千葉・ちいき発


やっぱり必要、みんなで作ろう!40

県議会報告(3月24日)

 県議会HPで県議会閉会日に行われた条例案に関する各党の討論を見つけて、根性を入れてテープを起こしました。(http://www.pref.chiba.jp/gikai/chukei/rokuga/index.htmlの、2月定例県議会の3月24日の「議案・請願総括審議(2)【討論】」を参照)

加藤マリ子議員(社会・県民連合)
 障害のある人もない人も共に生きていくことのできる地域を作ろう、社会を作ろう、ノーマライゼーションという言葉も浸透しつつあります。施設から地域への流れも、まだまだ生活の場、活動の場、働く場などの受け皿不足はあるものの、その方向性については否定できないものです。依然として障害を持っているが故のいわれなき差別により、理不尽な扱いを受けているという声も跡を絶ちません。差別は、される者にとって、つらく痛く苦しいものであり、許しがたいものですが、往々にして差別する側にはその意識はなく、差別しているということさえ分からないものです。私たちは、個々の課題はありますが、長い間の差別状況を解決するための扉を開くものとして、差別解決への後押しとなることを願い、この議案の賛成討論といたします。

三輪由美議員(共産党)
 わが党は、代表質問でこの条例案には施設入所を否定するような文言があるなど問題点もあるが、差別をなくそうという趣旨には賛成であること、であればなおのこと、条例の趣旨に反する不当な障害者差別が県行政の様々な分野に放置されている、この不正常な事態の解決が急務であることを指摘いたしました。県自身が必要な予算措置も含め、差別根絶の先頭に立ち、大きな一歩を踏み出すことは当然のこととして、本条例案は継続審議ではなく、採択すべきです。

吉川洋議員(市民ネット・無所属市民の会)
 この条例案に対しては、今議会において本会議の代表質問、一般質問、予算委員会、そして健康福祉常任委員会等連日大いに議論されました。今般、自民党の議員の発言で一番多かったのが、この条例案は拙速であるということでした。しかし、千葉県が本条例案制定への取組に具体的に入ったのが、平成16年9月、今から1年半も前のことです。
 その後、障害者差別に該当すると思われる事例募集に約800件の応募があり、昨年1月からは研究会が発足、障害当事者だけでなく、広く企業や教育現場からも参加した29名の委員が1年間、20回にわたり議論をいたしました。また、県内31か所で開催されたタウンミーティングには3,000人以上が参加しました。白紙の段階から県民参加で1年以上もかけて練られて、条例案として提案された。このどこが拙速なのでしょうか。
 また、自民党からの批判の多い、知事が悪質な事案を公表できるという点ですが、千葉県条例の中で勧告公表の両方の規定があるものは、個人情報保護条例、消費者保護条例、福祉のまちづくり条例など7件、そのほか、公表のみが1件、勧告のみが9件もあります。けっして特異なものではありません。国に目を向ければ、勧告の後公表、勧告の後命令という規定のあるものは、220件もあります。
 特に、障害者の雇用の促進に関する法律には「厚生労働大臣は、正当な理由がなく、勧告に従わない事業主には、その旨を公表することができる」とあります。さらに障害者基本法では、平成16年の改正で、附帯決議として「障害者に対する障害を理由とする差別や権利侵害があった場合の迅速かつ効果的な救済に必要な措置を検討する」とある。今回の千葉県の条例案は、まさに国が求める措置に合致したものであるということが言えます。
 教育現場の混乱と言うこともしきりに取り沙汰された。私たち政治家は、差別を社会から具体的になくしていくのが大きな仕事の1つ。障害者や子ども、高齢者や女性といった弱い立場の人の目線に立って、つらく悲しい思いを共有し、理不尽な苦しみをなくすために条例をつくり社会を変えていくべき立場です。それなのに、差別をなくすための条例案に待ったをかけ、障害のある人を悲嘆の淵に追いやってよろしいのでしょうか。

岡田啓介議員(自民党)
 障害のある人もない人も共に暮らしやすい社会を目指すとした、その方向性についてはわが党も異論はない。むしろ、障害のある人もない人も支え合いながら共に豊かに暮らせるノーマライゼーション社会の建設は、われわれ自民党の願いでもある。本議案については、昨年暮れに要綱案が示された際、その内容が障害のみならず広く人権問題にまで及び、社会のほとんど全ての現場に対応する極めて広範なものであり、また、個々の事案についても精査が必要なことから、短期間での結論づけは難しいことを表明してきた。今日まで精力的に検討を重ねてきたが、本定例会での結論は、継続審査とせざるを得ない。以下、指摘された事項、さらに検討を要する事項等を述べてまいります。
 まず、言葉の定義等が曖昧で、定常的解釈が難しいことであります。例を挙げれば、「自分らしく、ありのままに、その人らしく」は一人ひとり違うものであり、一定の解釈は難しい。「生きにくさ、暮らしにくさ」もそれぞれ異なる主観的なものであり、客観的な判断が難しい。「差別など」、の「など」はどのようなものを想定したものか、拡大解釈をすることも可能であり、曖昧な解釈である。
 また、公表とはたいへんな社会的制裁であり、その文言が官民を問わず、ほとんど全ての現場に無言の圧力となるのではないか。結果的には、障害者に対する雇用の門戸を閉ざしてしまう恐れがあり、同時に、障害者と健常者の間に新たな溝をつくってしまうことになりはしないか危惧する。公表においては、その認定に誤りがあった場合の救済措置、名誉回復措置が規定されていないが、これでよいのか。差別解消委員会と推進会議については、再任の制度がなく、特定の人が委員に長期間留まることにより、判断が偏る懸念はないか。選出の根拠が不明確であり、中立性をいかに確保するのか、また、国籍条項もないことから、恣意的な人選並びに恣意的な運営の危惧はないか、障害者差別をなくすための研究会の議事録の中で、条例策定にそぐわない意見は聞き流されている感を受ける。県民主導で作られた条例案であると聞くが、障害のある人から健常者まで、また官民問わず多くの事業に従事している方々の参加をいただき、広く意見を聴取した上でつくられたものであるのかどうか、条例ありきで進んできたような感を強く受けるが、実際はどうなのか。
 差別を解消するためには相当な予算を要すると考えます。特に教育機関において相当な財源が必要になると考えるが、予算措置の裏付けはあるのか。
 さらに、条例の関係者への周知が不十分であり、施行前に自治体、医療関係者、教育現場、サービス業、公共交通機関等々より意見の聴取が必要であること。
 また、市町村教育委員会は、この条例を知らされずたいへん困惑しているとの意見もあり、文教常任委員会においての質疑において、条例案が策定された後、市町村教育委員会に対して意見聴取はしていないと答弁されている。また、県小学校校長会など教育関係団体から重点的にヒアリングを行ったと知事が述べているが、それが行われたのは昨年の7月であり、条例案を示した上で意見を徴したものではない。わが党の調査によれば、市町村に対しても意見聴取はほとんどなされていない模様である。条例施行前の意見聴取は必要不可欠であり、指摘事項はこれに留まるものではないが、時間の関係もあり、この辺にとどめ置く。
 わが党が本条例案に対して申し上げなければならないことは、この条例を施行することにより、障害者にとって、現在よりも暮らしやすい社会になるのだろうか。健常者にとって、現在よりも暮らしやすい社会になるのだろうか。
 また、わが党が目指すところの、障害のある人もない人も支え合いながら常に共に豊かに暮らせるノーマライゼーション社会の建設に近づけるのであろうか、ということ。間違っても、条例制定により暮らしにくい社会をつくってはいけないのであり、時間をかけ精査し、冷静に議論し、判断をしなければならない案件であると認識している。また、知事のおっしゃる千葉方式、県民参加の手法においては、条例はすべての県民が対象となるものでありますから、特定の当事者の参加ではなく、広く県民の参加がなければ、特定の利害、思想に偏った内容の条例となりやすく、結果として双方に不利益な結果となり、真の県民福祉の向上に寄与する条例とはならないということを申し上げなければなりません。

吉野秀夫議員(公明党)
 これからの社会の目指すべき姿は、共生社会であると考えます。しかしながら、現実として、例えば、働くことに壁があるのは障害者も女性も同じであります。今議会において、この障害者と女性に関わる条例が継続、否決されようとしている事態は、極めて遺憾であり、誠に残念でなりません。
 障害を持つ人もそうでない人も同じように教育を受け、仕事を持ち、収入を得、家庭生活を営み、自由に移動、文化・芸術・スポーツに参加するなど、すべての社会生活及び社会活動に参加する機会を平等に得られる社会、すなわち、すべての人が人間として大事にされる社会を私たちは築かなければなりません。
 私たちはこれをユニバーサル社会と呼びます。とりわけ、障害のある人が地域で活き活きと暮らしていくために、障害のある人に対する理解を広げるとともに、違いを認め合い、お互いをかけがえのない存在として認識し、誤解や偏見のない社会を実現していくことが重要であります。
 私どもは、障害者の問題は、人間観、そして人権に直結する問題と考えております。こうした認識をさらに深め、より定着させ、目指すべき社会のあり方を明示したこの条例を制定することはたいへん重要な意味があると私は考えるものであります。
 さて、憲法14条は、法の下の平等を保障し、差別を禁じております。しかしながら、この憲法の規定は抽象的、何が差別かその基準は明確でありません。また、憲法の規定は、原則的に、国や地方公共団体と国民の間を律するもので、個人と個人の間には適用されないと解されます。しかし、現実に起きる差別は、個人によるものがその大半であります。
 会社、事業所などを含め、個人と個人の間の差別をなくすための何らかの手立てが必要であります。2004年の障害者基本法の改正で「何人も障害者に対して障害を理由とした差別、その他の権利、利益を侵害する行為をしてはならない」との一文が盛り込まれました。ここでも何が差別か明確でありません。
 その意味で、今般、今議会に上程された条例案は、地方分権の名にふさわしく、国に先駆けて具体的な差別事例に触れた画期的な条例案といえるのであります。
 条例の骨格となくすべき差別の中身を見ますと、障害者の差別の多くが差別と気づかずに行われている実態を踏まえ、差別に当たる行為を具体的に列挙、県民共通の理解、ルールをつくっていこうとしております。
 障害者が必要とする支援は、事例ごとに多様であり、過重な負担になる場合は適用除外をしたこと、なくすべき差別には即解消できるもの、時間や人手、費用のかかるものもあり、罰則は設けず、個別事例に則し、第三者が仲介する仕組みを設けたことなど、関係者が知恵を出し合い、できることから確実に差別解消に向けて取り組んでいこうとする条例案であります。また、この条例案には勧告と公表という問題解決の手段が設けられ、そのための差別解消委員会が設置される。ですが、個別事例の解決については、できる限り当事者を交え、話し合いによる実質的解決を基本としております。はじめから勧告・公表ありきではありません。
 勧告・公表は不要との意見もありますが、この条例の実効性を高める担保手段として私どもは欠かすべきではないと考えております。現に、勧告・公表の規定を有する県条例は、千葉県個人情報保護条例、千葉県廃棄物の処理の適正化等に関する条例など17件あり、決して、これが例外ではありません。
 さて、私どもは、条例ができただけで直ちに社会が変わるとも思っておりません。条例の施行を受け、幅広い運動を展開していくことで、条例が県民を育て、県民が条例を育てるのだと私は思います。その意味で、条例の制定はゴールではなく、むしろスタートであります。障害者に対する考え方、理解を広げる第一歩であると思うのであります。
 さて、私は子どもの頃、幸せのシンボルとされる四つ葉のクローバーを一生懸命に探した経験があります。この議場におられるすべての会派の議員の皆さん方も執行部の皆さん方も、傍聴席の皆さんも報道記者の皆さんもみな同じかと存じます。そしてこの四つ葉のクローバーが見つかったらしおりにするという習慣は、実は世界的なものだそうであります。でも本来、四つ葉のクローバーは、クローバーの世界では突然変異、表現は適切を欠くかも知れませんですが、ある意味で遺伝学的現象であります。それを幸せのシンボルと決めたのは人間の想像力であります。滅多に見つからない愛らしい四枚の葉を見つければ幸せになれるのだと決めた、そう考えたのは人間であります。
 私は、障害を持つ人もそうでない人もこの千葉県に生まれ、この千葉県に育ってよかった、と誇らしく思える千葉県を目指すことが県政の大きな役割であり課題と考えます。したがいまして、この成立を制定させるべき主張し、公明党を代表しての討論といたします。

<呼びかけ人> 田上昌宏(千葉県手をつなぐ育成会会長)/竜円香子(同権利擁護委員長)/大屋滋(日本自閉症協会千葉県支部長)/土橋正彦(市川市医師会長)/植野慶也(千葉県聴覚障害者連盟会長)/野内恭雄(千葉県精神障害者家族連合会会長)/成瀬正次(障害者差別をなくすための研究会委員・全国脊髄損傷者連合会副理事長)/佐藤彰一(同・法政大大学院教授)/高梨憲司(同・視覚障害者総合支援センターちばセンター長)/野沢和弘(同・全日本手をつなぐ育成会理事)
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