優しき挑戦者(国内篇)

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(44)施設を閉じた長崎☆ハンディが重くても、愛する人と、故郷の町で

■俳優の演技を"反面教師"に■

 まず、右の写真をご覧ください。「瑞宝(ずいほう)太鼓」のスターたちです。
 知的なハンディを負った人々の職業訓練をする長崎能力開発センターのクラブ活動として87年に始まりました。
 その技が評判になり、92年のバルセロナ・パラリンピックの閉会式など海外公演が4回。野外公演や結婚式のお祝いなど様々な催しに招かれるようになりました。
 2001年4月、プロの道へ。保育園や小中学校で和太鼓の楽しさと素晴らしさを教える先生役もしています。 少年院での演奏も、すでに27カ所になりました。
「打ち込めるものを見つけて輝いているメンバーの姿を見て、人生を、そして、人を大切にしてほしい」という願いから始まったボランティア活動です。

 この面々、「知的障害があるなんて、信じられない」といわれることがよくあります。
 親組織、社会福祉法人・南高(なんこう)愛隣会の理事長の田島良昭さんの深謀遠慮のタマモノです。この仕事に取り組み始めたとき、田島さんは、俳優に頼んで知的障害を演じるときの「演技のコツ」を明かしてもらいました。
 その結果は−−。
 姿勢をダランとする/口をだらしなく開ける/目を宙に泳がせる/服装をチグハグに/ぼーっとした風情。
 この1つ1つをなくしていったら知的障害があるようにはに見えなくなったのでした。

■前代未聞、日本初の施設閉鎖■

 30年前、田島さんがこの道は入ったときの夢は、知的なハンディのある方たち4〜5人と共に働き、一つの家でなごやかにゆったり、楽しく過ごす暮らしでした。
 けれど、制度はあまりにも限られていました。まず永続できることを優先し、入所施設から始めざるをえませんでした。78年に入所授産施設「雲仙愛隣牧場」(写真右上)、81年に入所更生施設「コロニー雲仙」(右下)を開きました。

 当時の、入所利用者の願いは「お弁当を持って働きに行きたい」「お母さんのところに帰りたい」でした。
 その願いを叶えるために、また、どこの施設でも断られる人のためにサービスを創り出し続けました。
★雲仙名物のソーメンの工場やパン工場で、売れ行きのよい商品をつくれるシステム
★「自立訓練棟」という名の後のグループホーム
★強度行動障害と呼ばれる人の受け入れ
★罪を犯した人の受け入れ……。
 見学者が絶えない日本の障害福祉のメッカでした。

 けれど、田島さんたちは、満足しませんでした。それは、親子3人で、右のような狭い施設の部屋で、入所している人たちと同じ暮らしを体験したからでもありました。
 「1週間でも耐えられない暮らしです。この鉄筋コンクリートの檻から出たい。2度と戻りたくない、そんなみんなの思いや願いを実現するにはどうしたらいいか」

 そして、2007年3月、2つの施設を閉じたのでした。
 福祉先進国ではあたりまえになっていますが、施設収容政策を続けてきた日本では初めての画期的なことでした。
 2つの施設を巣立った人々5百人を含め約1000人が、それぞれの故郷で暮らしています
 その暮らしを教育訓練、職業能力開発、生活支援、就労支援、在宅支援にたずさわる職員約250人が支えています。


■仕事と愛と誇りと安心と■

 こんどは、下の4家族の写真をごらんください。どの顔も、幸せな笑顔に満ち満ちています。でも、雲仙の社会福祉法人に来たときの写真を見ると、すさんだ顔、険しい顔ばかりです。
 窃盗を繰り返していた人、統合失調症を合併して入院していた人、ヤクザの子分にされて恐ろしい目にあっていた人……。
 ここには写っていませんが、ハダカにされ、仰向けにされ、刺し身を盛りつける「女体(にょたい)盛り」の器にされていた女性もいます。知的障害のある人の町での暮らしには、辛いことがつきまとうのです。
 写真の笑顔の秘密を解く鍵は「愛する人との暮らし」「仕事への自信」「安定した収入」「地域の人の役にたっているという誇り」にあるようです。
 友樹ちゃんを囲んだ上左の写真の友広さんは、冒頭の瑞宝太鼓の団長、友子さんは給食センターで働いています。
 上右の写真の福之さんは給食センターの統括係長、ヤス子さんは名人のワザをもつソーメンの品質検査の係長。大志ちゃんを抱いているのが、田島さんです。

 下左の写真の浩吉さんはソーメン工場の乾燥の環境を整える神業をもった係長、千英子さんはハム工場で働きつつ、障害のある人たちでつくっているボランティア組織「ふれあいか塾」のリーダーです。2人は「ふれあい塾」で知り合い、結婚4年目です。
 下右の写真の秀高さんはソーメン工場の製造係長、一恵さんはバン工場のたったひとりの係長。2人は結婚相談室「ブーケ」の後押しで結ばれました。
 そしてどのカップルも、互いに好意をもちあい、恋を実らせたのです。
 月収は2人あわせて20数万円、これに2級の障害基礎年金2人分13万2千円が加わります。
 千英子さんがリーダーをつとめるボランティア組織は独り暮らしのお年寄りの庭の手入れなど、制度でカバーできない手助けをして、頼りにされています。

 仕事も恋も苦手の重度の人々のためには、故郷ごとにケアホームがつくられています。右の写真は佐世保につくられたもの。遊びに出たわが子たちをよもやま話をしながら待っていた母たちとちょうど帰って来た若者たちが写っています。
 「愛する人」とは、恋人とは限らない、異性より父母、祖父母、兄弟姉妹との絆が強いようなのです。その人々の愛が枯れないように職員が住み込みのケアホームです。

 一人一人の願いをくみ取り、解決し、結び合わせ、制度化を提案する挑戦は、これからも続きます。

県内に広がる活動の全体像は以下のサイトでごらんになれます。
http://www.airinkai.or.jp/heien/ikou.pdf
http://www.airinkai.or.jp/heien/saihen.pdf
4カップルの写真は、朝日新聞論説委員の川名紀美さんが撮ってくださいました。

大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』1+2月号より)

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