優しき挑戦者(国内篇)

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(36)政治家とボランティア魂
 「国会議員は利権とは無縁で、どこかボランティア活動に似ている。議員は全国を視野においた政治を行うため、地元民に公共事業を勝手に公約すると、資質が疑われる」
(竹崎孜著『スウェーデンは、なぜ生活大国になれたのか』)
 「ボランティア活動に該当するスウェーデン語は、Frivilligt arbete(自発的活動)である。政治活動、教会、スポーツクラブまで含む広い意味合いに解釈できる」
(日本総合研究所の報告書)

 日本とは、ずいぶん違います。でも、日本にも少なくとも1人は、そういう国会議員が存在します。
 山本孝史さん。
 救える命がいっぱいあるのに次々と失われている。なんとか止めなければ、と「がん対策基本法」「自殺対策基本法」の成立に奔走しました。
 臓器移植を受ける側の視点で作られた与党の「臓器移植法」に、臓器を摘出される視点も入れた対案をつくって、待ったをかけました。そして、「年金抜本改革推進法」……。
 "全国を視野においた法律"を次々と提案してきました。

 4月に施行された基本法にもとづいてつくられた「がん対策推進協議会」でいま、ユニークな論議が重ねられています。山本さんの思いが実現し、がんを体験した本人や家族6人が委員として加わっているからです。
 非加熱濃縮血液製剤が薬害エイズを引き起こす危険性に、厚生省が実は早くから気付いていました。その証拠のファイルが明るみに出たのも、山本さんの綿密な調査と推理が端緒でした。

■交通遺児を支え続けて■

 山本さんのこのような仕事ぶりの底には、長いボランティア経験が流れています。
 大学生時代、交通遺児の作文集「天国にいるお父さま」に出会ったのがきっかけでボランティアグループ「大阪交通遺児を励ます会」を結成。
 卒業後は交通遺児育英会に就職して、遺児を支援するために全国を駆け回りまわりました。活動の範囲は、交通事故遺児から、自殺遺児へと広がっていきました。左の写真は、あしなが学生募金の若者と一緒の募金活動で、21歳の時から36年参加しています。
 米ミシガン州立大大学院で家族福祉研究の修士号をとったのち、90年事務局長に。

 その山本さんに、93年、思いがけない話が持ち込まれました。細川護熙さんが旗揚げした日本新党から、白羽の矢が飛んできたのです。
 山本さんは、いいます。
 「政治が動く、その日まで」を合言葉に交通遺児救済運動を展開してきたものの、政治はさっぱり動かなかった。だから、自らが動かすしかないと思ったのですが、なかなか決心できませんでした」

 告示直前に立候補を決断。
 写真のノボリに書いてあるような、お金のかからないボランティア選挙を展開し初当選。
 他党の秘書さんが、そのときのことを鮮明に覚えていました。
 「背の高い、かっこいい候補が、告示直前に爽やかな風のように現れたのです。その爽やか青年は、道に落ちている自分のビラがゴミにならないように、演説のあと、自ら拾っているではありませんか。びっくりしました」
 ご本人によると「ボランティアする人間にはあたりまえ」というのですが……。

■与党から拍手、議員席に涙■

 その山本さんを、2005年、がんが襲いました。12月21日、検診の翌日、病院から電話が入ったのです。
 「血液検査で腫瘍マーカーの数値が高いので、すぐに来院を」
 肋骨の陰に隠れて見えにくい胸腺にできた珍しいがんが、肝臓にまで転移していました。進行がんです。
 翌年5月、山本さんは自分のがんを公表する決心をします。
 「がん対策基本法に厚生労働省が乗り気ではありませんでした。ただ、世論に押されて、与党も民主党案と同名の法案を提出はしたのです。
 会期末は6月16日です。与野党が一致して前向きに話し合わないと、成立が難しい。それにはどうすればいいかいろいろ考え、切実な患者の思いを議場にいる議員に伝えるには、当事者として発言するのが一番だと考えました」
 「これが最後の質問になるかもしれないという思いもありました」

 昨年5月22日の参院本会議の代表質問。
 15分の持ち時間をオーバーしようとしたとき、事務局の職員が扇千景議長にメモをもってきました。しかし、扇さんは、遮ることはしませんでした。

 終わるやいなや、野党はもちろん与党席からも大きな拍手。泣いている議員さえいました。
 会期末の6月16日までのわずか25日間、与党案に、民主党案をどんどん盛り込み、長い附帯決議をつけて参院厚生労働委員会で採択。
 「成立にこぎつけることができたのは、同じ民主党の仙谷由人さん(右の写真の左端)だけでなく、自民党の鴨下一郎さん、公明党の福島豊さん、元厚相の尾辻秀久さん(写真中央)たちが応援してくださったからです」

 同様の与野党協力は、自殺対策基本法のときにも起こりました。
 このときは、武見敬三さん(左の写真の右端)が応援しました。

 奇跡のような与野党協働ができたのは、利権とは無縁、政策一筋の山本さんへの信頼が他党の議員にもあったからこそでしょう。

 いま、「山本さんに国会活動を続けてもらうぞ!勝手連」の準備が静かに進められています。
 山本さんの任期が、ことし7月で終わるからです。
 山本さんのサイトは、http://www.ytakashi.net/

大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』5月号より)

P.S.この原稿を書き終えた後、5.13「山本たかしさんを国会に残そう!緊急集会」の計画の知らせがとどきましたので、以下に貼り付けておきますね。

P.S.2山本孝史さんの生き方が朝日新聞の名物コラムで紹介されました 2007.7.16

P.S.3山本孝史さんの当選を写真入りで報じる読売新聞 2007.7.30

P.S.4山本孝史さんと ゆき夫人の手記「いのちをかけて、いのちを守る  〜余命半年からの人生。がんイコール、リタイアではない〜」

P.S.5遺児たちが街頭で訴えた 山本たかし物語「いのちを見つめ いのちを守る」

P.S.6
山本孝史さんは、2007.12.22の夜11時50分、ゆき夫人に看取られて、穏やかに、眠るように、息を引き取られました。
念願だった著書、『救える「いのち」のために〜日本のがん医療への提言〜』の見本が20日夜、朝日新聞から届き、ゆき夫人が枕元で朗読てている姿を秘書の東さんがカメラに納め、「年内は大丈夫」と安心して病室を出たその夜のことでした。
一昨年の「えにし」の会でのバンダナ姿は、
http://www.yuki-enishi.com/enishi/enishi-2006-02.html
でご覧になれます。この「えにし結びタイム」で、花井十伍さんたちに尋ねられ癌を告白したときのみんなのあたたかい言葉に勇気を得て、1週間後、国会での告白に踏み切ったと生前話しておられました。
2008.1.12、告別式の日の朝日新聞夕刊です。

P.S.7山本孝史さんからの「感謝のことば」

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5.13「山本たかしさんを国会に残そう!緊急集会」のご案内

 山本たかしさんは、「がん対策基本法」や「自殺対策基本法」の生みの親。昨年5月、自らががん患者であることを国会・代表質問の場で告白し、頓挫しかけていた両法案を成立に導いた参議院議員(民主)です。
 こんな時代、こんな社会だからこそ、「いのちの重み」「人の痛み」が分かる政治家を私たちは求めたいと思っています。
 「ひとのために、生きるために。」と、ご自身のいのちを懸けて闘っている山本たかしさんのような政治家が必要だとは思いませんか?

 がん患者会のメンバーや自殺対策に取り組む市民団体メンバー等が中心となって、下記の通り「緊急集会」を開きます。ひとりでも多くの方にご参加いただくことが、山本たかしさんを国会に残すための原動力となり、この国の「いのち」を支えていくことにもつながっていきます。心より、ご参加をお待ちしています!

【主催】 山本たかしさんを国会に残そう!有志の会
【日時】 5月13日(日) 14時〜16時
【会場】 日本薬学会長井記念ホール(渋谷駅から徒歩8分。裏面に地図)

【次第】 13:30 開場
14:00 開会
あいさつ(緊急集会の趣旨説明)
山本たかしさんの活動実績(DVD上映)
14:30 パネルディスカッション
「いま、なぜ日本に"山本たかし"が必要か」
15:30 山本たかしさん挨拶(交渉中)
16:00 閉会

※お問い合わせは、「有志の会」事務局まで
  BXS00035@nifty.com(5.13まで有効)

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