病院がなくなっても幸せに暮らせる夕張市民 森田洋之さん(元夕張市立診療所 所長)  平成19年、夕張は市の財政が破綻しました。ニュースでも多く取り上げられたのでご記憶の方も多いと思います。私はその2年後に夕張市立診療所に赴きました。経済学部卒後に医学部に入り直した経験から、夕張の医療の変化で起こることが日本の医療・財政の未来にとって非常に重要な示唆を与えてくれるのではないか?という予感からの勤務希望でした。そして、その予想はまさに的中していました。    夕張市は、北海道の山奥にある小さな街です。炭鉱が華やかだった頃は12万人の人口を誇っていましたが、炭鉱が閉山となって20年以上経過した現在は、たったの1万人となっています。仕事を求めて夕張を去るのは主に子育て世代、残るのは高齢者です。その結果、現在高齢化率は市として日本一の47%(2015年)です。そこで起こったのが市の財政破綻、それに伴う夕張市立総合病院171床の閉鎖でした。総合病院のかわりに新しく出来たのは、夕張市立診療所19床です。市内に病院はここ一つしかありません。つまり、札幌まで60キロの陸の孤島で、市内の病床が約10分の1にまで突然減ってしまったのです。救急車が病院まで到達する時間はそれまで30分台だったのが、60分台に約2倍に伸びてしまいました。さあ、皆さんの街がこんな状況になったら、あなたならどうしますか?   データを集めたところ、実は意外にも夕張市民には病院閉鎖による健康被害が発生していなかったことが判明したました。市民の疾患別死亡率(SMR)でいうと、死亡率1位のガンはヨコバイ。2位の心疾患は減少、3位の肺炎は激減していました。その代わり、老衰(自然死)が大きく伸びて、トータルの死亡数は結局ヨコバイだったのです。病院閉鎖して、救急車の到着時間が2倍になったのに、です。  更に興味深いことに、救急車の出動件数は、以前の半分になっていました。全国的には救急車の出動は右肩上がりに伸びているのに。  更に、施設での看取りは100%まで上昇し、高齢者一人あたり医療費は格段に減少しました。北海道でも全国でも一人あたりの高齢者医療費は年々増大する一方ですが、夕張市の高齢者は病院閉鎖後、医療費を使わなくなりました。北海道と同じくらい上昇していたと仮定すると、「一人あたり10万円ほど安くなった」計算になります。  これらの変化は、一体何によってもたらされたのでしょうか。  その要因は色々考えられます。そもそも日本人の長寿化には病院医療の進歩にもまして衛生環境の改善の方が大きく影響しているとも言われており、これも一因でしょう。また、夕張にあったかつての総合病院が、しっかりと救急医療・高度医療に対応していた病院なのか、そうでなく専ら慢性期医療に対応していた病院だったのかも問題です。そもそも後者だったのであれば、それがなくなっても市民の救命率や健康状態への影響は限定的かも知れません。 とは言え、このような医療資源の大幅減少の中、それでも出来たことが2つあると思います。 @ 予防医療  夕張市民は、様々な予防医療を実践しました。胃潰瘍・胃がん予防のためのピロリ菌の除菌、肺炎予防のための口腔ケア・肺炎球菌ワクチンの接種、更に生活習慣病予防のための食事・運動療法などです。ただ、予防医療は効果が出るのに時間がかかります。ピロリ除菌や生活習慣病の予防効果は、現時点でははっきりとはわかりません。しかし、肺炎予防については、すでに死亡率(夕張市民の肺炎SMR)の激減が見られています。  肺炎球菌ワクチン・口腔ケアを徹底した夕張市内の特養と隣町の特養では、1年間の肺炎発症率・死亡率に約10倍の差が出ました。高齢者に対しても、予防医療の重要性が強調されてしかるべき、というデータです。 A 終末期医療  いくら予防をしても、最終的に人は老いて体力が低下し、死に至ります。 そのゆるやかな過程を、少しの医療の手を借りながら、できるだけ自然な最期を迎えるような市民意識が醸成されたように思います。  旧来の病院医療であれば、特養や老健の入所者が終末期になったら、搬送して「病院で看取る」という流れが普通ですが、夕張では「想定できる終末期」の看取りは全て施設で対応することが可能になりました。特養の看取り率はH24年に100%に達しました。市民の老衰死率も病院閉鎖後徐々に増加し、現在は総死亡のうちの14%が老衰死です。  また、それまでゼロだった在宅訪問診療の患者数は、今は約100人前後まで伸びています。ちょうど、減った病床数のうちの多くが在宅医療に置き換わった計算になります。在宅生活を支える24時間訪問看護・介護、訪問診療、ショートステイ、デイサービスなどもあり、様々なニーズに応えられる環境になりました。  特養・老健における看取り率が100%になったのも、救急車の出動が減ったのもこの「自然な死を受け入れる」市民意識をもとに、それを支える「少しの医療」が整ったからではないか、と思われます。  つまり、入院医療は大幅に縮小となりましたが、その代わりに、市民の終末期医療への理解が醸成され、それを支える24時間体制の在宅医療・施設医療、訪問介護・看護などが出来た、ということです。  よく考えてみると、これって厚生労働省の推奨する「地域包括ケア」のイメージ図によく似ています。  これらの変化の裏には、医療提供サイドの要因以上に、従来から築き上げられた市民同士の絆に裏打ちされた市民力もあったと思います。  都市部では、認知症になったら、高齢独居になったら、介護施設に入居する傾向がありますが、夕張では長谷川式12点の認知症の婆ちゃんも徘徊しながら、地域に見守られながら独居を続けています。長谷川式6点、102歳で独居の婆ちゃんもいました。  96歳の独居爺ちゃんは私に、「一千万もらっても二千万もらっても夕張から出たくない」と言いました。爺ちゃんは、それだけ地域を愛し、地域に愛され、見守られているのです。地域の人間関係の中で長年積み重ねた 「きずな貯金」があってこその「在宅生活」なのです。  地域のチカラがあってこそ、市民の意識が醸成されてこそ「地域包括ケア」が生きるんだな?、と実感するところです。  日本全体が夕張のような世界になったら、日本は大きく変わるでしょう。愛する地域で最期まで生活できて、そのうえ医療費はかからない。2007年の財政破綻の時、僕らはニュースを見ながら「夕張の人たち可愛そうだな?」と憐れみました。でも、実はその夕張市民が日本人の知り得ない境地を指し示してくれたのです。子どもたちに負担を残さず、且つ自分たちも幸せになれる世界。 実はかわいそうなのは、いまだに気づいていない僕らの方かもしれません。