たばこの部屋


■標的になる若い女性■

 これは、まさに「戦争」である。口に出すか出さないかの違いはあるものの、日本全国、津々浦々、両派のいるところ、即、戦場である。私の職場、論説委員室も例外ではない。

「たばこをやめて長生きしようなんて男は、男じゃない」
「きっぱりやめる意志の強さこそ、男らしさの象徴だよ」
「一服のこのやすらぎが分からないなんて、気の毒に」
「このいやなにおいが他人を苦しめているのに気づかないなんて無神経だなあ」
「吸わないと、社説の書き出しが浮かばないんだ」
「公害に厳しい論客が、たばこ公害にだけ甘いのはおかしい」
 同志への裏切りを後ろめたく思いつつ禁煙に成功しかけている元愛煙家、「吸わないけれど、ボクは煙が気にならないよ」という気配り派……戦線は複雑をきわめている。
 こんな状況下で、たばこの罪状を書くのは気が重い。愛煙家の先輩、後輩の顔がちらつく。たばこの好きな方たちが他人に迷惑をかけずに、楽しまれるのを否定しようなんていう気は、まったくない。しかし……。

 この4月から、戦況は新たな段階に入る。専売公社は、日本たばこ産業株式会社に衣替えし、積極商法に転ずる。自由化で、外国たばこもなだれこんでくる。たいていの場所で吸うことができ、テレビCMも自由、などという先進国は、めったにない。わが日本列島は「限りなく巨大な潜在市場」(日本専売新聞の見出し)なのだそうだ。標的は、将来母となる若い女性たちである。
 この「四月大攻勢」に危機感を抱いたノンスモーカー陣営は、今年を「ノー・モア・タバコ・イヤー」と定め、巻き返しの秘策を練っている。禁煙を勧めるポスターには「国もやめます。私もやめます」。
 泥沼化したこの、たばこ戦争、平和的解決の道はないものだろうか。

■他人を脅かす紫の煙■

 争点の一つは、たばこによる空気の汚れだが、日本専売公社の長岡実総裁は、民営化を前に、こう記している。
「他人のたばこの煙を吸わされて、それで病気になるということについては、科学的には、まったくといってよいほど証明ができていないというのが現状だ」
ほんとうだろうか。

 たばこの煙には、喫煙者が吸いこむ白い煙、主流煙と、たばこの先から立ち昇っている紫の煙の2種類がある。いま注目されているのは、周辺に広がる紫の煙、副流煙である。白い煙に比べ、ニコチンは3倍、一酸化炭素5倍、アンモニア50倍。発がん物質は種類によって違うが、たとえば3・4・ベンツピレンで3倍、ジメチルニトロソアミンで約100倍である。これが空気を汚す。他人の健康を脅かす。

 米国立環境衛生科学研究所のD・サンドラー博士のグループは、この2月、米、英の医学専門誌に発表した論文で恐ろしい現実を証明してみせた。
「子どものころ家庭内に喫煙者がいて、たばこの煙にさらされた人は、成長してから、がんになりやすい」
 報告によれば、家庭内に喫煙者が一人いると、白血病やリンパしゅの発病率は、一人もいない場合の約3倍、2人いると5倍、3人以上いると7倍になる。乳がん、肺、気管支、のどのがん、子宮がんも同様な傾向だった。
 スモーカーの妻が非喫煙者の妻に比べて、肺がん、鼻のがん、脳しゅよう、心筋こうそくで死にやすいことは、9万人以上の妻を追跡した国立がんセンターの平山雄疫学部長グループが既に報告して、世界的に注目されている。妻子以上に長く喫煙者と空気を共有する同僚は、さらに危険である。

 世界保健機関(WHO)の国際がん研究機関は、身の回りの物質の発がん性を一つ一つ厳しくチェックする作業を進めているが、さる2月12日から1週間、フランスのリヨンに世界の専門家50人を集めて討論を重ねた結果、おごそかに、こう「判決」を下した。
「たばこの煙と人間のがんには、明らかな因果関係がある」
 「喫煙(タバコ・スモーキング)」でなく「たばこの煙(タバコ・スモーク)」としたのは、吸わない人の「紫の煙」による巻きぞえ発がんを含んでいるためである。

■非喫煙者の身考えて■

 いまの日本は、「禁煙」の表示が掲げられているところ以外、すべて喫煙者の天国である。ノンスモーカーは、煙が目にしみても、のどが痛んでも、耐えしのんでいる。
「吸っていいですか」なんて尋ねてくれる人は、めったにいない。かりに尋ねられても、「困ります」と口に出せる空気ではない。

 巻き添え発がんを防ぐには、思いやりと理性に裏打ちされた「分煙の文化」をつくり上げるしかない。
 ビルや乗り物の中は「喫煙」の表示のあるところ以外は禁煙、という文化である。 厚生省、労働省、運輸省、文部省、テレビCMに責任をもつ郵政省はじめ政府関係者は、きれいな空気を大切にする社会づくりのため、政策の座標軸を大きく転換してほしい。
 たばこの煙の害を最小にするための規制や教育のために費用がいるとすれば、財源として、たばこ消費税の一部をあててはいかがだろうか。

(論説委員・大熊由紀子)

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