務との対談もありますし、チャレンジドたちのとてもすばらしい表情が生き生きと活写された写真集になっています。といって喜んでいた途端に木村さんが吉本や辞められたので、幻の本になってしまってしまいそう! プレミアつきますよ〜(笑)

ゆき:  北川知事も載っていますよね。

ナミ:  そうそう。北川さんも載っているのに、今期で知事辞めちゃうしね。で、この写真集「チャレンジド」の詳細は全部ホームページにに載っています。オンラインで内容の一部も見てもらえますし、申し込みもできます。申し込みいただいたら、すぐ事務所から・・・差し支えなければナミねぇのサイン入りを送らせていただきますのでヨロシク。(笑)

ゆき:  この次の週は集中講義に入ってしまいますので、今年の授業は終り。その代わり、私がご紹介したゲストの方たちのお話の中から「世の中変えていく人の法則」を見つけて、私にメールで送ってください。で、今スウェーデンに留学中の山口宰さんがホームページにどんどんアップしてくださいますので、それも皆さん参考にして色々な法則を編み出してください。

ゆき:  本当にありがとうございました。拍手を。

―拍手―


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