●第三章 犠牲になる患者たち ◆その1 精神科病院「病棟転換」政策の裏にも利益相反が 杏林大学教授/日本病院・地域精神医学会理事 長谷川 利夫  精神病棟を模様替えして「居住施設」と看板を架け替え、経営を安定させようとしているのではないか。その背後に政・官・日精協の癒着があるのではないかという懸念が広がっています。  ことのはじまりは、二〇一三年六月の精神保健福祉法改正でした。この法律に基づき厚労省内に「精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針等に関する検討会」が設置されました。その中でにわかに浮上したのが、「病棟転換型居住系施設」です。  昨年の一〇 月十七 日の第六回検討会で、岩上洋一構成員(特定非営利活動法人じりつ代表理事)が文書を配布し、その導入を主張しました。 「入院している人たちの意向を踏まえたうえで、病棟転換型居住系施設、例えば、介護精神型施設、宿泊型自立訓練、グループホーム、アパート等への転換について、時限的であることも含めて早急に議論していくことが必要。最善とは言えないまでも、病院で死ぬということと、病院内の敷地にある自分の部屋で死ぬということには大きな違いがある」  衝撃的な文章でした。  これが実現してしまえば、精神科病院に長期入院している方々は病院内の同じ部屋にいながら、そこが「病棟」からアパートなど「居住施設」に看板が付け変わるだけで、「退院」したことになってしまうのです。  日本の人口は世界の二%だというのに、精神科ベッドは世界の二〇%を占めており、国際的に批判されています。けれど看板をかけかえれば、見かけ上病床数を減らすことができます。  そして、転換した施設に認知症をはじめとする高齢の方々が、心ならずも収容されていくことも予想されます。日本精神科病院協会は二〇一二年五 月、「我々の描く精神医療の将来ビジョン」を公表し「介護精神型老健」の創設を提唱していますが、これは岩上氏が例に挙げた「介護精神型施設」と酷似しています。二〇一二 年の衆議院選挙時に自民党が作成した「二〇一二 総合政策集」にも、「介護精神型老人保健施設」という言葉が用いられています。  日本の精神科病院の在院患者さんは三十二万人もおり、その内二〇万人以上が一年以上の長期入院患者さんです。このような方々の退院を促進するのではなく、今いる病棟を居住する施設などに転換して、そこにいても退院したことにしてしまうことは、あってはならないと思います。  この一月に日本が批准した「障害者権利条約」の第十九条は、次のように規定しています。 「障害者が、他の者との平等を基礎として、居住地を選択し、及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活する義務を負わないこと」  病棟転換型居住系施設は、この条文の「特定の生活施設」に該当し、障害者権利条約違反になる可能性が高いと考えられます。  このような背景もあり、障害者権利条約を監視する立場にある内閣府の障害者政策委員会のことし二月の委員会では、病棟転換型居住系施設についての反対意見が続出しました。たとえば、日本社会事業大学教授の佐藤久夫委員は「相当大きな問題が含まれているという指摘がたくさん出ている中で,これを強行していくのは止めるべきではないか」と強調しました。  このように、内閣府の検討会が一致して病棟転換に反対の意思を表明しているのに対し、厚労省の検討会は、条約批准に逆らう転換施設の提案をしているのです。  この違いは何でしょうか?  委員構成を見てみましょう。  内閣府の政策委員会は、三十名の委員のうち、障害当事者、またはその関連団体の方が半数を占めています。  それに対して厚労省の検討会は構成員二十五名の内訳が、日本精神病院協会の幹部など医師十三名、精神保健福祉士三名、看護師二名、精神障害当事者二名、家族会一名、作業療法士一名、新聞社論説委員一名、保健学研究者一名、法律学者一名であり、当事者はたったの二名なのです。医師が半数を超えているというのも突出しています。  この検討会は、病棟転換型居住系施設の賛否がまとまらなかったこともあり、三月に「長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討会」と名前を変えて再スタートしました。六月までに病棟転換を含む今後の方向性について取りまとめることになりましたが、批判の的となった委員の構成はそのまま留任となりました。 「二十五名中当事者が二名」というのは妥当でしょうか? 医療の供給サイドに偏った人選を行っていると言わざるを得ません。このような人選を行っているのは他ならぬ厚生労働省です。  三月に開催されたこの検討会で大変興味深いことがありました。たった二人の精神障害当事者の構成員である広田和子さんが、「日精協(日本精神科病院協会)からもらった四十五万円は返しました」と発言したのです。日精協は言わずと知れた民間精神科病院の団体です。その会議一回につき九万円を受け取り、計五回で四十五万円を受け取っていたというのです。  一般に、利益相反とは、「ある者が、自分以外の者の権利を擁護すべき地位にあるにもかかわらず、その責務と対立ないし抵触しうるような利害関係を有する状況にあること」とされています。国の施策の方向性を決めるような検討会においても、どのような立場で出席しているのかということはとても重要です。出席者は、その立場での発言が想定され、周囲からもそれを期待されるからです。  広田和子さんは、精神障害当事者であり、当事者のことを理解し、その立場を尊重した言動が期待されているはずです。しかしその人が議論をする相手方から金銭を受け取っていたということでは、その期待に答えることに疑問が生じます。そして重要なのは何故そのような人を厚生労働省は選んでいるのか、ということです。  広田さんは検討会の中でも、自身がアドバイザリーボードとして日精協の雑誌に出た対談の別刷りを全委員に配布していました。このことは、厚労省もわかっているはずです。二十五人の構成員のうちたった二人の当事者委員、そこに期待をした(せざるを得ない)多くの当事者の方々が全国にいることでしょう。  アメリカ医師会(AMA)の倫理規定では、利益相反についての一般条項として次のように述べています。 「いかなる状況であっても、医師が自身の経済的利益を患者の利益より上位におくことは許されない。医業の第一の目的は人類への奉仕であって、報酬や経済的利益はその付随的な対価である。医師が必要でない入院や薬の処方や検査を、自己の利益のために行うことは、倫理に反する。仮に医師自身の経済的利益と患者への責任が相反したら、それは患者の利益にかなう方向で解消されねばならない」  この中の、「医師が必要でない入院や薬の処方や検査を、自己の利益のために行うことは、倫理に反する」という部分は、この日本の様々な状況に当てはまる内容だと思います。病院は病気になった人を治療し、再び退院させ社会に返す機能をもったものです。したがって「社会的入院」など、あってはならないはずですなのです。  二〇〇四年の厚労省の『精神保健医療福祉の改革ビジョン』では、「受入条件が整えば退院可能な約七万千人の精神病床入院患者の退院・社会復帰を図ること」が謳われましたが、この問題は未だ解決していません。それにも関わらず「病棟転換居住系施設」を導入するというのは本末転倒であり、「病棟転換型居住系施設」設置は倫理問題であるとも思います。  三月に再開された検討会で厚労省が示した「検討の基本的考え方」には、「長期入院患者本人の意向を最大限尊重しながら検討する」としています。実は厚労省は二月頃から内々に患者さんの意向調査を開始していたことが、この検討会で明らかになりました。  厚労省の作成したこの調査票の中には、入院中の患者さんに対して希望する退院先として「その住まいが病院の敷地内なら、退院してみたいですか?」などという質問項目が設けられています。しかし、そもそも病院は病気を治療する場所であるという当たり前のことを踏まえれば、「退院の意向」を調査するということ自体がおかしなことしょう。現時点の「患者の意向」を持ち出せば、本質的な問題が見えなくなると思います。  七万二千人の社会的入院の人たち(この数字は実は妥協の産物で、現実の社会的入院は二〇万くらいと推測されているのですが)を十分に退院させてこられなかった、それではどうすれば退院できるかということを検討するならまだしも、現時点での「患者の意向」を調査し、今までのことをうやむやにして病棟の転換を議論すること自体が、国の倫理観を問われる問題だと思います。 個々の利害超え全体に奉仕を  しかし、より本質的なことを考えると、国の施策の方針を議論する場というものは、剥き出しの「利害関係」の調整をすればよいのでしょうか? 私たちはそのようなために国家を形成しているのでしょうか?  プラトンは『国家』のなかで、義兄のグラウコンに次のように述べさせています。 「自分が不正を受けることによって被る悪(害)の方が、人に不正を加えることによって得る善(利)よりも大きい。(中略)不正を加えることも受けることもないように互いに契約を結んでおくのが得策であると考えるようになる。このことからして、人々は法律を制定し、お互いの間の契約を結ぶということを始めた」  この考え方を引き継いだルソーは、『社会契約論』のなかで、人類が滅びることがないようにするためには人々の「力の総和」が必要であり、それは「多人数の協力」が必要であると指摘しています。そして「自分を害することなしに、また自分に対する配慮の義務を怠ることなしにどうしてそのような協力が行えるか」という問いに、こう答えています。 「各構成員をそのすべての権利と共に、共同体の全体に対して、全面的に譲渡することである。その理由は、第一に、各人は自分をすっかり与えるのだから、すべての人にとって条件は等しい」  私たちは、様々な利害や考え方の違いのある人たちの利害調整の場として、国やその機関を意識することが多いと思います。しかし、ルソーのいう「共同体の全体に対して、全面的に譲渡する」ということは、「全体に対する奉仕」の精神とつながってくるはずなのではないでしょうか。  国の施策の方向性を左右するような場に参画する人は、個々の利害関係を超えた全体に対していかに奉仕できるかということを忘れてはなりませんし、卑しくも国がその構成員を選ぶ際には、全体への奉仕の精神から離れてはならないものと思います。  精神科病院のあり方に関して、本質を見失った議論が進行しないよう、注視していきたいと思っています。 ------------------------------------------------------------------------------------- ◆その2「 不必要な医療」は禍のもと 医療情報の公開・開示を求める市民の会 勝村 久司  一九九〇年に、日本に「インフォームドコンセント(説明と同意)」という言葉が入ってきました。それまでのように、全く何も知らされないまま、医師にお任せで医療を受けるのではなく、「分からないことなどがあれば勇気を持って質問し、説明を受けましょう。」という類のものでした。  それまでは、がんであっても「患者がショックを受けてはいけない」といった理由で、本当の病名さえ知らされずにベルトコンベアに載せられたような医療が横行していたからです。さらに、本当の病名さえ隠されていたのですから、投与された薬名や検査結果なども正しく教えてもらうことはできませんでした。  医療内容が記されたカルテは、裁判をしない限り絶対に見ることができませんでしたし、医療費の明細書であるレセプトも、「患者本人からの請求であっても、裁判所からの開示の要請であっても見せないように」と、当時の厚生省は指導していたのでした。  一九九〇年頃はちょうど、後に最高裁の判決文で「医療とは呼べない犯罪行為」と断罪された、健康な子宮を病気と偽って摘出手術がされるなどの「富士見産婦人科病院事件」が全国的に大きなニュースになった後でした。同じ頃には、医療機関の都合のよい日時に分娩をさせる目的で、妊婦の知らない間に杜撰に使用されて、多くの母子が死亡したり重度の脳性麻痺になったりしていることを告発した「陣痛促進剤による被害を考える会」も結成されました。  また、それまでに様々な医療裁判を終えた医療事故の被害者たちが、同じような被害が繰り返されないようにと願って、「医療過誤原告の会」という全国組織を立ち上げたり、薬害エイズ事件の被害者たちが、裁判をするために、差別や偏見と闘いながら集まり活動を始めたりしたのもこの頃でした。  これらの被害者団体を横につないでいたのは、現在も続いている「薬害・医療被害を無くすための厚生労働省交渉」の実行委員会でした。当時の交渉では、インフォームドコンセントでもカルテ開示でもなく、「レセプト開示」が大きなテーマとなっていました。  カルテやレセプトを患者が見ることができないままで、インフォームドコンセントを求めても意味がありません。そして、カルテ開示ももちろん大切ですが、被害者たちが先に求めたのは「レセプト開示」でした。レセプトにはカルテには書かれていない「お金」のことが書かれてあるからです。  「出来高払い」の医療では、不必要な手術、不必要な検査、不必要な投薬など、不要なことをすればするほど収入が増えます。悪徳の医療機関ほど、患者を巧妙にだまして、手術漬け、検査漬け、薬漬けにしてしまいます。逆に、患者のために必要なことを精一杯して、不必要なことをしない医療機関は、赤字になる、というような仕組みになってしまっていたのです。  患者のための医療をするほど収入が増えるように、医療の価値観を変えなければいけません。そのためには、患者に情報を公開し、医療の価値観である、「医療費の単価」を患者に知らせると共に、その単価を決めている厚生労働省の「中央社会保険医療協議会(中医協)」の議論も公開し、患者を代表する委員も入れていかなければいけません。  そういう思いが広がって、レセプト開示は一九九七年から、中医協改革は二〇〇五年から、それぞれようやく少しずつ動き始めたばかりなのです。 ★「星の王子さま」の中の本物のプロ  医療界には中医協以外にも、大きなお金が動く仕組みがあります。  欧米の軍需産業から政治ルートで日本が軍用機等を購入するのと同じような構図で、医薬品の大量の備蓄がなされ、高額な支払いがなされることがありえます。また、国民のためではなく土建屋のために不必要な道路などの公共工事がなされ環境が破壊されてしまうのと同じような構図で、高額のワクチンを国や自治体が購入して接種させ、体の中の環境を破壊するようなことも起こりえます。  平和との利益相反がある軍需産業。健康との利益相反がある医療界。未来の安心と利益相反がある保険業界。「環境破壊のない本当のリサイクル社会の実現」と相反する「経済成長の願い」。  サン=テクジュペリの「星の王子さま」は、自分が暮らしていた星から地球に来るまでの間に六つの小惑星に立ち寄り、それぞれの星に一人ずついる住人と会話をします。 ・権威をふりかざして、偉そうに命令ばかりしている威張りんぼうの王様。 ・自分が褒められる言葉だけを願い、それ以外は聞こえないうぬぼれ男。 ・世の中が嫌になり、何もかも忘れて楽になろうとしているだけの呑み助。 ・何があっても、忙しくお金や財産の計算ばかりをしているだけの実業屋。 ・ずっと机に向かったまま知識だけ蓄え、それをまとめ直している地理学者。 ・星の高速の自転に合わせて朝夕に街灯を忙しく点滅させる勤勉な点灯夫。  星の王子さまは、点灯夫だけは星の役に立っているけど、他の大人ってわけがわからない、と感じるのです。  自分のためではなく、患者の命や健康を第一に考えて働いている点灯夫こそが、医療界の中でも評価を得て、尊敬されなければいけないはずです。 ---------------------------------------------------------------------------------------------- ◆その3 薬害の歴史は利益相反の歴史 江戸川大学教授/元NHK記者 隈本 邦彦  世の中には「薬害」と「薬の副作用」を混同している人も多いと思います。  我々が薬を飲むと、時に重い副作用に見舞われることがあります。しかしその頻度と症状が、事前に分かっていれば、そしてそれが薬の効果に比べて十分低ければ(つまり効果と安全性のバランスがとれていれば)私たちは副作用リスクを甘受してその薬を使うのです。副作用のない薬はありませんから、十分注意していても副作用が起きてしまうことはあります。  しかし薬害は違います。陣痛促進剤薬害被害者の勝村久司さんは、「薬害の原因は薬ではない。 患者の命や健康よりも自らの利益を優先する者による情 報の隠蔽や不正な情報操作こそが薬害の原因である」といいます。そしてその根拠として「過去の薬害はみな金や名誉欲によって科学的データが曲げられたり隠されたりすることで起きていた」と述べています。  つまり今回このシンポジウムでテーマにしている医療界における利益相反の問題は、日本の薬害の発生に大きくかかわっていたのです。        ◆  具体的に見てみましょう。  戦後最悪の被害者数を出した薬害スモン事件。戦前から長く使われてきた薬キノホルムが原因であることになかなか気づくことができず、被害は大幅に拡大。被害者は全国で約一万一〇〇〇人に上りました。  実は世界で広く販売されていたキノホルムでこれほどの薬害が起きたのは日本だけです。その理由は、もともと外用の殺菌剤として開発されたキノホルムが、その後飲み薬として使われるようになってからも、欧米ではアメーバ赤痢の治療に限定して慎重に使われていたのに、日本では一般的な胃腸病の薬として長期・大量に投与するといったきわめて特異な使われ方をしていたからです。当時キノホルムは腸からは吸収されないので、大量に使っても副作用は出ないといわれていました。  この「キノホルム長期大量療法」を推奨していたのは当然、医師たちです。製薬会社が彼らに強く働きかけをしていたことは想像に難くありません。この大量療法の流行で、国内のキノホルムの使用量は一九五三年から六一年までの間に二二〇倍に増えたとされています。  全国薬害被害者団体連絡協議会副代表の間宮清さんは、厚生科学審議会の部会で次のように証言しています。  「一九三九年に、ある医師は製薬企業が(キノホルムは)副作用のない薬なので使ってほしいといってきたので使って大量に投与しても副作用なしというふうに報告しています。しかし後にカルテを精査したところスモン様神経症状の記載が発見されたということがあります。製薬会社に、腹部症状にキノホルムが効果があることを示したいと治験報告の制作を依頼されて、論文にその旨を書いた医師がいました」。  ただこの当時は、どの医師がどれほどの金を製薬会社からもらっていたか知る手立てがなく、利益相反(癒着)の存在は想像するしかありませんでした。  薬害と利益相反の関係がはっきりと白日のもとにさらされたのは、薬害エイズ事件です。  薬害エイズ問題の中心人物である安部英(あべ・たけし)元帝京大学副学長は、米国の非加熱製剤の危険性にうすうす気づいていながら、輸入販売をしていた製薬会社から国際シンポジウムのスポンサーになってもらったり、自らの私設財団に寄付金をもらったりしていました。さらに安部医師は日本における加熱製剤の承認審査のための治験総括を、製薬五社すべてについて引き受けていました。  薬害イレッサ訴訟でも、利益相反が問題になりました。この訴訟で被告のアストラゼネカ社や国は計六人の専門家証人を申請しましたが、このうちア社と利益相反のない人は、厚生労働省の元課長だけでした。他の専門家、例えば西條長宏証人は、当時国立がんセンター東病院副院長でイレッサの承認前から、副作用が少ないという宣伝に関与し、ア社の講演も多数引き受け、臨床試験にも関与していました。  福岡正博証人も、イレッサの開発段階から関与していました。彼が設立した西日本胸部腫瘍臨床研究機構というNPО法人には、ア社から毎年二〇〇〇万円の寄付が行われていました。工藤翔二証人は、イレッサが承認された二〇〇二年から5年間、個人として三六〇万円の報酬を受け取り、彼の大学の教室には毎年一〇〇万円の奨学寄付金が提供されていました。  タミフル投与後の異常行動について厚生労働省の研究班が作られたときにも、利益相反が問題になりました。二〇〇六年度、タミフルを輸入販売する中外製薬から研究班のメンバーに贈られた寄付金は、横浜市立大学横田俊平教授に一五〇万円。岡山大学森島恒雄教授に二〇〇万円、統計数理研究所藤田利治教授に六〇〇〇万円と発表され、この三人が研究班から外されました。  怒った横田教授はマスメディアに研究班の内情を暴露、実は研究班そのものの予算もその六割を中外製薬が出していました。厚労省の担当者は「タミフルの副作用を調べるのだから製薬会社がお金を出すのは当然」と言い放ちました。  日本でなぜ薬害が繰り返されるのか、実はこのあたりに原因があるのです。 --------------------------------------------------------------------------------------- ◆その4 イレッサ薬害は利益相反のカタマリ 弁護士/薬害オンブズパースン会議事務局長 水口 真寿美  薬害イレッサ事件は、みごとなまでの利益相反がみられた事件です。  イレッサ(一般名・ゲフィチニブ)は,〇二年に世界に先駆けて日本で承認されたアストラゼネカ社の肺がん用の抗がん剤です。承認直後から致死的な間質性肺炎の副作用報告が相次ぎ、承認から三ヵ月で緊急安全性情報が出され、添付文書が改訂されました。この三ヵ月間だけでも、報告された副作用死は一六二名にのぼります。  これほどの被害が出たのは、副作用に関する添付文書の警告が不十分だっただけでなく、承認前から「副作用が少ない」「夢の新薬」という宣伝が行き渡っていたからです。  致死的間質性肺炎がでることは承認前の国内外の臨床試験などによって分かっていたのですが、そのことが、現場の医師や患者には十分に伝えられなかったのです。ディオバン(一般名・バルサルタン)事件と同様、宣伝では医師の対談形式が活用されました。  ところで、イレッサは、「延命効果(命が伸びる効果)」を承認後の臨床試験で証明することを条件に、「腫瘍縮小効果(がんが小さくなる効果)」だけで承認された薬でした。  ところが、〇四年、海外の大規模な臨床試験で延命効果の証明に失敗。米国では、イレッサの新規患者への投与が禁止され、EUでは承認申請が取り下げられました。  日本でも対応が問題となり、厚労省は検討会を招集する一方、検討会の最終回に間に合うように、日本肺がん学会にイレッサの「使用ガイドライン」の作成を依頼しました。そして、結局、検討会は、日本肺がん学会の「使用ガイドライン」に従えばよいとしてイレッサの継続使用を認めたのです。  この日本肺がん学会のガイドライン作成委員会の利益相反は目を覆うばかりでした。委員一〇名中五名がイレッサの治験に参加、「副作用が少ない」とする対談形式の宣伝に登場した医師が委員長、二名は同社の専門家会議の委員、六名は同社から毎年二〇〇〇万を超える多額の寄付を受けてイレッサの普及を担っていたNPO法人に参加、そのNPO法人で長年会長をつとめた医師も加わっていました。  〇四年、被害者の遺族らが大阪地裁と東京地裁で訴訟を提起しました。訴訟では、イレッサの広告宣伝で活躍した医師を含め、国と企業の申請した六人の証人のうち、五人がア社と深い利益相反関係があり、個人的寄付を受けている証人もいました。      さらに、東京地裁と大阪地裁の和解勧告拒否の場面でもこんなことがありました。一一年、両地裁が被害者を救済するべきとの和解勧告をそろって出し、厚労省の元審議官が新聞のインタビュー記事で、国は和解に応じるべきとする見解を公表しました。すると、厚労省は会議で和解拒否のため「やれることはなんでもやる」と確認、裁判所の和解勧告所見をねじまげて説明して関係学会等に働きかけ、一部には「下書き」まで提供し、和解勧告を批判する見解を出すよう依頼したのです。  そして、学会が一斉に和解勧告を批判する見解を公表(患者団体も見解を公表しており、働きかけがあった可能性があります)。ア社はその日のうちに手回しよく見解をプレスリリースに引用して和解拒否を発表、国も後日、和解勧告を批判した団体の一覧表を配布して、和解拒否会見をしました。  その後、厚労省の自作自演劇が明るみに出て、国会でも追及されました。厚労省は調査チームを設置して報告書をまとめ、担当者には処分もありました。しかし、調査委員会の報告書があいまいだったので、薬害オンブズパースンで元資料について情報公開請求をすると、一〇〇枚近くがほとんど黒塗り。やむなく提起した情報公開請求訴訟は今も続いています。  この事件では、各新聞社は副作用が少ないというア社のプレスリリースを鵜呑みにして記事にし、結果、宣伝に一役買いました。小さな新聞記事を握りしめて、「この記事を私がお父さんに見せなければ」と泣き崩れたご遺族を忘れることはできません。  学会とともに利益相反だらけの医師を招いてシンポジウムを開催。その中でイレッサを推奨し、記事と見まがう形式の全面広告を掲載した新聞社もありました。  訴訟は、最高裁で被害者側の敗訴が確定しました。この判決が前提としたのは、添付文書を隅々まで読み、宣伝などには影響されない理想の医師像です。しかし、これがいかに現実からかけ離れているかは、ディオバン事件等を知った今は分かり易いですね。  実は、イレッサ事件でも、全国薬害被害者団体連絡協議会は、薬事法の虚偽誇大広告の規制に違反するとして刑事告発しているのです。しかし、企業も国も、医師の対談形式のものは、「学術情報の提供」で広告ではないと主張、不起訴になりました。その後、厚労省はこの見解を改めたようですが、薬事法の規制は「広告」だけを対象とし、企業の多彩なプロモーション活動をカバーできません。改正するべきです。  薬害イレッサ事件では、企業と医師・学会の経済的関係だけでなく、厚労省の「メンツ」や関係者の「しがらみ」がもたらす利益相反も見え隠れします。薬の有効性の評価の場面でも利益相反の影響は深刻でした。  この事件は実に多くの課題を提起しています。今こそ教訓を生かして、被害者の再発防止の願いに応えるときではないでしょうか。 ----------------------------------------------------------------------------------------------- ◆その5 乱用される高齢者の薬に見る利益相反 精神科医/千葉大学医学部附属病院 特任准教授 上野 秀樹  諸外国の認知症国家戦略においては、精神科薬のなかでも特に「抗精神病薬」の投与が問題とされ、その処方量の削減が目標として掲げられています。とこが日本では、「抗精神病薬」以外にも「緩和精神安定剤」というタイプの精神科薬の濫用の問題があります。  認知症では、もの忘れや判断力の低下など認知機能障害と呼ばれる症状と、一部の認知症の人には幻覚や妄想、興奮状態などの精神症状が生じます。認知症の人に対する抗精神病薬は、精神症状の鎮静を目的として処方され、薬剤性のパーキンソン症状や過鎮静など数多くの深刻な副作用が生じる可能性があります。  そもそも認知症の人の精神症状は、もの忘れや判断力の低下によって生じる周囲の環境に対する混乱であったり、言葉で表現するのが苦手な認知症の人の言葉にならないメッセージであったりします。  認知症の人に対する社会の理解が進み、認知症の人が混乱しないような環境が整備され、社会的支援が充実して、認知症の人が生き生きと暮らせる社会をつくることが出来れば、認知症の人の精神症状は減少し、認知症の人に対する抗精神病薬処方の必要性は減少することでしょう。このように「認知症の人に対する抗精神病薬の処方量」は、認知症の人への社会的支援の充実度の指標になるのです。  こうした「抗精神病薬」の問題に加えて、日本には「緩和精神安定剤」の濫用の問題があります。睡眠導入剤や抗不安薬としてだけではなく、不定愁訴や精神的訴えに対して万能薬的に処方され、諸外国の数倍の量が使われているのです。  「緩和精神安定剤の継続的な内服」は、常用量依存以外にも、多くの問題を生じます。特に高齢者の場合、緩和精神安定剤による筋緊張の低下で転倒しやすくなり、緩和精神安定剤による意識レベルの低下は認知機能障害を生じます。また、せん妄状態の引き金となり、幻覚や妄想、興奮状態などを生じることも知られています。  私が勤務する千葉県旭市の海上寮療養所の外来には、精神症状のある高齢者がたくさん来院されますが、緩和精神安定剤を内服している場合には、徐々に減量することで精神症状が改善していきます。  それだけではありません。当院に来院される方の中には、「これは食事の代わりですか?」と尋ねたくなるほど、たくさんの内服薬を処方されている人がいます。ある訴えに関して対症療法的に薬物を処方し、その後、処方内容に関する検討をせずに漫然と継続してしまった結果、かかっている期間が長ければ長いほど、処方薬の量が増えてしまうという傾向があります。  多種類の薬を内服していると、その副作用、薬物相互作用の可能性は雪だるま式に増加し、何が原因になっているのかも推測困難になります。こうした方でも、内服薬の調整をするだけで精神症状が改善する場合も多いのです。  こんな話もありました。看取りをしている認知症対応のグループホームで、九〇歳を過ぎた方の老衰が進み、身体的にも弱ってきて、もう一〜二週間の命かと思われました。そこで、かかりつけ医と相談の上、血圧の薬、高脂血症の薬、胃腸薬、その他諸々処方されていた薬を徐々に減量したそうです。そうしたら、かえって元気になって、その後一年半以上も幸せに暮らすことが出来たそうです。  また、私の知り合いの先生に聞いた話ですが、都内の某総合病院近くの院外処方薬局近辺のゴミ箱を毎日観察していたら、受け取ったばかりの処方薬がまるごと捨ててあることがよくあったそうです。ゴミとして捨てられていしまった処方薬の費用には、私たちの貴重な社会保障費が投入されています。  こうした見逃される副作用や無駄が生じる背景には、製薬会社のプロモーション活動の問題があります。製薬会社は効能・効果に関して大々的に宣伝を行いますが、副作用に関する説明は不十分です。そのため、処方している医師が、副作用が出ていることに気づかず、副作用報告も行われず、製薬会社の思惑通りに「副作用が少ない薬」として認知されることになります。  例えば、たくさんのアルツハイマー型認知症の人に処方されている抗認知症薬で、「アセチルコリンエステラーゼ阻害薬」というタイプの薬物があります。このタイプの抗認知症薬では、易怒性・攻撃性の亢進、興奮などの副作用がかなりの頻度で認められ、ご本人のみならず、ご家族が大変に困っているケースがたくさんあります。  処方している医師に相談しても、そもそも副作用として認知されていないので、何の対応もされなかったりします。当院に来院される怒りっぽくて、興奮が激しい認知症の人で、こうした薬物を内服している場合には、まず中止していただきます。そうすると七〜八割のケースで精神症状は速やかに改善し、その後製薬会社が主張するように認知機能障害が急に進行することもありません。ご本人は穏やかに笑顔で暮らすことが出来るようになり、ご家族からも「先生、認知症がすごくよくなりました!」と感謝されることが多いのです。  薬物療法では、効能・効果よりも、生じる可能性がある副作用の周知徹底の方がずっと重要です。医師も副作用が出ないように処方する、常に副作用の可能性を考えて内容を検討するといった態度が必要だと思います。